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とあるゲームブックへの追憶
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a0030177_23351981.jpga0030177_23353380.jpg今さら、かつどマイナーな話題ですが、伝説の名作ゲームブック「ドルアーガの塔」(鈴木直人著)が復刊されていることに気がつきました。売れなさそうすぎる!でも嬉しい。方眼紙マッパーでメスロンファンでマスクマンの店の常連だった身には、これはたいへん感慨深いニュースです。ドルアーガなんてアニメかMMOでしか知らないような若い世代の中に、たとえわずかでも新たなファンが増える可能性が増すかと思うとなおさら喜ばしく思えます。

鈴木直人のゲームブック版ドルアーガは、1986年に創元推理文庫から三部作として刊行されました。本家はもちろんナムコがアーケードとファミコンで出したあれ。ストーリーはドルアーガにさらわれたカイを助けるためギルガメスが塔に登ります以上。ファミコン版は大ヒットしましたが、ゲームブック版の人気がどれくらいだったのかはわかりません。ただ、手元にある旧版の第一部「悪魔に魅せられし者」の奥付によると、初版から一年弱で14版を重ねたことになっています。ジャンルのマイナーさを考えると、これはなかなか大した数字なのではないでしょうか。

かつて日本にはゲームブックのブームが訪れた時期がありました。1980年代後半、ちょうどファミコン人気と前後して燃え上がったそのブームは、しかし瞬く間に衰退してしまいました。鈴木直人の「ドルアーガの塔」はその短い旬の期間に多数出版されたゲームブックの中でも特に高い評価を受けた作品のひとつで、いまだにこれを国産ゲームブックの最高峰として挙げる人も多いと聞きます。僕も子供の頃に持っていたゲームブックはほとんど手放してしまったけれど、ソーサリーとこのドルアーガだけはいまだに全巻本棚に入れてあります。もう本の小口とかまっ茶色で、なにやら古文書じみてきてますが。

このゲームブック版ドルアーガ、しつこく名作扱いされつづけるだけあって、今見てもいろいろと興味深い特徴をそなえています。
ひとつはよくいわれる合理的な双方向移動システム。一方通行シナリオがあたりまえだったゲームブックの中で、「いつでもどこでも思い通りの方向に行ったり戻ったりできる」という行動自由度の高さは確かにユニークでした。特に重要なのが「思い通り」という点で、これはプレイヤーの分身であるキャラクターが迷宮内のそのポジションに確かにいるという“存在感”を、ゲームシステム自体によって保証するものです。プレイヤーとキャラクターをむすぶ命綱といってもいいでしょう。これがあるとないとでは、キャラクターへの、というよりもキャラを取りまく環境をも含むゲーム世界そのものへの感情移入度が大きく変わってきます。
(注: ジャクソン&リビングストンの「火吹山の魔法使い」やゲームブック版ゼビウスも一応マッピングが役立つように設計されています。ただ、位置の記述があやふやだったり完全双方向ではなかったりして、あまり正確なのは作れない)

文章力、演出力の高さも、今から思うとけっこう抜きんでていました。
玉石混交はなはだしかったゲームブック濫造の頃、優秀な作品の多くは海外の翻訳ものに偏っていました。そして訳書の多くは日本語としての自然さには少々無頓着で、どうにも奇妙な文章がちらほら混じっていたりしたものです。そういう市場にあってドルアーガは、ソーサリー顔負けのゲーム内容を維持しつつ、全編にわたって統制のとれた隙のない日本語で書かれているという稀な例外だったわけです。「日本人作家が書いたんなら日本語としてまともなのは当然だろう」と思う人もいるかもしれませんが、一文おきに行動の指示と選択枝がはさまれるのがあたりまえなゲームブックという媒体においては、これだけのことでもかなりの離れ業というべきでしょう。
作者の筆力の高さは、ここ一番での燃え度の高い演出や魅力的なNPCのキャラクター造形などにもうかがえます。虎井安夫によるイラストの、どこかエキゾチックで異世界SF的な雰囲気との相性も抜群でした。設定などがいささか中二病っぽいのはご愛嬌。

ボリュームやアイデアの面でも、少なくとも量的にソーサリーに比肩しうるゲームブックは日本では唯一ドルアーガだけではないかと思います。イベント数はそれこそ膨大で、パズル、なぞなぞ、各種ミニゲーム、風雲たけし城、ちょっとした小旅行などなど、迷宮生活の閉塞感にプレイヤーが倦み疲れてしまわないようにありとあらゆる工夫が凝らされていました。ともすればモンスターとの戦闘よりもそっちの方が楽しいくらい。
(注: ちなみに、ファミコンのドラゴンクエストにおいて闘技場が実装されたのは3から、コインボーナスとカジノは4から。ゲームブック版ドルアーガにはこれらとほぼ同趣向のミニゲームがすべて組み込まれています。とにかくいろいろどっさり入ってたんです)

しかし、あれほどの情報量を(伏線なども含めて)常に管理し、キャラの移動やパラメータを制御しつつゲームとして破綻させず、大人でも子供でもそこそこムズカシイ適度な難易度を保ち、しかもそれらすべてをアナログ活字メディアで(!)やるという所業は、PCが普及した現在の感覚でみると、もう狂気の沙汰としかいえないような気もします。当時はまったく何とも思ってなかったというのがよけい呆れる。恐ろしい時代だったんだなあ。

終わりに。
今回久しぶりに引っぱり出してみて、一文一文にぎりぎりの短さと簡潔さを求めたドルアーガの塔の文体から、今のライトノベルやノベルゲームのスタイルにとても近い匂いが感じられることに驚きました。PCノベルゲームをゲームブックの直系の子孫と考えていいかどうかはわかりませんが、仮にそうだとしておいて、ゲームブックの文体がその特殊なゲーム形式の制約を受けて生まれたものだとすると、ゲームシステムだけでなく文体の特性も一緒に受け継がれたことになるんかなあ、とか。ゲームっていうのはみんなが一見それと気づかないようなところまで世代を越えて継承されたりしていて、そういうところがじつはけっこう大事だったりするのかなあ、とか。

なんかちょっといい話になりそうな気がしてきたのですが、ここで力尽きた。四へ進む。

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「スカイクロラ」が眠くなっちゃうのは当然かも~細かすぎて伝わらない演出~
>「上官が痴女」
キャッチコピーがこれだったら絶対観に行ってる。

勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その1その9 (万来堂日記2nd)
海外SF50年の歴史の流れを主要作品の紹介と共に概観するシリーズ記事。細かい情報を含む投入リソースの多さから、付け焼き刃じゃないSF好きがつたわります。まだまだ続くっぽい。がんばるがー。

早川書房9月の気になる新刊。「ディファレンス・エンジン」は持ってるのでいいとして、未読の平たい地球シリーズ「闇の公子」(タニス・リー)をゲットしておきたい。このシリーズ、第二巻「死の王」だけが浅羽莢子訳じゃないんですね。なにかわけがあるんだろうか。

(補足) The Difference Dictionary by アイリーン・ガン
ディファレンス・エンジンのための補遺「差分事典」のWeb版。英語。最終改訂は2003年。古い角川版の単行本と比べると、それなりにアップデートされているようです。長州藩とか、19世紀のエロスラングとか、なんかいろいろと。今回の早川版につくやつはこのバージョンか、それともさらに新しいのかな?

[ニコニコ] ルーシーに明るい歌を歌ってほしかった・・・‐
ある意味正統?明るいエルフェンリート布教動画。アニメ本編の出来はかなりいいと思うんですが、よほど覚悟しないと僕には再見できなさそう。

Phun.jp | Phun日本語解説サイトでbeta4.22版を落として入れてみました。水さえ使わなければわりと軽く動いてくれるっぽい。とりあえずいろんなものを並べたりつなげたりしてぶよぶよふにふにさせて遊んでおりますが。これはなんというか……力学的創造力みたいなもんが要求される。
[ニコニコ] ピタゴラスイッチが楽しめるソフト Phun
これくらい遊べればすごく楽しそうだけど、まずは基本操作に慣れるところから。

[ニコニコ] アイドルマスター手描きMAD「シビれさせたのは 誰?」
へぼピーナッP×ベルナール・リヨ3世再臨してた。振り込めない詐欺にもほどがある
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by umi_urimasu | 2008-08-30 00:31 | 本(others)
〈氷と炎の歌〉を原書で読んでみよう
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a0030177_22212378.jpgG・R・R・マーティンの〈氷と炎の歌〉第4部、「乱鴉の饗宴」 (A Feast for Crows)を読みはじめています。といっても日本語版ではなく、例の翻訳問題から派生したオリジナルへの興味もあって、今回は思いきって原書にチャレンジしてみました。うわさ通り非常に平易な英語で書かれていて、思ったより読みやすいです。それでも最初は一文ごとに辞書で調べたりしていましたが、くり返し出てくる単語が多いので、先へ進むにつれてスピードアップしてきました。とりあえず三日で100ページほど消化。今では1ページにつき数ヶ所ほど、不安なところを確認する程度でなんとかしのげるようになってきてます。まあ、案ずるより読むが易しって感じですか。やはり普通の日本語の小説を読むのに比べると時間はとられるけど、好きな作品だから別段苦でもないし。

このマスマーケット版(ペーパーバックの中でもボロっちいバージョン)、価格はAmazonで900円。本のサイズは京極夏彦のノベルスと同じぐらいですが、中は文章がびっしりで1100ページ近くあります。紙は悪いが、とにかく安い、そして量が多いのがとりえ。
〈氷と炎の歌〉は好きだけど第4巻の和訳は評判がいまいちで購入をためらってるという人、キャラクターのしゃべり方や雰囲気などが翻訳者の交代で大きく変わってしまったのがイヤな人、とにかく安あがりに済ませたい人……そういう人たちなら一度はこれを試してみても損はないのではないかと。なにしろ安いですから。あと、本国で新刊が出るたびに邦訳出版まで何年も待たされる経験を重ねてきて、もう疲れたよナイメリア……という人にもおすすめかもしれません。次の第五巻「A Dance with Dragons」はどうやら今年中にも出そうだともっぱらの噂です。むむむ。いいタイミングではないですか。夏の終わりの今こそ、この銘言を唱えるべきときだ。“冬がやってくる”。

おまけについて。
■おまけ①
マスマーケット版だけの付録なのか、他のハードカバー版などでも同様なのかわかりませんが、巻頭に雑誌や新聞のレビューや紹介記事からの抜粋を集めたページがあります。広告効果を狙ってのことなんだろうけど、本を開いた1ページ目からいきなり宣伝全開というのがいかにもアメリカンビジネスっぽい感じがしてちょっと新鮮でした。大河ファンタジーつながり(?)でロバート・ジョーダン、アン・マキャフリイ、マリオン・ジマー・ブラッドリー、レイモンド・E・フィーストなどからの賛辞も。
■おまけ②
各家人名リスト完備。基本、しかし重要。それぞれの家の紋章の図柄も付いています。
■おまけ③
巻末に、スペシャルプレビューとして第五巻「A Dance with Dragons」の本編が少しだけ載ってます。少しといっても軽く一章分くらいあります。お得。(これとは別の章もマーティン本人のサイトでサンプルとして読めるようです。GRRM - Ice & Fire Sample 4巻終わったら読んでみよう。)

それにしても、こうしてオリジナルを読んでいると「日本語ではどうなるのか」が常に気になりますね。いま読んでいるのはアリアがブラーヴォスにやってきたあたりなんですが、Yorkoという人物がいて、これが男で名前の表記がヨーコではやはりちょっと落ち着かない。邦訳版ではヨルコ?とかになってるんだろうか。

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日々雑景 - 氷と炎の歌 訳語メモ
第3部「剣嵐の大地」までから第4部(乱鴉の饗宴)への、地名の訳語変更リスト。これはありがたい。しかし多いなあどうも。早川も何もここまでしなくてもよかったんじゃね。エイコーン・ホール→穀斗城館とかゴールデン・グローブ→黄金樹林城とかけっこう微妙。

文学やネットの世界では、なぜ猫の支持率が高いのか? | R25.jp
そもそもその前提がうさんくさいんだけど。ただ、犬猫小説うんぬんを別にすれば「人は不意を突くものを好む」という冲方丁のあたりまえな指摘には普通に納得。

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第39回星雲賞に図書館戦争、電脳コイル、20世紀少年他
最近では「これが星雲賞受賞作か!よし読んでみよう」みたいなわくわく感をあまり感じなくなってしまった。でもアレステア・レナルズ作品には一度くらい手を出してみたいかも。啓示空間以外で。

ビアンカ・オーバースタディ
http://blog-imgs-26.fc2.com/t/u/r/turenet/20837.jpg
われらオナンの末裔!いつも通りすぎてワロタ 単行本になったら読ませてもらいます。
(追記) そうだったfc2は画像直リンはねられるんだった。リンク先変更+URL付記。

ドバイの発狂計画についてリストアップしてみる。
まさしく暴走都市。

「赤い星」 高野史緒
早川の新刊リストを眺めていてちょっと惹かれた一冊。紹介文から察するに江戸+帝政ロシア+サイバーパンク+パラレル現代もの、という珍妙な組み合わせの話らしい。そういえばこの人の「ムジカ・マキーナ」や「アイオーン」もどこかの評を見て気になってはいたんだった。どれかひとつ読んでみようかな。
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by umi_urimasu | 2008-08-23 22:49 | 本(SF・ミステリ)
車椅子の歴史と中世ファンタジーのテクノロジー
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a0030177_1314739.jpgジョージ・R・R・マーティンの「乱鴉の饗宴」の冒頭あたりを読んでいて、地味ながらちょっと印象に残ったガジェットがあります。ドラン・マーテル公が乗っている車椅子です。車椅子。
騎士たちが剣をふるって戦う中世風の世界では、これはやや珍しい道具のように僕には思えました。なんとなく近代的な機械っぽいイメージをもっていたので。ところが調べてみると、車椅子の歴史というのは思いのほか古く、いわゆる中世の時代ならばあってもなんら不思議ではなかったということがわかってきました。〈氷と炎の歌〉の舞台である七王国も中世ヨーロッパをベースにしており、高貴な身分の子女たちのポピュラーな乗りものとして馬車などが普通に使われています。そこに車輪がある以上、車輪を利用した大抵の道具もまた存在するということは十分にありうるのでした。

以下に、歴史上の古い車椅子に関する画像を何点か、時代順に載せておきます。僕自身が〈氷と炎の歌〉を読むついでに興味が横へそれた結果として集まったものですが。

a0030177_1391299.jpg紀元前530年ごろのギリシア、車輪付きの寝台を用いている図。瓶に描かれた絵らしい。寝ているのは子供だそうです。どういうシチュエーションを描いたものかは不明。
WheelchairNet: The History of Wheelchairs and future developmentsより。以下同じ)
a0030177_143766.jpg西暦525年ごろの中国、スポーク付き車輪を用いた車椅子の図。かなり立派な物で、乗っているのも人品卑しからぬ風体の男性。この図は石板に刻まれた絵で、車椅子の記録としては世界最古とされている。ただし車輪付きの戦車は紀元前1300年ごろからすでにあったらしい。
a0030177_1452123.jpgヨーロッパでは16世紀にスペイン王フェリペ二世が精巧な車椅子を所有していた記録がある。年代や用途からいって、〈氷と炎の歌〉の車椅子にふさわしそうなのはこの時期のもの。ただし、〈氷と炎の歌〉でドラン公の乗る車椅子は搭乗者が自力で向きを変えたりできるように書かれており、後代の自走式タイプにも似ているかもしれない。

また、フランス王ルイ14世も1700年ごろ、手術後の回復中に車輪付きの輿を使用していたとか(The History of Antique Wheelchairs)。これについては図像が見つからず。
a0030177_2305433.jpg1655年、時計職人のステファン・ファーフラーが自分で使うために開発した自走式(=搭乗者が手動で推進させる)車椅子。手回し式のよう。なんか腕力要りそう。
a0030177_23125100.jpg1783年、イギリスのジョン・ドーソンが開発・販売した市販の車椅子。大きな二つの車輪とキャスターがついた、現代の車椅子の姿に似た機構になってきている。でも中世ファンタジー的な世界にはあまりそぐわない。

今回の話の主旨としては、「七王国に車椅子はあってよい」でおしまいです。特に深い考察も何もありません。でも車椅子について調べていくうちに、これはもう少し広くて微妙な問題につながっているのではないかと思いはじめたので、そのことについて。
中世ファンタジー的な趣向の作品一般において、言い訳としての魔法やオーバーテクノロジーなしで許される科学技術の限界はいったいどのあたりなんだろう。車椅子ならばいい。だが自転車はおそらく不可だろう。火縄銃はまだセーフかもしれないが機関銃は完全にアウトだろう。じゃあ、蒸気機関は?飛行機械は?石油燃料は?……作品の舞台を迫真的なものにしようとすれば、小道具ひとつの設定にすら重いしがらみがまとい付いてきます。たまたま今回の車椅子はセーフでしたが、別の作品でもっと判定の難しいケースに出くわさないという保証はまったくない。そして、ただひとつのアウト判定が、その作品にとって大切なものであった作品世界の存在感とか現実味といったものをぶち壊しにしてしまわない保証もない。

たぶんこういう問題に関しては、先んじて正しい知識をたくわえておくのが読者として取りうる最良の方法なのではないかと思います。歴史ものや異世界もののフィクションを楽しむためのいわば基礎教養として、テクノロジー史も含めた歴史の知識というのはやっぱりないよりあった方がよいらしいな。と、車椅子ごときで右往左往してしまった自分の体たらくをかえりみてしみじみ思ったのでござる。

あと、〈氷と炎の歌〉には車椅子以外にも、中世ヨーロッパ風世界を舞台にした小説では普通あまり目立たない、けれど現実味はある、そんな道具や習慣などがたくさん仕込まれている可能性があります。僕たち読者の目は機械式の投石器とか燐の化合物をつかったナパーム兵器みたいなやつとか、ドラマの山場を彩る華々しいガジェットにばかり向きがちですが、おそらくもっと細かく地味な部分にも作者のこだわりは及んでいることでしょう。それらを見つけて実際の歴史と比べれば、作品世界は今よりもっと身近に、もっとリアルに感じられてくるかもしれません。もちろん、これはG・R・R・マーティンが中世マニアな一面をもっていて、実際の中世(とりわけイギリス?)の歴史や文化を色濃く投影しているという〈氷と炎の歌〉の特性を前提とした話ですが。

余談。
車輪がらみで検索してたら車裂きの刑 - Wikipediaというものが先にかかりました。おう、これはひどい。そういえばベルセルクのモズグス篇あたりに、この車輪刑にそっくりなシーンだか怪物だかが出てきた気がする。画像:Breaking Wheelは服装から17世紀ごろのドイツ(推定)、画像:CalasChapbookは18世紀フランスのものらしい。やばい中世やばい。仮にタイムマシンが使えてもこんな時代絶対行きたくねえ。キヴリン凄いなあ。

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[ニコニコ] CG物理シミュレーションの世界

a0030177_12143033.jpgうげおわ。物理エンジン屋さんが本気を出したようです。物体の運動にウソがない分よけいにシュールさが際立ってきて、気持ち悪いような気持ちいいような不思議な感覚。ついつい見入ってしまいます。


Phun.jp | Phun日本語解説サイト
ゲーム感覚で使えるリアルタイムおえかき物理演算ソフト、らしい。フリーウェア。興味でてきた

[画像] ブルジュ・ドバイ (ドバイの塔)- Wikipedia  俯瞰 全景 仰視
現時点で人類史上もっとも地上高の高い建造物。完成すれば地上818メートル、階数160階以上になるとか。リアルハーベルの塔の名にふさわしい。何がそこまでさせるのかと思わないでもないけど、ここまでいくともう「気にしたら負け」の世界か。

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いつの頃からか、絶対可憐チルドレンの連載には毎週4コマが2本付くのがあたりまえのようになっている。しかしこれは作家にとってはものすごい負担なのではないかと想像する。よーやるなー。

エキサイトブログ向上委員会 - 記事にYoutubeが貼れるようになりました
死ぬほど今さら

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ダークナイトを見てきたでござる。ユニヴァース!目からウロコが落ちました。今までもっていた、いかにもマンガマンガしたお子ちゃま向けコスプレヒーローというイメージが一撃で消し飛んだ。……しかしこういう映画の見せ方をもってすれば、たとえ素材がミッキーマウスでもウルトラハードサスペンス映画に仕立てられそうな気もしてきた。

ディファレンス・エンジン - 伊藤計劃:第弐位相
こんど出るハヤカワ版の解説担当は円城塔+伊藤計劃。またアイリーン・ガンの用語辞典にも相当量加筆されるとのこと。おいしい差分となりそうです
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by umi_urimasu | 2008-08-16 05:21 | まぞむ
映画「崖の上のポニョ」
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a0030177_220818.jpgなにこの不条理ホラー(笑) 詐欺だ詐欺。もっとやれ。
などと無責任に面白がりつつ鑑賞してまいりました。
嵐の海の気味わるさとファンタジックな音楽との異様なミスマッチ。水底でキャッキャウフフしてるばあさんたちの溺死を連想させるイメージ。そんな狂気をはらんだ朗らかさに対し、恐怖と笑いのどちらの反応を呈するべきなのか自分でもわからない不安感。この不安が大いなる海への始原的な畏怖とつながって、気がつけば観客のSAN値があぶない。
これ、BGMが久石譲じゃなくて旧支配者のキャロルとかだったら、あまりにもハマリすぎてかえって素直に笑えるんじゃないかなあ。もちろんその場合、子供たちは泣き出すぐらいではすまないと思いますが。

ストーリーは一応「人魚姫」をなぞっているものの、不可解な描写が多くてかなり支離滅裂な印象でした。でもあえて整合を取る必要性もなさそう。なにしろ宮崎駿にも説明する気が微塵もない。とにかくイメージを絵にすることが最優先で、子供たちには最終的に主人公の純真ささえ伝わればよい、大人たちに関してはもう最初からどーでもいい、くらいのスタンスで作られたもののように見えました。

「人を見た目で判断するのイクナイ」とかいった道徳的メッセージの色も、あるといえばあります。でも時間的に十分な描写量をキープできなかったのか、する気がなかったのか、あまり強調されてなかった。あくまで人間と人外の子どものマンツーマンの交流がメインで、そのついでに少しお説教もしてみたという程度かな。

理想的な「よい子」像の体現者である宗介が尽くす相手がエゴイズムの塊たるポニョ、という構図について。あれは微妙に落ち着かないものでした。なんだか愛の搾取っぽい。考え方次第ではあの二人、あまりすこやかな関係ともいえなかったのではないかと。あのままずっと仲むつまじく行ってしまってほんとにいいのだろうかと。しかしそんなひっかかりも、あの「ぽーにょぽにょぽにょ」という電波ソングのせいでうやむやに流れてしまった。なんなんだあれはまったく。分析好きの大きなお友だちに対する嘲笑としか思えぬ。

あと、宗介と同じ保育園の女の子のアタックが全力でスルーされていた件。あれは憐れでした。あの子はこれから「人面魚に負けた」という負い目を一生背負って生きていかねばならないのか。宮崎アニメの、主に「よい子」でない子たちに対して冷酷すぎるところが僕はどうも嫌で、いつも居心地の悪さをもてあましてしまいます。せめて1カットだけでもフォローしてあげればよかったのにね。

リサの無謀運転が気になりすぎてカーアクションにまったく集中できなかった件。自分の子供を助手席に乗せた母親のすることか、あれ。アニメ特有の躍動感などを表現するアニメ的なリアリズムとかそんなふうなものがあるとして、それがファンタジーとしてかくあるべしという世界(ここでは親子の情愛におおわれた世界)のありかたとコンフリクトする場合、見る人はどう折り合いをつければいいのだろう。となりのトトロや魔女の宅急便の頃は、まだそのへんの整合が取れていたように思うのですが。だんだん表現主義的な方に傾いてきたってことかな。

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バットマン『ダークナイト』予告編見た。うわ、なんか面白そうだ。主演がクリスチャン・ベールであることも知った。これは見に行きたいかも。

[ニコニコ] !!!(chk chk chk) - Live at Fuji Rock Festival '07
ヒゲダンスに吹いたので「Myth Takes」を買ってこようと思う

〈氷と炎の歌〉 登場人物名・用語対照表
まるで不完全なリストだけど、きっと人手不足なのだろうと推測。うちの記事にあったミスも修正しました
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by umi_urimasu | 2008-08-08 22:35 | 映画
「ダンシング・ヴァニティ」筒井康隆
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a0030177_20162492.jpg「ビアンカ・オーバースタディ」がもうすぐお披露目だそうなので、すべり込みで読んでみました。

無数の選択枝をたどってはやり直し、ありうべき人生をわたり歩く男の精神の道程を描くという、「人生をセーブ&ロードしながらガチで生きてみる」をそのまま文章化したような小説。最近の筒井作品に多い、老いと死の気配が濃厚にただよう作品で、スラップスティックがエスカレートするほどに寂寥感もいや増していきます。死にかけている老人の意識に去来する人生の断片、そのすべてが現実なのか、回想なのか、夢なのか、事実なのか、思い込みの偽の記憶なのか、もはや何ひとつ確たるものなき死。虚構ならではの哀れさに満ちた、なんともいえない読後感でした。

こう書くと「暗そうな話か」と誤解されそうですが、否々。説明やサインを完全に排除した純粋なループ表現を用いて、不条理シチュで遊んでみたり、天丼ギャグにしてみたり、セリフの最中にいきなり時間を吹っ飛ばしたり、かなりやりたい放題やってます。しかもあの徹底的なコピペ文体が生み出す尋常でないスピード感ときたら。実際にやられてみてはじめて、これほど多彩なバリエーションが可能だったのかと驚かされ、あらためてこの人の凄さに恐れ入ります。方向性としては「残像に口紅を」や「虚人たち」をはじめて読んだときのような衝撃でした。眼福。文章で眼福っていうのもなんか変ですが。脳福とでもいうべきか。

作中、過去の筒井作品のセルフパロディ的な部分もけっこう目にとまります。時系列の混濁を描く作品だからということで意図的に多めに入れたのかな。無意識下の自殺願望として出てくる縞が消える虎、あれってガスパールのトララから来てるんだろうか。なつかしい。

オタク論好きな人たちの間ではこの作品、参考文献にも挙げられているゲーム的リアリズムの誕生と絡めて語られることも多いようです。「ビアンカ・オーバースタディ」の内容如何によっては、ゲーム的リアリズムも読んどいたほうがいいのかもしれない。今まであまりオタ語り系の話に興味なかったんですが。BOの評判次第かな。

おまけ。
「旅のラゴス」を細田守監督でアニメ映画化するらしいという噂が2chに書かれてた。ソース不明。ガセかもしれないけど、ほんとだったらうれしすぎる。
(追記) 南中高度 唐突すぎる
やっぱガセだったのかな。残念

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マイマスターという角栄 - 伊藤計劃:第弐位相
学園ものを書く、という話になる。こういう話は通常篠房氏とする。
というか篠房氏と話すと大体「こういうの作りたい」という話にしかならない。
今回で言うと、Fateは学園物か、という話になり、
そこから夢が広がりはじめる。
「アーサー王とかじゃなくて、佐藤とか吉田とか角栄とか戦後首相の転生と共闘する、というのは」
「おっさんですか」
「おっさんです」
「生徒会長選とか、政治の戦いになる」
「ミッテランとかドゴールとか外人入れてもいいんじゃね」
というわけで、いい面構えのおっさんが転生した少女と、それを僕に従えた少年が活躍する戦後版Fateというのはどうでしょうか。
書いてくれ書いてくれ。

京極夏彦インタビュー 『幽談』と怪談を語る
僕は常々、小説にはストーリーだのテーマだのはいらないという暴言を吐いているわけで(笑)。
 読み始めたら止まらない、いや、読み終えずとも手に取った人が「読む」という行為をしてくれさえすれば、それでいいと思っているわけです。作者の主義主張なんか邪魔なだけだし、物語の結構性だの描写だの、そういうものだって読んでもらうための手段でしかないですよ。「文字を追う目が止まらない」という状況が生み出せれば、それで本望。それができるなら、起承転結もいらなければ筋もトリックもいらない。感動やら笑いやら怒りやら哲学やら、そうしたものはテキストの中にあるのじゃなくて、読者の中に涌くものなんです。
この小説観がミステリというジャンルの制約下で「犯人なんていませんでした」「事件なんてありませんでした」などのアンチミステリ・叙述トリック的な手法となって表れるのが京極作品。

復刊予定 「ディファレンス・エンジン」上下 ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング
おお。もしや円城=伊藤効果?

[ニコニコ] 【手描き・ジョジョ+エヴァ】新世紀ストーンオーシャン【完成】
いつもながら凄い出来。二、三周したら次はコマ送りで荒木先生を探してみよう

[画像] 映画版ニューロマンサーのポスターと言われている一枚。ワイヤー少なし歯車多し
それに対する原作者ギブスンのコメント
かいつまむと “初めて見たものだ。映画の仕事にはかかわってない。新作小説にかかりきり。映画での改変には作者として少し好奇心はある”

[ニコニコ] アイドルマスター 春香 SUPER MUSIC MAKER PV風
カクパのご乱心から数日後、そこには元気に動画をあげるわかむらPの姿が。クオリティ高すぎ吹いた
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by umi_urimasu | 2008-08-01 20:52 | 本(SF・ミステリ)