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テッド・チャン インタビュー [2010.07] "On Writing"
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つい昨日、テッド・チャンの直近のものらしきインタビューが Boing Boing にアップされました。昨年の来日時のインタビューの翻訳 「 「地獄とは神の不在なり」を巡って」の倍近いボリュームがあるようです。以下、特に面白そうな中盤の部分を少しだけ個人的に日本語訳したものを載せてみようかと思いますが。時間と自由意志、最新作 "The Lifecycle of Software Objects" の動機について語っているあたりです。あと、日本での妙なチャン人気の理由とか。


あなたの作品の多くは未来予知に関係するものごとを扱っています。時間の性質の何があなたの心をとらえるのでしょうか?
自由意思の問題。タイムトラベルのすべての面白さの根本にあるのは自由意思だと僕は思っている。 僕のいうタイムトラベルには、未来から情報を受け取ることも含まれる。それは本質的にだれかが未来から旅してくるのと同等のことだから。タイムパラドックスを作り出せるというアイデアは、自由意思の存在を前提としている。複数の時系列をあつかうアイデアの場合であっても、どれをとるかの選択は行えるので自由意志の存在が前提となる。僕たちに自由意思はあるのかどうかという哲学的な議論は昔からあるが、通常それはやや抽象的なものだ。タイムトラベルや未来予知は、この問いをとても具体的にしてくれる。 もし未来に何が起こるか知ることができたとして、あなたはそれを避けることができるだろうか? たとえ「できない」という物語であっても、「できるはずだ」という気持ちからは感情的なインパクトが生じるんだ。

日本にはあなたのファンが多いようですが、なぜでしょう?
わからない。そうと知ったときはとても驚いた。おかげで、ある作品を他の作品よりも翻訳に適したものにする要素は何かということについて考えさせられた。特定の文化的なものの見方に深く根ざした物語を完全に理解するためには、その文化を熟知している必要がある。そういう物語はおそらくうまく翻訳できないんだと思う。僕の作品が哲学的なフィクションであるかぎり、それはアメリカ文化にあまり強く依存しないので、翻訳向きなんじゃないだろうか。これで日本語に翻訳された理由の説明にはなるかもしれない。こちらよりもあちらで人気がある理由の説明にはならないかもしれないが。米国ではグレッグ・イーガンの小説はほとんどが絶版なのに、日本では彼のことは神格化されているようだ。光栄にも僕の仕事をイーガンにたとえてくれる人々もいる。このことは、日本のSF読者がアメリカの読者ときわめて異なった嗜好をもっているという考えを裏付けてくれるだろう。

最新作 'The Lifecycle of Software Objects' を執筆した動機は?
主として、ほとんどのSFにおける人工知能の描かれ方への回答だ。SFでのAIは大抵、忠実で従順な執事として表現される。スイッチを入れれば電源が入ってすぐ命令をきく態勢になる。僕はそこにあるはずの、AIの創造に関する膨大な物語がごまかされてしまっているような気がする。これは人間の脳と同じほど賢いソフトウェアの技術的詳細のことじゃない。大半のSFは奇跡的なテクノロジーの進歩を前提としているけれど、それを説明する必要はない。ただ僕はAIに対して、このソフトウェアに人間の脳並みの賢さをもたせ、執事並みに役立つように育てることのできる誰かがいた、という二番目の奇跡が仮定されているように思う。
現在のコンピュータはいまだ新生児の脳の能力にさえ何光年も及ばない。もしそこにたどりつけたとしても、有能な執事に育てるにはまだ不十分だ。たとえばアーサー・C・クラークの2010年で、HAL9000が起動後に発した最初の言葉はたぶん「おはようございます、チャンドラー博士、授業をはじめてください」だった。これは新生児のセリフじゃない。 その下には、その単純な文章の基礎となった一生涯にわたる経験があるはずだ。その経験はどこからきたのか? もしそれがプログラムされる式のものなら、HALにはまったく授業など不要だったろうに。いったい彼はどうやって英語を学んだのか? 彼は授業のための準備をするということが何を意味するのかを、どのようにして知るのか? 人間を役に立つ使用人にするには何年もかかる。より有能な使用人が欲しければ、それだけ長い時間がかかる。 使いたいすべてのAIについて、それぞれ同じ過程を繰り返す必要はないかもしれない。ひとつのAIを一度訓練すれば、あとはコピーをつくるだけでいいかもしれない。でもやっぱりだれかが最初のひとつを育てなければならず、それは困難でじつに手間がかかるだろう。ほとんどのAI描写は、このステップが不要であるか、容易なものとみなすけれど、僕の考えるAIではこれを技術的な奇跡とは完全に別個の奇跡として仮定している。

その二つのAIの奇跡の実現可能性はどの程度ありうると思いますか?
実際問題としては、AIについてはかなり疑問視している。不可能ではないと思うけれど、きわめて困難で、なぜ皆がかかずらおうとするのかわからない。 今のGoogleはとてつもなく便利だが意識なんてもってないし、そんな方向に向かってもいない。もし50年前にだれかがgoogle並に便利なコンピュータをSF小説の中に出そうと試みたなら、それはある種の意識を持つものとして描かれただろう。でも今は、コンピュータは便利であるために意識をもつ必要などないということがわかっている。普通のソフトウェアで僕たちの目的には十分だ。 僕の予想ではこれはずっとそのままで、今までのソフトウェアは「覚醒」などなしにその利便性を高めていくと思う。
一方で、初歩的なAIソフトの一形態で驚くほどの人気があるのがバーチャルペットだ。「シムズ」が史上最高のベストセラーPCゲームになるとだれが予測したろう? ソフトウェアとの感情的な関係は人々を強く惹きつけるものだということがわかった。だから、意識をもつソフトウェアを進歩させる最もありそうな理由は、便利さよりもその楽しさからではないかと思う。それは実際に意識をもつソフトが、意識をもつ生物のふりをするだけのソフトよりも「楽しいかどうか」のみにかかっているだろう。もしそうなら、次には本当に人々が時間をかけて役に立つAIを訓練しようという気になるかもしれない。


…とりあえず訳したのはここまで。これでも全体からすればほんのわずかです。このあとさらにAIの身体性についての突っ込んだトークがつづくのですが。自分が読めればまあいいかという程度の志の低さゆえ、ヘボ訳なのはご容赦。問題なしだといいんですけど。

(追記)
テッド・チャン・インタビュー 前編 - P.E.S.
テッド・チャン・インタビュー 後編 - P.E.S.
ありがたいことに残りの部分を訳してくれる方登場。お疲れ様でございます。

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「ジェイクをさがして」 (ハヤカワ文庫SF): チャイナ ミエヴィル
日本版の表紙どえりゃーかっこいいがね。絵師はペルディードストリートステーションと同じく鈴木康士氏。
今週の本棚:若島正・評 『ジェイクをさがして』 チャイナ・ミエヴィル著
書評を読んでさらに買いたい度アップ

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回を追うごとに大規模になっていくお祭り。また全部見切れない予感

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なんかすごいPVが上がってた。これもMMDなのか

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19世紀末~20世紀初頭アメリカの風物を撮影した歴史的な写真を大量に集めているサイト。かなりの高解像度で、芸術的、資料的価値も高そうなもの多数。見てると時間がふっとびます。これのヨーロッパ版がどこかにないものか。
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by umi_urimasu | 2010-07-23 21:48 | 本(SF・ミステリ) | Comments(0)
時代小説、SF、ボーイズラブ、大食死 あとゾンビ
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ちかごろ読んだ本の話。

薄桜記 (新潮文庫)

五味 康祐 / 新潮社


赤穂浪士の討ち入りの陰で、心ならずも敵対する二人の剣士の友情と破滅を描く五味康祐代表作のひとつ。やっぱ五味作品はいいなあ。泣けるし燃えるし笑えるし。隻腕の剣士・丹下典膳、もうありえんぐらいカッコイイです。読んでいるあいだ、僕の脳内典膳イメージは完全に市川雷蔵になってました。で、いま検索してみたら1959年に雷蔵主演で映画化されているというではないですか。ぐぶあ!俺歓喜。落ちつけ。とりあえずレンタル探してこよう。見て気に入ったら、あらためて買い求めよう。

ちなみに文庫新装版の巻末解説は荒山徹です。以前購入時にもちょっと触れたけど、いつも以上にひど……もとい、五味愛あふれる楽しい解説文となっています。だってしょうがないじゃない。徹だし。

この作品の後半で、五味康祐はストーリーを一時中断させ、かなりの分量を割いて、赤穂事件当時の文献の記述をもとに、いわゆる「忠臣蔵」の美談的イメージを排除した吉良上野介や赤穂浪士たちの実像についての考察を披露しています。しっとりと美しく統一された人情劇の中で、このパートは正直かなり浮いてみえます。「これさえなければ最高傑作だったのに」という批判もあるかもしれません。でも、個人的にはこういう横暴(?)な構成はわりと嫌いじゃない。なんでかよくわからんけど。どうもこの「我慢できなくてつい言いたい放題言っちゃった」っぽい感じがですね。大人げなくもかわいげがあるというか、妙な親しみをおぼえるというか。史実と虚構の差異をいじくりまわしてネタ扱いせずにはいられないという、伝奇脳な人種の同族意識みたいなもんでしょうかな。


魚舟・獣舟 (光文社文庫)

上田 早夕里 / 光文社


さまざまな形の「執着心」(が、通じないSF的な事態)を描いた話が多く収められた中短編集。SFとして表題作の世評が高いのは納得です。ただ、僕には「くさびらの道」の方がインパクトでかかったかも。感染すると体が茸に侵食されて死に至る奇病の蔓延により壊滅しつつある日本。その新種の茸は、ヒトの脳に作用する化学物質を出し、家族や恋人を理想化した幻覚を見せ、誘いよせた人間を新たな苗床に……。なんちゅうおぞましい設定。さぶいぼががが。
「魚舟・獣舟」は陸地の大半が水没し、遺伝子操作により生まれた双子は必ず片方が人間に、片方が魚舟になるという未来の物語。設定はやや無理すぎな気もするけど、元・人類な存在とのディスコミュニケーションを描いて人間の定義をゆさぶる系の話はSFの定番で、定番のおいしさ。あと、この短さにこれだけのものを詰めてあるコンパクトネスがすごいと思います。むしろSFよりそっちの技の方が驚き。


月光のイドラ

野阿 梓 / 中央公論社


「バベルの薫り」からSF分と女っ気を抜いて、美少年同士の耽美Hと政治サスペンスに特化したような作品。たぶん、いわゆるボーイズラブ小説の区分に入れてよかろうと思います。しかし意外にも、バベルのときにあれほど笑い転げまくった熱狂が嘘のようにさばさばと読み流してしまった。少なくとも半分の要素はバベルとかぶっているにもかかわらず。やっぱり僕はただのBLには興味ない人間なのかな。エロい描写にしても、バベルの鍼術秘孔レズとか黄泉戸喫ふたなりとかいった変態プレイに比べればてんでノーマル。もはやこの程度では飽き足らぬ。もっともっとむちゃくちゃな野阿作品求む。


あと千回の晩飯 (朝日文庫)

山田 風太郎 / 朝日新聞社


日常、人生、そして独特の闊達な死生観を飄々と語る山風晩年のエッセイ。やはり面白いのは、古今の著名人の死にざまの話ですね。壮絶なのが正岡子規。なんでも余命一年もない重病人にありえざる超大食だったとか。夕食にいわし十八匹とか間食に菓子パン十個とか、文字通り「桁がちがう」メニュー。その鬼気迫る再生への執念をして「やはり子規は一種の魔人であった」と山風は嘆じています。んー。我々凡人から見たら山風先生も娯楽作家として十分魔人レベルですよ。

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グレッグ・イーガン Zendegi - JGeek Log
こんなふうに英語の小説をさくさく読めるようにわしもなりたい。ぼちぼち訓練しよう……指輪と七王国で。ちなみに zendegi はイラン語で「人生」とかそんな意味らしい。読み方は「ゼンデギ」?

筒井康隆「銀齢の果て」映画化 - 笑犬楼大通り 偽文士日碌
お年寄り惨殺シーン特盛りな作品なのですが、やるならR-15指定か。


WORLD WAR Z

マックス・ブルックス / 文藝春秋


マックス・ブルックス 「WORLD WAR Z」にとりかかってみました。おお。噂は本当だった。生理的に怖がらせることを主眼とした普通のホラーじゃなく、パンデミックSFに近いテイストだ。たぶん人生で初めて、「ゾンビものってちょっといいかも」と思えてきた。新しい扉を開きかけてる感がある。期待しつつ先を読みます。
→ やばいおもろい。戦後インタビュー集という形式のメリットが活用されまくってる。世界のゾンビ状況がじわじわ見えてきた。イランとパキスタンは核で消滅。ロシア連邦がいつのまにか神聖ロシア帝国に。日本はどうなってるんだろう。
→ つづき。「世界をめぐり、さらに上空へ」の視点拡大がすばらしすぎる。国際宇宙ステーションから地上のゾンビ群を観測! 原潜ネタはもしかしたら「復活の日」へのオマージュかな。微妙にとんちんかんな日本描写も、いかにも米製エンタメのお約束という感じでほほえましい。
いやあ、ゾンビっていいもんですねえ。
→ 読了。まさに飢えたゾンビのごとくむさぼり読み尽くす。そしてひとりの新たなゾンビファンが誕生した。
ホラー映画はまだ怖い。映像的なグロにはかなり抵抗ある。でも小説なら大丈夫。どこかに「SF好きなゾンビ初心者におすすめのゾンビ小説○冊」というピンポイントな紹介記事などはないもんでしょうか。


SF作家ジェイムズ・P・ホーガン 逝去|お知らせ|東京創元社
ゴッドスピード。もう重鎮の訃報が毎年恒例みたいになってきています
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by umi_urimasu | 2010-07-04 12:31 | 本(SF・ミステリ) | Comments(5)