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トールキン「ホビットの冒険」訳文チェック
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a0030177_2041041.jpga0030177_2041714.jpgものすごく指輪好き限定な話題であれなのですが。「ホビットの冒険」を久しぶりに読みました。なんと美しい日本語であろうかといつものように感心し、次いで自然な反応として、「原書と翻訳ではいったいどんなふうにちがうんだろう」という興味がふわふわと出てきました。そこでためしに、適当に何箇所かえらんで原文と訳文をつき合わせてみました。(べつに誤訳探しをしたいとかいうわけじゃなくて、単純に文章の意味上の差分が知りたかったので。)  ただ、じつは僕はホビットの原書をもってないので原文はフリーの引用文集 The Hobbit - Wikiquote からの引用です。そもそもこのサイトの文が正確かどうかわからないし、版数も不明なんだけど、とりあえず訳の底本と同じものと仮定。

"Farewell, good thief," he said. "I go now to the halls of waiting to sit beside my fathers, until the world is renewed. Since I leave now all gold and silver, and go where it is of little worth, I wish to part in friendship from you, and I would take back my words and deeds at the Gate."

「さらばじゃ!わがしたしき忍びの者よ。」とトーリンはいいました。「わしはこれから、父祖のかたわらにいこうはずの天の宮居におもむくのじゃ。この世がすっかりあらたまる時までな。わしはもう、ありとある金銀をすてて、そのようなものの役立たぬところへおもむくのじゃから、心をこめてあなたとわかれたいと思う。わしが表門のところであなたにあびせたあの言葉とふるまいを、きれいに水に流してほしいのじゃ。」
halls of waiting (待合室)を「天の宮居」とは、なんとも古風な趣のある訳し方ですね。自分で原文を読んでも到底こんな美しさは読みとれません。そういうところはやっぱり瀬田訳の存在がありがたいです。in friendship はあえて友情といわず「心をこめて」になってる。瀬田氏も泣きながら訳したといわれるだけあって、なんかこう思い入れだばぁな感じ。

"There is more in you of good than you know, child of the kindly West. Some courage and some wisdom, blended in measure. If more of us valued food and cheer and song above hoarded gold, it would be a merrier world. But sad or merry, I must leave it now. Farewell!"

「あなたの心のなかには、あなたが知らないでいる美しさがあるのじゃ、やさしい西のくにのけなげな子よ。しかるべき勇気としかるべき知恵、それがほどよくまじっておる。ああ、もしわしらがみな、ためこまれた黄金以上に、よい食べものとよろこびの声と楽しい歌をたっとんでおったら、なんとこの世はたのしかったじゃろう。だが、かなしいにせよ楽しいにせよ、もうわしは、ゆかなければならぬ。さらば、じゃ!」
・ 原文では「あなたが思っている以上の美しさ」という比較構文。
・ 「やさしい」はビルボにかかっているのかと思ってたけどじつは「西のくに」にかかってる。
・ 「けなげな子」は原文ではただの child。
・ some に「しかるべき」の意味はないだろうけど、in measure の意を汲んでこうしたのかも。
・ 単なる ferewell! をちょっと変えて、末期のひと息が表現されてる。こういう演出はやりすぎちゃうとまずいのかもしれない。どの程度までやっていいのか、素人が良し悪しをどうこう言えるものじゃなさそうですが。

"Surely you don't disbelieve the prophecies just because you helped them come about. You don't really suppose do you that all your adventures and escapes were managed by mere luck? Just for your sole benefit? You're a very fine person, Mr. Baggins, and I'm quite fond of you. But you are really just a little fellow, in a wide world after all."

「あんたも、予言を信じないわけにはいくまいよ。なにしろあんたも予言の実現には手をかしたひとじゃからな。ところであんたは、あの冒険がすべて、ただ運がよかったために、欲の皮をつっぱらせただけで、きりぬけたと思っとるのじゃなかろうね。あんたは、まことにすてきなひとなんじゃよ、バギンズどの。わしは、心からあんたが好きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間からみれば、ほんの小さな平凡なひとりにすぎんのだからなあ!」
ここは奇妙。「ところであんたは」と話を切り替えてしまっちゃいけないんでしょうね、ほんとうは。ホビット中のガンダルフのセリフで、たぶんいちばん指輪物語全体のテーマに近づいている大切な部分です。原文の論理を維持しつつ、もし僕なりにここを訳すとしたら、こんなふうにするかなあ。
「ビルボよ、あんたはまさか、自分のおかげで予言が成就したから予言を信じざるをえないというのじゃなかろうな? あの冒険と脱出がすべて、あんたひとりだけに都合のよい、単なるまぐれで成しとげられたものだと思っているのじゃなかろうな? あんたはまことにすばらしい人物じゃ。だがそのあんたとて、この広い世界の中では結局ほんのちっぽけな存在にすぎぬのじゃぞ。」
こうしていくつかのサンプルを見てみたかぎりでは、瀬田訳は原文の本来の意味からかなりあちこち細かくいじってあるようにみえます。まあでも、改変が多いというのはむしろありがたいことのような気もする。トールキンのオリジナルと日本情緒満載の瀬田訳版、仮に中身が異なっていても両方すばらしい作品にはちがいないから。指輪とホビットがそれぞれ日英2バージョンずつ楽しめるなんて、僕としてはそれこそ願ったり叶ったりというものです。そんなわけで、わしら原書をちゃんと読破するという野望を新たにしたよ、いとしいしと!ゴクリ。

それにしても翻訳とは油断ならぬものよな。ふだん日本語で読んでいる海外小説の大半は、じつは原作とはほとんど別モノなんだということをもっと認識すべき。

以下余談つれづれ。
今回のホビット再読については、今まであまり突っ込まなかったビルボの冒険の背景事情などもちょっと味わってみたいと思って、追補編をぱらぱらしながら読みました。これはわかりやすい。ドワーフがオークを目のかたきにしたり、モリアやエレボールにあれほど固執する気持ちがだいぶ理解できました。ホビットの内容だけだと、財宝をひとりじめしようとしたトーリン・オーケンシールドは頑迷で強つくばりなやつという印象をもってしまいかねないんですが、ドゥリン一族の凋落ぷりと再興の望みのなさを思うと彼にも同情せざるをえない。彼の立場なら誰だってあのときはああいう態度をとるしかなかったかもしれない。哀れなる山の下の王よ。

あと、ホビットの冒険では詳しく書かれてないけど、ガンダルフの思惑としては、サウロンを牽制するためにあらかじめエレボールをどうしても奪還しておきたかったらしいですね。その後の指輪戦争に勝利できたのもエレボールが取り戻されていたからこそであって、つまり元をたどれば彼とトーリンがたまたまブリー村でめぐり会ったおかげなのだ、と言ってるくだりが追補編にあります。指輪物語全体を通してのテーマのひとつは、ホビットのラストシーンでもそれとなくいわれている「大きな運命の流れの中で誰もが最善をつくし、小さくても大切な役割を果たす」ということだと思うのですが、中つ国全体のスケールでみて誰がどういうポジションにいたのか、ホビットの描写だけではつかみにくい。そうした広い視点をおぎなうのにも追補編は役にたちます。じつに有意義な再読でござった。

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チャールズ・ストロスのオールタイムベストアニメ
さりげなく灰羽連盟を混ぜてくるあたり、出来ておる

Amazon.co.jp: The Windup Girl: パオロ・バチガルピ
気になってる本。SFマガジンに載っていた「第六ポンプ」が面白かったのでちょっと注目。この長編もかなり評判らしいです。そのうち早川とかで翻訳されるかな。

[ニコニコ] 【PS3】 PS Home アイマスライブ 4回目 まさかのアクシデント
最近見たアイマス動画でいちばん笑った。メタバース内だって正座で反省会ができること、それが重要
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by umi_urimasu | 2010-01-27 20:29 | 本(others)
「柳生天狗党」 五味康祐
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a0030177_20324625.jpga0030177_2032565.jpg時代伝奇小説をここ数年で少したしなむようになったのですが、中でも柳生一族を題材にしたものには特別の興味をもっています。山田風太郎、荒山徹、隆慶一郎と流れてきて、最近のお気に入りは五味康祐。「お上のためならどんな汚れ仕事もあえてやる。その代わりいつでも腹を切る覚悟はできている」という武士の割り切りすぎな生き方を、美化するでもなく、貶めるでもなく、そういう時代だったからとしてただ淡々と描く、その透明な非情さのようなものがいたく僕の心の琴線にヒットするようです。そのうえガチでエンタメ、殺陣描写も抜群に美しい。

「柳生武芸帳」と「兵法柳生新陰流」につづいて、五味作品を読むのはこの「柳生天狗党」で三作め。1969年に新聞連載され、没後の1981年に単行本化されたものだそうです。内容はひとことでいうと「柳生武芸帳の軽量版」。徳川御三家のお家騒動にまき込まれ、政治の駒として使い捨てられてゆく柳生十兵衛の隠し子たちの運命が、非情に徹した筆致で描かれています。最初のうちはわりと気楽な雰囲気だったのが、やがて洒落ですまない事態となり、最後には関係者全員をだまして殺すことすら辞さない、という暗黒展開になだれ込んでいく。このダークさ、やるせなさに、なんかよく似たやつをかつてどこかで読んだようなおぼえが……と思ったら、マルドゥック・ヴェロシティでした。ああした板ばさみ的な苦痛に惹かれる人には、五味柳生はかなりおすすめではないでしょうか。

枠組みは基本的に柳生武芸帳に似ているものの、「天狗党」はストーリーの枝もキャラクター数も武芸帳に比べると小規模で、一応きちんと決着はつくようになっています。未完でない点はたいへんありがたい。ただ惜しいのは、終盤でいきなり話がものすごい駆け足になっちゃうこと。連載ゆえの事情とかがあったのかもしれませんが、強引に幕を引こうと無理をした印象は否めません。場合によっては主役級のキャラクターですら情け容赦なく殺される、その信じがたいあっけなさに呆然としてしまうほどです。そこまでの非情さでもって、組織の歯車として死ぬ以外の生き方が許されなかった、それが当然だった武家社会のありようそのものを五味康祐は表現しようとしたのだ、と読むのはいい方に解釈しすぎか。ともあれ、いろんな意味で終盤がキツい作品でした。

吉原や大奥が舞台になると、そこでの習慣や日常生活についてやたら細かいディテールを書き出すのがいかにも五味康祐らしいと思うのですが、執筆時期に10年以上もひらきがある武芸帳と天狗党でも、彼はやはり同じ手法をやっています。そんなところも武芸帳リメイクっぽい。将軍が御台所とHする際のしきたりとか、わりとどうでもよさそうなトリビア的情報を何ページもかけて説明したりするところまで一緒です。いったいどういうこだわりなんだろう。しかしおかげでどうでもよい江戸知識がまた少し身につきました。

さてと。次に読む五味作品はどれにすべい。柳生ものなら「柳生連也斎」は外せないか。柳生以外なら「薄桜記」あたりがよいかなとも思っています。「薄桜記」は忠臣蔵もので、荒山徹も大絶賛の作品だそうだし。「荒山氏絶賛」っていまいち素直に信用していいものかどうか不安な気もしますが。ともかく楽しみだ。

(追記)
「薄桜記」をゲット。解説が荒山徹だった。五味康祐の代表作が柳生武芸帳とか冗談じゃねーよ!といきなりたいへんな剣幕です。そして薄桜記そっちのけで熱烈プッシュしてるのが「黒猫侍」。「超が百億個ついてもまだ足りないくらいの大大大傑作」「ライトノベルの読者にこそ読んでもらいたい」だって。超が百億ってあんたは小学生かと。でもまあ、好き好き五味先生な気持ちは十分伝わった。
Amazon.co.jp: 黒猫侍 (徳間文庫): 五味康祐
これがそうらしい。うーん。一応確保しとくべきか……。

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「バレエ・メカニック」 津原泰水。
a0030177_2011125.jpg眠いときに無理して読んだせいか、幻想的なイメージの奔流としてしか把握できなくて、正直何がなんだかよくわからなかったという曖昧模糊たる読後感。「都市が人間の脳の機能を代替する」というSFっぽい着想をベースにしながらも、ひたすら夢が現実を侵食するパプリカ的酩酊感に最後まで翻弄されてました。ARネタも出てくるけど、サイバーパンクってよりは感傷的な幻想のための魔法のメガネ扱いだったような。うーん。こういうものはあれだ。考えるな。感じるんだ。とリーさんが言っていた。そうしようそうしよう。

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山田芳裕、モノホンの古田織部についてNHKで語る
2月10日(水)22:00 NHK総合。へうげもの。見るしかないでござるよ。

[画像] 日本の甲冑は世界一美しい。
日本にかぎらず世界の甲冑画像スレ。すごい。インドやアフリカの鎧もあり
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by umi_urimasu | 2010-01-18 21:10 | 本(others)
「ユダヤ警官同盟」 マイケル・シェイボン
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a0030177_18501327.jpga0030177_18501996.jpgヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、堂々のトリプルクラウンなのにどこが面白いのかさっぱりわからない。一応自分ではSF好きなつもりでしたが、この良さがわからないのはちょっと悔やしい。もともとユダヤ人問題への関心も知識もろくにないのだからそこを突いた作品の勘どころがつかめないのは無理ないかな、という気もしますが、我ながら言い訳くさい。現代人の心得としても、そんなような社会問題への無関心は誉められた態度じゃないんでしょうけれども。
とりあえず、ユダヤ人の宗教と文化についてある程度の理解がないとけっこう手強いしろものだ、ということは認めるしかない。あとジャンルSF的な要素は期待しちゃダメだった。だてに新潮文庫から出てないわ。

イスラエルが存在しない代わりにアラスカにユダヤ人居住区があるというだけの地味な歴史改変もので、実際にはSF分はからっきしといってもいいくらい。それでいて三大SF賞を総なめ。いったいどこがそんなに評価されているのか、賞の選評とか読んでないので推測するしかないのですが、おそらくユダヤ人のみならず民族問題というものは、海外の方では誰でも肌でわかってしまうぐらい自明かつ普遍的かつ重大なテーマであって、その扱い方がうまいので受けている、ということかと思います。
訳者あとがきの指摘にもあるように、作品の結末では「ユダヤ人は領土国家を目指すのではなく、流浪の体験から得た民族と文化を横断する力をアイデンティティーの柱とすべきだ」みたいな考え方が提示されています。ふむふむ。実際にそうすべきかどうかは僕には判断しかねる問題だし、有史以来国土を脅かされた経験がほとんどない日本人一般にとっても民族的アイデンティティについてシリアスに考える機会などあんまりないし、そういう主張をぶつけられてもとっさには「はあ、どうぞ」ぐらいの超他人事な反応しかできないかもしれません。でも多民族国家のアメリカとかでは、やっぱりこういうことは問題意識としてすごく切実なものなのでしょう。たぶん。ちっともSF気のない小説がSF三冠賞をとってしまうぐらいには。

話の基本フォーマットはハードボイルド刑事もので、僕にとってはこれは思いのほか高いハードルだったようです。無謀な捜査、銃撃戦、拉致監禁されてもすぐ救出、というダイハードまがいの展開になじめず、そもそもこの話ってそんな適当な主人公補正まるだしの活劇に全然ふさわしくないんじゃないの?などと粗探しっぽい思考に流れてしまう。読者としてそっちの素養がまるでないことがよくない風に作用したか。こういうのはある程度、読み手側の慣れの問題なのかもしれない。ミステリとして不本意な不発を食らってしまったのも、慣れの問題だったかもしれない。チェスを知らないのでいい加減に読み流してしまったむくいか、ミステリのオチ部分の意味が結局わからないままなのです。なんでツークツワンクって判明しただけで犯人特定できるの?そんな伏線あったっけ。

でもまあ、こうしてぐちゃぐちゃ言いながらも上下巻を読了できたということは、自分で思ってるほどには苦手な本じゃなかったのかな。少なくとも、どんな発想力で思いつくのかと呆れるような奇抜な比喩がぽんぽん出てくるので文章だけは終始退屈しませんでした。翻訳だとすわりがわるく感じることもあるけど、ネイティブならもっと自然に文章メチャウマだと思えたかも。

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民俗学や神話に興味ある奴まったりと語り合おうず
> インドでは「リンガであるシヴァ神を冒涜している」という理由でバイブ禁止
ほんまかいな。恐るべしヒンズー教のポリティカルパワー

冲方丁の人気SF小説「マルドゥック・スクランブル」の劇場アニメ化が決定
よかったよかった。今度は制作途中でコケませんように。ベルウィング婆は超かっこよく描写してもらいたいな。

[画像] ダカール・ラリー 2010 - The Big Picture
道なき道ってレベルじゃない。まさに地球がレーシングコース。走る方も見物する方も命がけのよう。

ブランドン・サンダースン、「ミストボーン」三部作の映画化に合意
これで日本での全翻訳フラグが立ったっぽい。積んでるけど読んでみようかな。どうしようかな……
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by umi_urimasu | 2010-01-07 21:16 | 本(SF・ミステリ)