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「13」古川日出男
a0030177_21432432.jpg片目に先天的な色覚異常をもって生まれた少年・橋本響一。彼はアフリカから来た友人ウライネに導かれてザイールに渡り、狩猟民の生活の中でその天才的な色彩認識能力を開花させ始めた。一方、狂った傭兵との出会いがもとで二重人格者となったワツァ族の少女・ローミは、村々を呑み込む急激なキリスト教化運動の渦中で「黒い聖母」の座に祭り上げられていく。彼女は「13」の数字が刻印された小さなドッグタグを肌身離さず付けていた。その小さな鉄片が、やがて偽りの神の国を焼き滅ぼす動乱のきっかけになるとは知りもせず……。


現代日本文学界の斜め上をゆく"法螺話の天才"のデビュー作。正確にはこれ以前にウィザードリィの外伝ノベルをひとつ出していて、この「13」はオリジナル作品として数えた場合の一作め。

しかしさすがは古川日出男、第一作からしてめったやたらに濃ゆいです。濃密な文体、幻惑的なイメージ、執拗なディテールの集積によって際限なく太ってゆく物語という基本的なスタイルはあらかた完成・実装済みのうえ、それらを総動員して現実そのままの話が神話性をもつような物語世界を構築してしまいます。なるほど、マジックリアリズム風味といわれれば確かにそれっぽい。

ただし、最初期の作品だからなのか、あるいは舞台設定によるものか、以後の古川作品で幅をきかせている前衛的饒舌が「13」では多少控えめになっている印象はありました。文体にもストーリーにも「普通の小説」らしさがまだちょっと残ってるような気がするし、基本リアルな世界観もわりと律儀に守られてるし。「アラビアの夜の種族」の純然たる暴挙や「ベルカ、吠えないのか?」の突き抜けた大風呂敷っぷりに比べると、やっぱり全体におとなしいように思えます。

これはもしかしたら、計算ずくで保守的にしたのかもしれません。ほんとは最初から「アラビア」みたいなのをやりたくて、でも業界人はともかく一般読者がついて来てくれないと判断してやめたとか。まあ、あくまで「古川日出男的に」おとなしいだけであって、そこらの小説と比べれば「13」も相当エキセントリックな部類に入るんだろうけど。


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仮に個人的な好みで既読の古川作品に序列をつけていいとしたら、僕の場合は①「アラビア」、②「ベルカ」、③「13」という順番になります。これはとりもなおさず、幻想度と荒唐無稽さの順番。
しかし、現実寄りの作品には現実寄りの作品ならではの旨味があって、それはたとえば、基準となる状態が現実的であればそれだけ幻想と現実の差分が明確に認識しやすい、といったようなことですね。この差分を「快感」として知覚するかどうかはけっこう個人差があるかもしれないですが。少なくとも僕は気持ちいいです。こんな差分偏愛者は世間にたくさんいるのだろうか。人に聞いたことが一度もないので見当もつかん。

ともあれ、リアル系統の作品も予想以上に美味しいということがわかったのはそれだけでも大きな収穫でした。僕にとってはもはや「死角のないお気に入り」、皆川博子に次ぐ必勝作家となりつつある古川日出男。とりあえず「沈黙/アビシニアン」と「サウンドトラック」はすでに確保済みです。腰を据えてじっくり読もう。


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シグルイアニメ化て! ぎゃびー!
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by umi_urimasu | 2007-03-19 23:05 | 本(others)
「ZOO」乙一
a0030177_1174356.jpga0030177_1175647.jpgブラックユーモア、サイコホラー、ミステリ、SF、メルヘン。様々なタイプの乙一作品が一堂に会したバラエティ豊かな短編集。どの作品もわりとシンプルで、叙述トリックに凝っていた「GOTH」なんかに比べると「ひねりがない」感はあるものの、じゃあ物足りない出来なのかというと決してそうではありません。ボリュームはたっぷりあるし、10篇ぶっつづけで読んでも飽きが来ないだけの多彩さもあるし。基本はホラーだけど、ライトとダークの配分バランスがちょうどいい按配で読みやすいのもありがたい。怖い話にまったく耐性のない読者でも抵抗なく消化できる、守備範囲の広い本と言えましょう。よほどピーキーな趣味の持ち主でないかぎり、これ二冊読めば最低ひとつぐらいは好みに合う乙一作品を見つけられるのでは。
ちなみに僕は八〜九割がたヒットしたのでなんの不満もありません。ごちそうさまでした。


以下、収録作をひとつまみずつ紹介。微妙に順不同。

「カザリとヨーコ」

ママには虐待を受け、学校でも虐められ、ヨーコの毎日は陰惨そのもの。だが心の拠り所だった親切なお婆さんが死んだ日、ついに双子の妹のカザリと入れ替わるチャンスが巡ってくる。かくして惨劇の舞台はととのった。「おっしゃー!」ガッツポーズのヨーコ@カザリ。まあ君がそれでいいならかわまない……のか?

「SEVEN ROOMS」

訳もわからず拉致監禁され、理由もなくただ理不尽に殺される時を待つ姉弟。苦悩の果てに二人がたどりついた、究極の選択とは───。収録作の中でもとりわけヘヴィな一品。話としてはありきたりだけど、だからって精神的なダメージが弱まってくれるものでもないようです。痛いものはやっぱり痛い。人間死ぬときはフトンの上で、子供や孫に見送られて大往生ってのが一番だよ。なあ。

「陽だまりの詩」

メイドロボットに人の死を悼む心は生まれ得るか。はわわ、直球ですー。モロこれっぽい話、To HeartのSSで読んだことある気がするぞ。

「ZOO」

恋人の死を認められず自らを騙しつづけてきた狂人が、動物園の思い出をきっかけに現実に向かい合おうと決意するまでの物語。「グロテスクなのにそこはかとなく癒し系」という、ライトともダークともつかないこのトワイライトな味こそ乙一の絶対支配領域。

「SO-far そ・ふぁー」いわば逆・シックスセンス。

「落ちる飛行機の中で」パニックシチュエーション・コント。

「血液を探せ!」推理コント。包丁刺されて死にかけてるのに超元気な無痛症の爺さんがおもろいというか哀れというか。

「Closet」推理のための推理小説。一種のパロディか。

「神の言葉」どくさいスイッチ+雫。「デスノート」の連載開始当初、こんな方向性の作品になるのかなぁとちょっと期待してました。

「冷たい森の白い家」死体を積み上げて家をつくる孤独な男。グロくて悲しい残酷童話。

「むかし夕日の公園で」あれ? 抜けてた。親の帰りを待つ子の気持ちを描いた掌編。

とまあ、ほんとにいろいろあるのです。ジュヴナイルからお笑いまで華麗にさばくオールラウンドぶりが頼もしいったら。ジョジョ第四部のノベライズも楽しみだ。一向に本にならないようですが。
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by umi_urimasu | 2007-03-15 11:15 | 本(SF・ミステリ)
ご当地エピックファンタジー探求の道
存在するのかどうかわからないが、もし存在するなら是非にも読みたい本がある。それは何かというと、「『七王国の玉座』と同じぐらいハードな、東洋風エピック・ファンタジー」。

エピック・ファンタジーとは「実際の歴史や文化を下敷きにした異世界において、その世界観に深く根ざした架空の人間ドラマを描く」みたいな感じのものを、おおざっぱにそう呼ぶようです。エピックは叙事詩のこと。
とりあえずこの定義によるならば、文芸の手法の面ではエピックファンタジーはそんなに特殊なものではないらしい。また、特定の国や地域に限定される理由も特にはないらしい。なので、需要さえあればいろいろな国でその文化圏独自のエピックファンタジーが活発に生まれていてもさほどおかしくはないだろうという推測が、一応は成り立ちそうに思える。
もちろん、それらは単に指輪物語や七王国の表面的な意匠だけをすげ替えただけのものじゃなく、その国なり土地なりの歴史や文化や思想のルーツを可能なかぎり遡ったところから直に引き出されてくるものであってほしいのですが。


でも残念ながら、日本でこの注文通りの作品を探すのは簡単ではないようです。そもそも日本ではファンタジー文芸というジャンル自体があまり盛んではないし、自国の伝統的な神話や伝承をモチーフに取りあげた作品となるとさらに少ない。わりと有名な「もののけ姫」とか「空色勾玉」とか、和式エピックファンタジー的な例も探せばなくはないのでしょうが、やはり数では洋式ファンタジーにおよびません。

日本でファンタジーがあまり書かれない理由については、河合隼雄の「ファンタジーを読む」にちょこっと推察が書いてありました。それによれば、日本人は西洋人に比べて意識と無意識の隔壁が薄く、そのせいでファンタジーを作品として結実させられないのではないかということです。
本来ファンタジーには、現実と異世界の対比(ときには対決?)によって両者の境界を読み手に意識させる機能があると考えられる。しかし日本人は自己と他者、人と物、内的現実と外的現実との境界が少々あいまいでもあまり気にしない、ある種ボーダーレスな世界認識をもっている。このおおらか?な精神性が、ファンタジー成立のキモである「境界性」をぼかしてしまうのではないか。これは興味深いアイデアだ。
まあ、エピックファンタジーに対してもなおこの説が有効かどうかは不明だし、これが正しかったところで当の日本人である僕にとっては何のなぐさめにもならんのですが。


ただ、まったく希望がないのかというとそうでもないです。というのは、仮に上の説が正しく日本の国内ファンタジーが大不作だったとしても、世界的にもそうだとはかぎらないから。エピックファンタジーの形式そのものは国や地域に制限されない、ということはつまり、あらゆる国においてエピックファンタジー作品が生まれる可能性が常にあるということでもある。日本だけで考えるのとは母集団の規模が桁でちがう。全世界スケールで見れば、傑作の五個や十個、既に生まれていない方がむしろおかしい。戦は数だとエラい人も言っていた。
というわけでこの際、出どころはどこでもかまいませんので。アラビア、アフリカ、南米、アジア、インド、ネイティブアメリカ、ポリネシア、その他どこでも。とにかく非ヨーロッパ系で特濃のやつが一発出てきて、和訳出版が行われさえすればそれでいいことにしようと思う。


今この瞬間にも、地球上のどこかで書かれ始めているはずのご当地エピックファンタジーよ。おまえの読み手はここにいるぞ。



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族長の初夏、Something Orangeでオススメ書評サイトなどと紹介されておりました。なんともおはずかちぃ。この気持ちをたとえるなら、ちょうど手違いでカンヌ映画祭に列席させられたおすぎのような。あるいは手違いでエレスサールの戴冠式に列席させられたハムファスト親方のような。あるいは本当に手違いで……。
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by umi_urimasu | 2007-03-07 14:03 | まぞむ