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サイバースペースの民俗学: 日本人とメタバース
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a0030177_10203567.jpg柾悟郎の「ヴィーナス・シティ」を読んだら、現在のネット文化についてかなり的確に予言している箇所がいくつも出てきて驚きました。特に興味をひかれたのが、仮想空間やネット社会における日本人の民族性についての考察です。(作品のタイトルにもなっているヴィーナス・シティとは、ユーザーが自己のアバターを操作してネット上の仮想都市の住人として生活を送ることができる娯楽サービスのこと。仮想現実の技術が今より進んだメタバース的なもの。)

ヴィーナス・シティの日本人ユーザーの大半は、欧米人のようにアバターとして自分自身のイメージを使わず、おおむね白人タイプの、またはマンガやアニメやゲームのキャラクターに似せたイメージを使っています。これは現実でも、たとえばMMOとかでよくみられる現象です。セカンドライフなど実際のメタバースではどうなのか、僕は入った経験がないのでそこはなんともいえないんですが。
こうしたことの原因を、明治時代からつづく外人崇拝の風潮、白人コンプレックスに求めるという考え方もあるようです。ただ、「ヴィーナス・シティ」ではそれについては論じられていません。代わりといってはなんですが、「日本人はなぜ本来の自己のイメージとかけ離れたアバターを選ぶのか(なぜ仮想空間で別人になろうとするのか)」について、面白い考察がなされています。すなわち、ヴィーナス・シティは日本人にとっての「異界」だからだと。

日本という国は文化的にも人種的にもきわめて単一的であり、社会全体がその単一性を維持しようとするため、まわりと異なる存在は厳しく排斥される。日本人の日常生活は、それ自体が希釈された宗教的儀礼の連続のようなもので、日常生活に組み込まれたしきたりが宗教と同じほどの同化力と排斥力をもつ。集団の和を乱す行為は些細なものでも許容されにくい。そこで安全弁として一種の「異界」が必要となる。ヴィーナス・シティのような匿名環境は、厳密な社会秩序のガス抜き機構として、一種の電子的な無礼講の場として機能する。

作中での考察はだいたい上のような感じでした。僕なりにこれを補うとすれば、日本人にとって娯楽目的の仮想空間は、文化的拘束からの開放願望を安全に満たすために日常(現実)から切り離された非日常、おおげさにいえばハレの場のようなものであり、アバターに別人の姿を選ぶのも日常と非日常の区別をはっきりさせるためではないか、と考えるのがしっくりくるように思います。上の話はあくまで架空の技術にもとづく架空のネット論ですが、実際のネットのあり方にも通じるところがあるんじゃないでしょうか。あと、この話は「日本人はなぜ三人称視点ゲームが好きなのか」問題とのかかわりも期待できそうです。
ただし、「ヴィーナス・シティ」が書かれた1990年代ならともかく、現在ではネットの中もリアルとさして変わらないほど社会的な空間になってきています。なので、ガス抜き効果については誰もそんなの期待していないというのが実情かもしれません。

ネットでのハレといえば、かつては共同体ぐるみで行う「村祭り」がになっていた若者のガス抜きとコミュニティ結束のシステムが都市化・核家族化により崩壊し、現代ではネット上で発生する突発的な祭りがそのはたらきを一部代行している、みたいな話をどこかで読んだおぼえがあります。若者が安全にお祭り騒ぎをやれる場は、もうネット上にしか残されていないんだろうか。う~ん。本当なら由々しき問題かもしれぬが。ニコニコ動画のアイマスや初音ミクのように適度な活性化状態が長期間つづくコミュニティも、ある意味「終わらない祭り」といえなくもない。そういうネットのブームの中にも日本的なものって含まれてるのかな。
なかなか、容易にはわからんことが多いですね。

ちなみに「ヴィーナス・シティ」が出版されたのは1992年、奇しくもニール・スティーヴンスンの「スノウ・クラッシュ」刊行と同じ年です。日本とアメリカでほぼ同時期に、仮想空間上に構築される「もうひとつの社会」を描いたSFが発表されていたわけか。先見の明があったんだなあ。

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VIZ Haikasoru 英訳日本SF 刊行予定タイトル
小川一水「The Next Continent (第六大陸)」、京極夏彦「Loups-Garous (ルー=ガルー)」、山本弘「The Stories of Ibis (アイの物語)」、桜坂洋「Slum Online (スラムオンライン)」の刊行がどうやら決定のようです。めでたい。若年層向けには悪くないラインナップかも。第六大陸の洋題が The Sixth Continent じゃないのは、やはり一般的には南極の意味になるから?

「人喰いの大鷲トリコ」 SCE公式サイト
TGS2009のプロモーション映像が見られます。尻尾のうねりとか足で耳の裏を掻く動作とか、モーションの自然さがすごい。ICOやワンダのファンの期待にこたえてくれる作品になると信じてる。

伝奇マニアが本を読まない彼女に荒山徹を軽く紹介するための10冊
なんて無謀な。手っとりばやく向き不向きを見きわめたいなら、踏み絵として「柳生陰陽剣」か「柳生大戦争」あたりを読ませてみるのも一手かと思ゆる。

古川日出男は、ヒゲむしると妹になるよ。
円城塔のtwitterより、ナゾの一文。何かの暗号か符牒なのでは。

∀ガンダム - Wikipedia
これによると、富野監督はインタビューで新訳ターンエーを作りたいと発言していたそうです。見てえ。放送された年から数えて20年後というと、2020年ごろか。嬉しい話だけど現実味はうすいかも。もし制作されるとしたらロボットはオールCGがいいな。ミードメカはかなりCG映えするはず。

「へうげもの 9服」山田芳裕
読みまいた。「痛うございます 早う」が……なんの飾りもない利休最期の言葉が突き刺さる。この作品で今後これ以上の山場が描けるのか、先が心配になってしまった。

Team ICO、『ICO』や『ワンダと巨像』がPS3に移植される可能性について語る
嬉しいこと言ってくれるじゃないの。これはほんとに実現してほしいです。

上田文人氏のゲーム哲学は? 『人喰いの大鷲トリコ』開発者インタビュー
リアルから情報を取捨選択してCGをつくるときに、何を選べばリアルでないものがリアルらしく見えるか。そのへんでクリエイターのセンスが問われるらしい。MMD動画とか見てるとなるほどと思うところがある。

[画像] スティーヴン・スピルバーグ監督「エイリアン」
ハートウォーミン……グ?
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by umi_urimasu | 2009-09-27 12:56 | 本(SF・ミステリ)
cocoさん語る、ホラーとSF、感性と理性
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著者インタビュー:coco先生

「今日の早川さん」の中の人へのインタビュー記事を発見。話題は海外ホラーの魅力、SFとホラーのちがい、早川さんのキャラ造形などについて。ホラー好きならではの小説の読み方が面白かったです。
それ以上に強く思うのは、自分の心に植えつけられ成長すると共に開花した種みたいなものがあって、そういうごく私的な哲学に根ざした読み方をしたいということが一番にあります。
その一つが簡単にジャンルで言ってしまえばホラー。これは心のおののきとか未知への畏怖みたいなものを忘れない心ですね。センス・オブ・ワンダーとはまたちょっと違って、もっと身近にある世界の驚異を見過ごさないようにしようってことなんです。
これと同じか、近い欲求は僕にもあるような気がしますね。SF、ファンタジー、いわゆる幻想文学、そのほか空想的な小説が好きなのも、空想と現実の対比によって「身近にある世界の驚異」に気づく驚きを味わいたいから、っていう部分が大きいです。
これは誰でも日常的に無意識的にやっていることなんじゃないかな。「空想と現実の対比」という行為自体は。ただ、SF好きな人はそれをわざわざ娯楽としてやっている節がある。だから「空想のような現実」や「現実のような空想」の珍しいバリエーションに出会うと、それだけで無邪気に大喜びしたりするのではないでしょうかね。


実体のないものを一瞬だけでもあるかもしれないと思わせるに留めるのがホラーの美徳と考えるなら、それを暴くのがSFの仕事。着地点はかなり違うんじゃないかなあ。
これはホラー読みの視点でSFも愛するcocoさんらしい分け方かも。ホラーは感性で、SFは理性で自然界にないものを見ようとする、というふうに言い替えてもよいかと。
ちなみにファンタジーだとどうなるんだろうな。SFやホラーの場合、「身近にある世界の驚異」に対してその善悪を問うことはあまりないんです。でもファンタジーはそれこそがメイン。ファンタジーとはいうなれば「善いもの」を探そうとする言葉の旅なので。だから審美とか倫理とかそういったことがとても重く扱われるし、それが作品世界そのものを律するルールにすらなる。そのへんがSFともホラーとも異なるところなのでは。まあ、そんなふうにいちいち分けてどうするのっていわれたらどうもしないんですが。

“SFを読まないあんたたちこそ地球にひきこもってるじゃないか”

こちらはブログのWeb漫画からのカット。いかにも早川さんらしいトホホな捨て台詞ではないでしょうか。SFを一冊読むごとに、その人は一般人から一歩ずつ遠ざかる。SF道は獣道。しかし負け惜しみしかいえない時でも、銀河市民としての誇りは忘れずにいたいものです。

あと、上のインタビューでもスティーヴン・キングの魅力がいろいろ語られていますが、僕はどうもキングがとっつきにくくて弱っています。そもそも多作すぎてどれが自分に合いそうかわからんというのもあるし。語り口も冗長に思えてあんまり好きになれないし。キング版指輪物語ともいわれる「ダーク・タワー」の1巻をかじってみて「どこが指輪じゃ!」と挫折したりとか。小野不由美の「屍鬼」を読もうとして序盤の退屈さにギブアップした経験から「呪われた町」も敬遠中だったりとか。出会い方がよくなかったんだろうか。

今のところ、先に読んでみたいのは「ドラキュラ紀元」かな。キム・ニューマンも僕にとってはファーストコンタクトに運がなくて、「ドラッケンフェルズ」のゲームくささが今いち楽しめずサスペンド中でした。でも歴史改変ものならいけるかもしれん。そういえばストーカーのドラキュラも何だかんだ言って積んだままだった。コッポラの映画版だけ観て、「まあいいか原作は暇なときで」とか思ってた。たるみすぎです。どうにかして昔の貪欲さをとりもどさなきゃ。

SF方面の読書としては、ここ二週間ぐらいリチャード・モーガンの「オルタード・カーボン」をちまちま読んでいて、やっと読了しました。見かけによらずじつは全然SFじゃなかった罠。そっち向きの期待は完全に空振り。ハードボイルド自体になじみがなかったので、物珍しさに助けられてなんとか投げずに読み終えられたという感じでした。作者本人もSFではなく「フューチャー・ノワール」と言っているそうです。なるほどね。これはもう、遺憾ながらご縁がなかったということで……。

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筒井康隆『夢の検閲官』テレビドラマ化
原作は大好きなんだけど、ちっとも夢っぽくない映像に仕上がっていそうであまり興味がもてない。

宗教に勧誘されたのでとりあえず呪いかけて帰ってきた
京極堂顔負けの逆洗脳テクニック!華麗にキャッチ&リリースされました

北米版『ICO』はカバーアートが違えばもっと売れていた
文化の違いが反映された日米カバー比較。やっぱり日本版のがいいと思う。
↓ミニマルアート?っぽくゲームのポイントをシンプルに表現したカバーもあらまほし。
海外ゲームファンの自作カバーアートがかっこよすぎる件

荒山徹 『徳川家康 トクチョンカガン』刊行記念対談
あとでじっくり読もう。→読んだ。今後、視点を広げて中国史なども含めたものを書きたいという希望をおもちの様子。荒山流アジア伝奇、楽しみです。あと、山風の創作ノート読んでみたい……風太郎記念館に行けば少しは閲覧できるんだろうか。
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by umi_urimasu | 2009-09-20 00:43 | まぞむ
「ザ・ロード」コーマック・マッカーシー/他
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最近読んだ本など。ゲームにかまけて長文感想を書くタイミングを逸してしまいましたが、どれもよいものでした。

a0030177_23284213.jpg「ザ・ロード」コーマック・マッカーシー
もしヘミングウェイが西暦2050年生まれだったら、あるいはこんな小説を書いていたかもしれない。文明崩壊後のアメリカをあてもなく彷徨する父子の旅をこまごまと、それはもうこまごまと描いた作品で、世界が「終わった」実感、未来のなさ、寂寥感がすごいです。徹底して心理描写を排除し、句点とかぎ括弧をまったく使わない文体が印象的。滅亡SF好きにはこたえられない逸品かと。分類としてはSFよりも主流文学の方に入りそうですが。


a0030177_2330492.jpg「血と暴力の国」コーマック・マッカーシー
いっぷう変わった犯罪小説。出来心で大金を盗んだ男にかかわった人々がそれを追う殺し屋の手にかかって次々と殺戮されてゆき、老保安官が社会の変化を嘆くという、一見ノワールのお手本っぽい話なんですが……。普通の悲劇形式の物語では、登場人物がどういう行動をするにしろ、なんらかの形で行為に対する帳尻合わせがなされることによってカタルシスが生まれます。しかしこの作品では無辜の人々がなんの意味もなく惨殺されて、ほんとにそれっきり。一切のフォローなし。純粋なる理不尽。まるでアンチ古典悲劇のモデルケース。「ひでえ!最悪すぎる話だ!」と心底ぐったりしたあとで、人間の生死についてひとしきり考え込んでしまうこと必定。


a0030177_2329362.jpg「柳生非情剣」隆慶一郎
徳川治世のもとで剣のみに生きた、太平の世の剣鬼とでもいうべき男たちの生きざまを描いた短編集。柳生厳勝、宗冬、義仙など、小説では十兵衛や宗矩にくらべて脇役的なポジションを振られることの多い人々が想像だにしなかった魅力的な顔を見せてくれてもうウッハウハでした。これぞ歴史伝奇の愉楽というもの。特に「跛行の剣」はシグルイの「出来る 出来るのだ」というあのナレが似合いそうな奇剣で、殺陣シーンがむちゃくちゃカッコイイ。あと、「柳枝の剣」は漫画「SAMON」の原作ですね。これは純愛悲劇なのに笑えてしょうがない話。仮に一石を現在の10万円とすれば、尻ひとつで100億円だ。家光スゲー。


a0030177_23291491.jpg「青年のための読書クラブ」桜庭一樹
「百年の孤独」+「マリア様がみてる」といえば、当たらずとも遠からじ。お嬢様学園社会を舞台にライトノベルっぽいおかしな名前をもつ少女たちがくり広げるドタバタの歴史を、その時代ごとの読書クラブ部員がノートに書き残して後世に伝えたクラブ史、という体裁の物語です。ノート方式で女学院ものでメタでミステリというと皆川博子の「倒立する塔の殺人」なんかも思い浮かびますが、あんなに優雅&淫靡な雰囲気ではなくて、コメディ少女漫画のパロディのような、一歩ひいた笑いのテイストを常に含んでいるあたりが桜庭一樹っぽい。


a0030177_23294490.jpg「オルタード・カーボン」リチャード・モーガン
いま読んでるやつ。サイバーパンク仕立てでオーソドックスな冒険小説をやってみた、という感じ。SF的な新味はあんまりなさそうです。設定を細かく作りこんだ近未来が舞台の「探偵もの」を読みたい、それ以上でも以下でもなくていい、というのが望みなら、十分に満足できる内容だろうと思うけど。クローン技術と意識のデジタル化によって肉体の取り替えが利くという設定は一応SF。あとはダイハードなタフガイがセックス、バイオレンス、ガンファイト、ガンファイト。なんというか、いかにも映画向きな内容ですね。実際に映画化の企画も進んでいるらしい。

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[ニコニコ] 中学星 予告編+本編
なんでかクセになって何度も見てしまう。厳密な秒区切りで進むあのテンポのせいか。

a0030177_2329042.jpg爪バトルが見たくて、久しぶりに映画館に詣でて「ウルヴァリン X-MEN ZERO」を観賞して参り候。まあ期待通りの内容でした。でもなんか妙に物足りない。で、帰ってからわざわざ第一作目を見直してしまいました。う~ん、満足だ。やっぱり一作目が一番好きだ。CGもワイヤーアクションも今の技術に比べたらてんでショボいし、話も地味だし、二作目以降と比べてそんなに突出した出来ってわけでもない気がするんだがなあ。自分の満足度の基準がどうもよくわからん。

[画像] シドニー・インターナショナル・フード・フェスティバル
各国の食べ物でそれぞれの国旗を表現した広告。BENTO BOX ARTにも通じるものがある

[ニコニコ] フロドが「キラメキラリ」を踊ったよ
アマンの地ではイスタリとのこうした団欒はよくあること

[画像] トールサイズ版「ニューロマンサー」の表紙
ついに新しくなるもよう。なんか白くなりましたな。サイバーというよりも歯車や内燃機関っぽいイメージか。
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by umi_urimasu | 2009-09-12 00:16 | 本(SF・ミステリ)
ファンタジーの手法とゲームの手法: 「ICO」「ワンダと巨像」
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a0030177_20381897.jpga0030177_20382690.jpg「ICO」や「ワンダと巨像」には、あらすじ的な意味でストーリーと呼べるものがほとんどありません。でもこの二つのゲームは、その単純さにしては驚くほど深く感情に訴える力をもっているように思います。これはなぜだろう。なんとなくだけど、良質なファンタジーがもつ作用に一脈通じるものがあるんじゃないか。という話です。


ル=グウィンは「夜の言葉」の中で、「ファンタジーにおいては文体が(あらすじ的なストーリーよりも)根源的な重要性をもつ」といった意味のことを述べています。もしこれをゲームの話に置き替えるとしたら、いわゆるシナリオよりも作品世界を表現するディテールのほうが(ファンタジー的な)ゲームにとって大切である、ということになるでしょうか。もちろん、単に映像がリアルならよいというわけではなく、肝心なのはその世界にふさわしい表現であるかどうかでしょう。

ル=グウィンの言う通り、指輪物語やゲド戦記やダンセイニ作品における文体は非常に重要なものです。それらの作品では、語られるひとつひとつの言葉がすべて異世界を築くための礎石にひとしく、世界を成り立たせることをさまたげる言葉は厳しく排除されています。その世界は言葉だけでできているのだから、一語としておろそかにはできません。たった一つの失言のせいで、美しい世界はまがいものの遊園地になってしまう。ここでいうファンタジーとはそうしたものです。

そしてICOやワンダも、それらのファンタジーに近い一貫性の美しさをめざして作られた作品だ、という印象を僕は受けたのでした。ただし、テレビゲームの世界を形づくる礎石は言葉ではなく映像です。ICOやワンダでは、世界のディテール(風の音、陽光の色、建物の質感など)がとても細やかに表現されている一方、世界にとって余計なもの(サービス的なサブストーリー、多量のゲームパラメータ、常時鳴っている音楽、にぎやかしのサブキャラクターなど)は徹底して省かれています。
こういう取捨選択の姿勢はファンタジー小説ではよくある、というかむしろファンタジー小説を書く際のもっとも基本的な姿勢といってもいいと思うんですが、商業ゲームで実行している例はかなり珍しいような気がします。シナリオやキャラクターや音楽を容量いっぱい詰め込み、経験値かせぎやアイテム集めのためにあくせく働かせる資本主義的ゲームのほうが世の中では圧倒的に多数派らしい(と、言い切るのは偏見がすぎるかも)。そうでない作品がないことはないとしても、主流ではなさそうです。個人的には、年間1000本以上のタイトルが発売される業界なら、たまにはファンタジーとしての面からみて優れた作品が目立つことがあってもいいのにと思うんですが。

ちなみに、ICOチームによるゲームコンセプトについての発言を探してみたところ、ファンタジーという言葉を使ってこそいないものの、おおむね上記のような発想と手法だったらしいことが説明されていました。
海道賢仁氏と上田文人氏がPS2「ICO」の開発経緯を解説
「写実的なリアルさではなく、感覚的なリアルさを追求した」
「リアリティを追求できないものは徹底的に排除した」
「少しでもリアルでないものが含まれていると、せっかくのリアリティの積み重ねが台無しになってしまう」
「ファンタジー世界の作り方」と題をつけてもそのまま使えそうな内容ですね。リアリティというのはちょっと扱いにくい言葉だと思いますが、ゲーム的な語彙だとそうなるのかな。

この一週間はずっとICOをプレイしていて、昨日1周目をクリア、ついさっき2周目を終えたばかりです。スイカエンディング最高でした。死ぬほど和んだ……。「ワンダと巨像」は埋めがたい悲哀感が残る結末でしたが、ICOはラストシーンがまるで一幅の完璧な絵のようで、余計なものが何もない透明な美しさが心に残りました。言葉も音楽もいらない。ただ、あの砂浜の広さ、遠さ、眩しさはずっと忘れないでいよう。もし忘れかけたら何度でもプレイし直そう。そう心に誓ったのでござる。

余談。
ICOチームの最新作「「人喰いの大鷲トリコ」(仮称?)を超楽しみにしてるんですが、僕はあまり貪欲にゲームをするたちではなくて、かけたコストに見合うゲーム機運用をやれたためしがありません。おそらくPS3を買ってもTRICO専用機みたいになってしまう可能性大です。もったいないことです。でも買うけど。
アトラスの人気ソフト最新作「ペルソナ5」はPS3で発売か
もしこのニュースが本当なら嬉しい。まだ噂にすぎないんでなんともいえないか。

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[ニコニコ] ICOふたりプレイpart1
そのヨルダ、凶暴につき。イコよりもタフなヨルダが活躍するネタプレイ動画
[ニコニコ] 真・ヨルダ無双
あまりヨルダをなめない方がいい。何度見ても柵の上で悠然と髪をなでる仕草がかっこよすぎて吹きます。
[ニコニコ] ICO Remix ~ ぽよよん・ヨルダ
ヤネー!なんでこれが埋もれてるんだ

『へうげもの』名コマ選 - イン殺 - xx
へうげはいい作品。「度胸星」も読んでみたら傑作すぎて未完でアゴがはずれました。

HBOドラマ版「七王国の玉座」配役画像集
メインキャストが大方決定。サーセイ役はサラコナーの人。しかし制作されたとして日本で見る方法があるかどうか。こういうファン層の狭そうなドラマがレンタルとかにくる可能性はいかほどだろう。

[ニコニコ] [MMD]物理演算で二重の極み
剣心→ガオガイガー→ドリクラ→? この超展開にあなたの脳は着いてこられるか

オンライン書店 本やタウン:書籍近刊情報
山尾悠子「歪み真珠」 国書刊行会 10月23日 税込価格:2,940円。ついに出るのか。
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by umi_urimasu | 2009-09-03 21:06 | ゲーム