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映画 「ストレンヂア 無皇刃譚」
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a0030177_14404976.jpg戦国時代を舞台に流れ者の用心棒と孤児の少年との交流を描いた本格時代劇アクション。手描きのすごいアニメということで評判がよさそうだったので、どれどれと見てみました。確かにすごかった。剣戟が。ストーリーやキャラクターは時代劇の定型文をおとなしく守っていて、こちらも「はいはい時代劇時代劇」という態度で見ていくのですが、バトルシーンになったとたん、動きに対する入れ込みぐあいが音を立てて変わります。「これがやりたかったんだろうなあ」というのがほんとによくわかる。めんどくさい抽象的観念的な議論とかいらんからチャンバラアニメのかっこよさを満喫させれ!という動物的な欲求を存分に満たしてくれる作品でした。
でもこういうのは、技術的な質の高さのわりには地味に見えてしまうので商業的にはあまり受けなさそう。

監督は安藤真裕。劇場版カウボーイビバップでタワーの格闘シーンとかを描いてた人だそうです。あー、あのすげー痛そうな……。ああいうものを見るとつくづく、アニメーターってすごいもんだなあと思います。ビバップのモップカンフーとか回し蹴りとか、今でも印象に残ってる。ああいう動きはいったいどうやって描くんだろう。実際に人間がそれらしく演技したものを撮影した映像からコマ送りで絵に写していく、とかならまだわかるけど、それじゃあ全然あんな「アニメの動き」にはならない気がするし。何か素人には想像もつかない謎の技術、そのとほうもない熟練によって、白紙の状態から描き出されているとしか思えない。不思議。

ストーリーについては、よくいえば王道で安心、悪くいえばありきたりです。とある理由で中国から来た暗殺者集団に追われる少年を、とある理由で不殺の誓いをたてたイケメン牢人が助け、だんだん二人のあいだに友情が芽ばえていき……というもの。乗馬の練習とか、連れションしたりとか、ほのぼのとした生活場面が丁寧に描写されているのがいいです。少年の愛犬の存在をクッションにしてへらず口を叩きあいつつ仲よくなっていくのも、オーソドックスながらうまい手口。斬新さはないけど、こういう丁寧さは好きですね。ここらへんの印象が強いおかげで、後々、刀をしばってある紐をついに切るシーンがうまく感情的なクライマックスのきっかけになりえていた気がします。あそこは絵的な勢いもいっしょになって、ぐっとくるところでした。

ただし、二人と一匹のほほえましい友情がメインテーマとはいえ、そこ以外はむしろ非情にすぎるほど戦国時代的リアリズムを優先させた話づくりがされていて、結果だけみるとかなり血なまぐさいことになってます。スカッと爽快に終わってみたものの、振り返れば死屍累々。現代の常識ではなく、あくまで乱世における大団円として見るのがふさわしい話だったかも。

アクション的に最大の見せ場は、やはり名無しVS羅狼の櫓上でのアクロバット対決でしょうか。身をひねりざまに剣を回転させて斬撃をはなつ、あのスピード感、重みをのせて剣を“振ってる”感がすごい。実写時代劇での黒澤明のような適度に泥くさい殺陣も、勝新座頭市や雷蔵の眠狂四郎のような様式美的な殺陣も、それぞれに好きですが、これはこれでまた別腹というか。アニメならではのスタイリッシュネスを愛でたい。

僕は近頃とんとアニメを見なくなってしまいましたが、映画なら長くても一発2時間ぐらいなので、気が向いたときにこうしてなんとか手が出せています。TVシリーズだとこうはいかない。トータル数十時間という尺の長さに一定のペースを維持してつきあうだけの根気が、もう枯れてしまったらしい。ターンエーのTV版、カレイドスター、それにスクライドとリヴァイアスあたりは、できればもう一度じっくり見直してみたい作品なんですが。いつかいつかと思いながら、結局今年も何もできなかったなあ。

おまけ。関連リンクをいくつか。
『ストレンヂア 無皇刃譚』 安藤真裕監督インタビュー
『ストレンヂア 無皇刃譚』のDVDが好評発売中!安藤真裕監督インタビュー
YouTube - ストレンヂア作画集

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曹操の墓キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!! - 枕流亭ブログ
まだ本物かどうか断定はできないかもしれない、らしいですが。真贋はともかく、頭蓋骨から曹操(仮)の顔の復元はやってみてほしい。

ここから2010年:
まうすまうす。かしこみかしこみいんすまうす。例年にもましてぐうたらな正月を満喫いたしておりました。今年もここは今まで同様ぼちぼちいく所存でございます。そして今年こそは氷と炎の歌の第5部が出てほしい。出ますよね。さすがに。あと廃園の天使の続編も。待ち遠しおすなあ。

[画像] 1910~1950年代にかけてのジプシーたちの写真
ここここ光速で保存した
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by umi_urimasu | 2009-12-29 15:21 | 映画
「あなたのための物語」 長谷敏司
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a0030177_22494782.jpg読み心地は「めちゃくちゃ鬱入ったイーガン」。
死病に侵された孤独な女性研究者の苦痛と恐怖と怨嗟にまみれた、意識と死についての思索小説です。信仰や感傷といった逃げ場を完全に封じた、むきだしの「死」の無意味さを突きつけられるため、自分にひきつけて読むと猛烈に気がめいる。しかし同時に、そのストレスに釣りあうだけの知的興奮も味わえる。恐ろしくへヴィな作品でした。

あまりにも気分が凹む話なので、僕の頭にもITP制御部がついてて感情コントロールができたらいいのにとすら思いましたが、もちろんそんなことはできません。そこで原始的な代替手段として、できるだけおバカなギャグ作品でも鑑賞してみようということになった。んで、「ニニンがシノブ伝」を久しぶりに見てしまいましたよ。すごい!効果てきめん!おかげでかろうじて精神的健康が保たれた。う~んおっぱい。

読後、ひっかかってる疑問がひとつあります。
作品最大の泣かせポイントともいえる、wanna be の自殺がもたらす感動の正体がいったい何なのか、どうもよくわからないんですね。作中で明記されてたように、生粋のITP擬似人格は肉体をもたないため、「恋愛をしてひとりであることをやめることは個体を失うことと同義」です。つまり、恋イコール死。そのうえ、wanna be にとってはサマンサという唯一の読者が世界のすべてであり、恋愛対象もサマンサ以外になく、そして彼のアイデンティティは道具として彼女の「お役に立つ」こと。ゆえに、じつはサマンサがどうなろうが wanna be に「彼女のために死ぬ」以外の行動はとりえない。それが何か尊い心性の発露のようにみえるのはただの錯覚だし、サマンサの感傷も欺瞞でしかない。彼女自身もそんなことは承知してる。ただしそれでも、死がしあわせなものでありうるという幻想を与えて彼女から「ことばと意味を奪い」、死を待つ時間のうちのいくらかを物語に逃げて過ごさせたのは、確かに wanna be の自己犠牲のおかげであって。
うーん。やっぱりわからん。wanna be の死はあまりにも理にかないすぎてる。身もフタもない言い方をするなら「そうなるように設計された道具だったから」死んだだけでしょう。なのに感動した。ありゃなんだったんだ。

あと、帯の惹句には「イーガン、チャンを経由し伊藤計劃に肉薄する」とあるのですが、むしろこれはイーガン的な問題にとりかかる手前で「死」という絶対的な障壁をぶっ立ててるプレ・イーガン的な位置づけの作品ではないかと思います。人格がデータ化できても死そのものへの恐怖や怒りやなんやかやはどうせ克服できないよ、っていうのが結論ぽいし。いつもイーガンが描いてるのはそこを特異点として避けた先じゃなかったっけ。

(追記)
昨日のひっかかりは、「愛着ある道具を失う」と「恋人が死ぬ」を等価とみなすことへの心理的抵抗だったんじゃないのかなあ、と思いはじめました。これが「虚航船団」だったら、ごく自然にうけいれられるんですよ。虚構性が強いから、かえって思い切りよく感情移入できる。ディズニーとかもたぶん同じ理由でいける。でもこの作品ではひっかかってしまった。ITP人格が、完全に道具でありながらかぎりなく人間に近く、しかも適度にリアリスティックな存在である、そのリアリティのせいで「リアルで死なれてほんとにこうなるの?」と戸惑いをおぼえてしまったのではなかろうか。などとさかしげに自己分析してみた。
長谷敏司『あなたのための物語』 - logical cypher scape
少しネットで探してみたら、こちらのレビューでぽろっと「亜人間の生と自由の問題」について指摘されてました。あのへんが気になったのは僕だけじゃないんだろうと思っておこう。

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美少女と金について1日2時間は考える - 高遠るいDIARY
> やっぱり美少女には軽度のお色気が何よりも求められていて、怪獣とか全裸とか重傷とかじゃないんだってことが身に沁みた
プロの娯楽漫画家が今ごろ何をいっとるんじゃという感じですが、今ごろそんなこと言ってるようだからこそミカるんやシンシア・ザ・ミッションみたいな作品が描けるのだとも考えられる。できれば今のままでいてほしいかも。

[画像] 民俗学っぽい画像をダラダラ貼っていってみる
魅惑の妖異空間。遠野物語、読んでみたいなあ。

コニー・ウィリス インタビュー - 12/21/2009
Blackout と All-clear についてのチョイ話など。昔、初めての作家会議でジョージ・R・R・マーティンに「今このときにSF界に入ってくるとは気の毒な……もう死にかけのジャンルだよ」とかいわれたらしい。ここでは景気のいいこと言ってるけど。まあこの人たちはジャンルがどれだけ斜陽でも自分は超絶技巧でどうとでもしのげるから余裕こいててもよさそう。

↓ ハーモニーの英語版書影。女の子型ハザードマークみたいなのはいいセンスだと思う。
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by umi_urimasu | 2009-12-23 22:57 | 本(SF・ミステリ)
「自生の夢」 飛浩隆
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a0030177_1934855.jpgまたすごいのきた。「NOVA 1 書き下ろし日本SFコレクション」に収録、飛テイスト全開の google-twitter 言語SF。もう好きすぎて好きすぎてとにかくひたすら好きです。ノスタルジックな昭和の香り、液体金属的(?)なビジュアルイメージ、抑制のきいた官能性と残虐性。とてつもなくおいしい。今回もごちそうさまでした。


読ませるだけで人が死ぬ殺人言語をあやつる作家、言語によるカタストロフィ、というとネタ的には幻詩狩りみたいですが、読んだ感触では「自生の夢」は「象られた力」の系列に並ぶ作品のような気がします。ラストはなんとなくグランヴァカンスのうさぎのエピソードを連想。わずか一文で心をえぐられる。文章うまいなあ。

作中に出てくる思考言語化支援ツールは、twitterの超すごい版。それを蓄積する巨大情報検索ライブラリはグーグルのすごい版。これらのツールによってこの世のありとあらゆるものが言語化・関連付け・描写される世界の中では、情報知性体が生まれ、死んだ人間の仮想人格までもが自在に再現される。……とかいうところまでいくとちょっと空想的すぎるかもしれない。でも、仮に実際にそんな高機能な言語ツールがあったらどんなことが起こりうるか、それほどのツールをもってしても言語化できないものがあるとしたらそれは何か、っていう考えは面白そう。特に後者はその存在を忘れられてしまいがちな気がするので、こうしてちゃんと拾ってくれる作品は貴重かも。

たとえばあるテクノロジーが普及したせいで使われなくなり忘れられてしまった感情や意識の一部があった場合、それは消滅したわけではなく単に起爆待ちの状態にあるだけかもしれない。ひょっとしたらtwitterやgoogleに慣れすぎた人類は何かヤバイものをうっかり忘れてしまい、あとで困った事態に陥らないともかぎらない。技術革新の際の忘れものには気をつけましょう。

あと、余談だけどウェブサービスに知性が宿るという発想がらみで思い出したのがいつぞやのgoogle叛乱ネタ。
Rauru Blog ≫ Blog Archive ≫ 人工知能の叛乱
もしグーグル先生に自分で考える機能を与えたら、彼は人間をどんなふうに認識するのか。ひょっとしたらデータベースの質を下げるようなふるまいをするだけの「消せるなら消したいノイズ源」としかみなさないんじゃないか。それはもう雪風のジャムに近い存在だ。googleが思いつく殺人プランとかリアルに考え出すとかなり怖いです。

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[画像] Amazing Artwork from GRRM’s A Song of Ice and Fire
「氷と炎の歌」の風景画4点。キングズランディングの町並の圧迫感がいい感じ

「ムダヅモ無き改革」 公式ホームページ
監督:水島努、脚本:大和田秀樹。完成の暁には海外の視聴者の反応がどうなることやら

グレッグ・イーガンの「アバター」評
少々皮肉なコメント。「話はお粗末だけど現時点でのCG技術の到達点を見たい人はどうぞ」ということらしい。

更新: VIZ Haikasoru 英訳日本SF 刊行予定タイトル
伊藤計劃「ハーモニー」が追加されました。できればギブスン-黒丸風文体はギブスン調に逆翻訳してくれるといいな。そんなことできるのかどうかわかりませんが。他に野尻抱介「ロケットガール」、林譲治「ウロボロスの波動」、乙一「夏と花火と私の死体」も。
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by umi_urimasu | 2009-12-16 21:20 | 本(SF・ミステリ)
「洋梨形の男」 ジョージ・R・R・マーティン
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a0030177_20542746.jpgなぜだろう。どこにでも転がっているようなありふれた話なのに、異様に面白く感じる。それだけストーリーテラーとしての技術が優れているということなんでしょうか。「フィーヴァードリーム」、「タフの方舟」、そして「氷と炎の歌」を書いてのけたジョージ・R・R・マーティンであれば、むしろそれぐらいできて当然と思うべきなのかもしれませんが。弘法筆を選ばずっていうしなあ。


収録作品は1981~1987年ごろに書かれたホラー系の中短編六本。「モンキー療法」が1984年ローカス賞、「子供たちの肖像」が1986年ネビュラ賞、「洋梨形の男」が1988年の第一回ブラム・ストーカー賞と、なかなかの大盤振る舞いです。作中のできごとが現実なのか、それとも語り手の妄想なのか、どちらとも取れる読ませ方があまりにスマートで、怖さ以上に語りの技巧にびびってしまいました。なんたる小説上手!

ところで、僕がマーティンの小説でいつも楽しみにしているのが食べ物描写へのこだわりです。聞いたこともない海外の珍しい料理、高級すぎて想像がつかない料理、郷土料理からジャンクフードまでの多彩なメニュー。登場人物がさもおいしそうに食べていたりすると、読んでるこちらも釣られて食欲がわいてきてしまいます。氷と炎の歌の婚礼大宴会、フィーヴァードリームのハングリーなアメリカ料理、タフに出てくる宇宙グルメ(?)描写、いずれもたいへん印象的なものでした。この作品集の中でも、特に「モンキー療法」は暴食とダイエットがテーマなだけあって、高カロリー料理の描写がこってり山盛りです。よくわからないのもたくさん。たとえば子牛のコンドンブルー、ぺパローニ・ピザ、ライスを詰めたロック・コーニッシュ鶏、キールパーサ・ソーセージ、イタリア菓子のカンノーロ、などなど。「スレンダー&シーゴー」ってのはなんだろう。ダイエット食品の一種?

こうした食の描写の過剰さは、単に趣味的なことだけが理由ではないように思えます。「食べる」という行為は本来暴力的なものであり、ホラーという表現をつかえば、食事という日常的な行為の底に抑え込まれているその衝動により深く触れることができるから……とかそんな狙いもあるのではないかと。表題作「洋梨形の男」のキーアイテムであるスナック菓子が、狂気、不潔さ、幼児性の象徴のようにおぞましいものとして描かれているのも、あるいはそういう目的があってのことかもしれません。
cheese doodle - Google 画像検索
ちなみにそのスナック、チーズ・ドゥードル(たぶん日本でいうおやつのカールみたいなもの)はアメリカではけっこうポピュラーな銘柄らしいです。ひどい色だ。おいしいんでしょうかな。

「子供たちの肖像」は、フィクションの中の登場人物がかつてそれらを生み出した作家を夜な夜な訪れて彼を苦しめるという話。作者いわく「書くこと、そして作家が自分の夢と恐怖と記憶を掘り起こすとき支払う代償についての物語」だとか。作家はどんなできごとでも小説の材料にしてしまうけど、モデルにされた現実の関係者にとってはたまったもんじゃない、というやつですね。現実か虚構か、二つに一つという極限状態へ追いつめられていく過程がまるで計ったような意地わるさ。さすが作中人物いじめに定評のあるマーティン翁です。自作の登場人物との交流は、作家なら誰もが抱く願望かもしれませんが、これほど神経がすりへるとしたらいかがなものか。まあ、それでも会えるものなら喜んで会う、もとより覚悟完了済みだ、という人もいそうだけど。筒井康隆とか。

余談。今、アメリカはちょっとしたヴァンパイアブームの渦中にあると聞きます。これはまたとない好機なのでフィーヴァードリームが映画化されるよう念じてみる。吸血鬼×(外輪船+南部)=燃え。監督はPJあたりで、ジョシュア・ヨーク役にはクリスチャン・ベールとかではどうだろう。見たい。それ見たいっす。

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[画像] アミルとエマ
森薫ヒロインズのイラスト
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by umi_urimasu | 2009-12-10 21:00 | 本(others)
「息吹」 テッド・チャン
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a0030177_2344934.jpgやっぱすげえええええ!翻訳で読んであらためて感動。美しいです。ほんとに、テッド・チャンはテッド・チャンにしか書けない小説しか書かないな。

内容に触れている人をあまり見かけなかったので、ちょっと詳しく紹介してみます。慎重に書いたつもりですが微妙にネタバレかもしれません。一応ご注意ください。

「息吹」 (原題: Exhalation)

すべてが機械仕掛けのその世界では、「空気」が生命の源とされていた。機械の身体をもつ住民たちは毎日、もよりの〈給気所〉で空になった「肺」を新しい空気の詰まった肺に換装し、一日分の空気を補充する。この世界の果ては巨大なクロムの壁に閉ざされていて、壁の外がどうなっているかは誰も知らない。
あるとき、その世界にちょっとした異状が発生した。世界中の水銀時計が、ほんのわずかながら、徐々に早まり始めているという噂が広まったのだ。その知らせに危惧を抱いたとある解剖学者は、自分で自分の脳を解剖しようと決意する。実験の目的のひとつは、積年の謎である記憶と思考のメカニズムを解明すること。そしてもうひとつは、時計の遅延の原因についての手がかりをつかむこと。しかし解剖学者が明らかにした世界の真実は、この上なく無慈悲なものだった……。
あらすじはこんな感じ。機械世界の牧歌的な生活がかもし出す寓話的な雰囲気、脳解剖シーンの機械曼荼羅的なイメージ、そして残された切なる祈り。たった13ページでこれだけ揺さぶられる作品も稀ですね。

作品のテーマは、いってみれば「存在賛歌」でしょうか。「宇宙は滅ぶ。しかし君よ嘆くなかれ。なぜならここにいた我々の存在自体がすでに奇跡なのだから」みたいな。
この物語の中で、宇宙の滅亡はあまりにも当然の原因からくる当然の結果として訪れます。「孤立閉鎖系においてエントロピーは増大の一途をたどり、やがて平衡状態に達する」というあの法則によって。空気の気圧差を活動源とする機械人たちにとって、密閉された世界から出ることもかなわず、気圧の差がゼロになる日をただ待つことしかできないと悟るのはどれほどやるせなかったことか。

物語の語り手が書き残した手記は、いつかこの滅び去った世界の廃墟を訪れるかもしれない、どこか別の宇宙からの探検者へのメッセージでしめくくられています。
「我々の宇宙は、静かなしゅっという音だけを残して平衡状態に達したかもしれない。しかし、この宇宙がこれだけの豊富なものを生み出したという事実こそが奇跡だ。それに匹敵するものがあるとしたら、あなたがたの宇宙があなたがたを生み出したという奇跡くらいのものだろう。」
もし我々のこの宇宙も閉じた系なのだとしたら、やはりエントロピーは無慈悲に単調増加をつづけ、いつかは滅亡のときがくるでしょう。しかし、終状態がひとつでも、そこに達するまでの経路には無限のパターンがありうるのだそうです。その無限の道すじのうちの一本をたどって、この僕たちが現に今ここにこうして生きているわけで、よく考えたら、いやよく考えなくても、そりゃちょっとすごいことなんじゃねーの。と、ここに至って宇宙生滅の流れの中に自分ごときの人生がなぜかしっくりはまってしまうこの驚き。そこであなた、タイトルが「息吹」ですよ。まったく、イイ話じゃありませんか。


グレッグ・イーガン「クリスタルの夜」も同じ雑誌に収録されていたので読みました。
こちらは「順列都市」の補足的な作品。AIが進歩していけばいずれ、人間なみの知性を持つときがくる。そうなったときに、彼らを仮想空間上で育てている人間が「進化の促進のためにはしかたないことだからメンゴメンゴ」といいながらAIたちにひどい苦痛を与えたり、非人道的(非AI道的?)な仕打ちをしたりすることも、まあ確実に起こるだろう。それって許せると思う?どうよキミ?という、AI倫理問題についての問いかけ。まああれですな、いつものイーガンの裏返しのような感じですな。お得意のネタにしては地味な作品という印象をうけましたが、オチが少々おとなしかったせいでしょうか。もはや、宇宙をつくったり潰したりするぐらいでは驚きすらされず地味とかいわれてしまうイーガンさん。

以上、どちらの作品もSFマガジン創刊50周年記念号に掲載されてます。その囲み記事に書いてあったんですが、テッド・チャンの次の新作は「商人と錬金術師の門」の前から書いていたAIものの中篇で、すでに完成まぢかだって。楽しみすぎる。

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2009-12-05 - 題材不新鮮 SF作家 飛浩隆のweb録
近日発表の新作は「零號琴」「自生の夢」。空の園丁は、空の園丁はいつですか……

芦名星が主演!初映画化「七瀬ふたたび」
また七瀬か。いつかはガスパールや夢の木坂にも映像化チャンスがめぐってくると信じたい

伊藤計劃のハーモニーがSF大賞(も)受賞したそうで。おめでとう、と言いたいけどやっぱり早世が惜しまれる。

森見登美彦『四畳半神話大系』TVアニメ化
監督は湯浅政明。奇人変人いっぱいの不条理劇的平行世界がどう描かれるか、ちょっと楽しみ
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by umi_urimasu | 2009-12-01 23:15 | 本(SF・ミステリ)