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「日本沈没」(下) 小松左京
a0030177_118516.jpg富士山は吹き飛び、西日本と東日本はまっぷたつ。人知を越えた大災厄のあとに残ったものは、4千万の屍体と7千万の難民と、限界を越えたあとのはてしない虚脱感だけ。大胆かつ精密な演繹と考察によって列島壊滅のプロセスを最後の最後までシミュレートしてのけた"日本滅亡の書"───それが「日本沈没」である。
もし仮に1年間で沈むとしたら、ほぼまちがいなく日本はこの小説の通りに沈むにちがいない。


でもこの話、日本が沈んでさっぱりおしまいなのかと思ったらそうは問屋が下ろしませんでした。当然といえば当然なんだけど、日本が沈んでも地球は回る。極東の島国がひとつ消えたところで世界が滅亡するわけではないし、諸外国首脳からみれば難民受け入れという政治・経済上の厄介ごとが増えただけのことでしかない。むしろあたりまえのように「この先も苦労が絶えない」ことを示す、「日本沈没」のラストはそういう強靭な冷静さをも含ませたものでもありました。

要するに人間はしぶといよってことだな。うむ。

作中で日本の未来を論じた渡老人も、こんなふうに言っています。

『帰る家を失った日本民族が、実質的になくなってしまうか、新しい意味での"おとな民族"に育っていくか、世界の冷たさに対する愚痴や呪詛ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか、これからが賭けだ』

ん〜しぶとい。

ちなみにこの問いのあと、ほどなくして話は途切れ"第一部完"となりますが、もちろん作品としてはまったく終わってなどいません。結局のところ、この「日本沈没」は、あとにつづく物語への壮大なプロローグにしかすぎなかったのかもしれません。国土を失った流浪の民族が世界の居候としてどのように生きてゆくのか、という「日本ディアスポラ小説」を書くための、長い長いマクラにすぎなかったのかも……。

とか思って検索してみたらば、小松左京×谷甲州による「日本沈没 第二部」がちゃっかり刊行されていた。なんだ、ちゃんとつづきがあるではないか。
でもあまりヘヴィな作品を連続で読むのはつらいので、しばらくは放置しておこうと思う。


よーし、次はファイブスター物語だ!
うげえ。


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[アニメ] 横山光輝の『ジャイアントロボ』が生誕40周年を記念し再アニメ化決定

うぬるあああ。肝心の今川康宏がまったくノータッチらしいではないか。
ありえん!! なんでじゃー! 冗談は呉学人だけにしてくれい。

今回の企画は最初から今川氏抜きということで、OVA版のGロボとは完全な別もののようです。スタッフ陣も前作との接点なし、ストーリーもオリジナル。プロモーションムービーを見るに、なんかスマートな普通のロボットアニメっぽいものを作りたそうな感じ。これはあれですか、またビッグオーですかそうですか。ま、あれはあれで好きなんですけど。

いつか本当に、バベルの篭城編をアニメで見られる日が来ればいいのに。
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by umi_urimasu | 2006-10-26 01:19 | 本(SF・ミステリ)
「日本沈没」(上) 小松左京
a0030177_0155576.jpg空前の大災厄とそれに翻弄される人間の姿を国家スケールで描ききり、パニックスペクタクル小説の金字塔として名高い「日本沈没」。さすがは日本SF界の大長老たる小松左京、その代表作と言われるだけのことはありました。すごいのなんのってこれが。
「小松左京、一冊も読んでませんが何か」とかノホホンとぬかしていた一週間まえの僕にもし手がとどくなら、びんたのひとつも食わしてやりたい気分だ。


単純明快なタイトルが示す通り、これは日本列島が海の底に沈んでしまう話です。でも読みながら「ほんとに起こったら怖いなあ」と気にかける人はまずいないでしょう。一年や二年で日本全部が海に沈むなんて現実にはありえないんだから。

だが、そこをあえて沈める。可能なかぎり現実的に、ありとあらゆる影響をシミュレートし、どんな小さなことも書き漏らさずに。
小松左京がこれほどまでに現実性にこだわったのには、やはりそうするだけの切実な理由があったのだろうと思います。たぶん彼は、僕たちが今こうして謳歌している日本の平和と繁栄がじつはまったく砂上の楼閣にすぎないのだという「事実」に気づいていて、それを我々にも警告したいと強く願ったんじゃないだろうか。君たち呑気にかまえてるけど、けっこうマジにヤバいんだよ、と。

たとえば今晩、東京でマグニチュード8.5の直下型大地震が起こったら、という仮定を考えてみればいい。人口一千万のメトロポリスのど真ん中で、阪神大震災の数十倍のエネルギーが爆発したらどうなるか。東京全域がものの数分で地上の地獄と化すでしょう。そしてその程度の災害が、今まで起こらなかったから今後も起こらないという保証はどこにもない。
実際、今後数年から数十年以内にマグニチュード7級の直下型大地震が関東で起こる確率は70%ともいわれているそうです。
そう、まさしく一寸先は闇。

30年以上も昔に、地震学の専門家でもない一介の小説家の身でここまで考えぬいていた小松左京の先見の明と冷静な思考力には畏れ入るほかありません。

「日本沈没」上巻のクライマックスでは、列島沈没の序章として第二次東京大地震が起こります。東京の壊滅が見てきたような精密さで描破されてゆくさまは、こっちの気分が悪くなるほど真に迫っていて、無邪気にスペクタクルと呼ぶことに罪悪感すら感じるほど。


よく似たアプローチを試みた小説として手近で思いつくのは小川一水「復活の地」ぐらいですが、まともに比べるのはかわいそうな気もしてきた。知識の広さも小説技術も何もかも、小松左京と小川一水とではあきらかに格が違う。
世の中、上を見ればいくらでも上がいるもんだなあ……。


というところで、下巻の感想はまたのちほど。
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by umi_urimasu | 2006-10-21 00:16 | 本(SF・ミステリ)
「吸血鬼ハンターD」菊地秀行
a0030177_22542125.jpg核戦争によって荒廃した西暦12000年代の世界を舞台に、人に仇なす吸血鬼を狩るさすらいの狩人・"D"の活躍を描くSFファンタジーホラー活劇。

内容はとにかく活劇また活劇。「SF版忍法帖」という形容がしっくりきそうな作風ですが、山田風太郎の血を受けつつ、ごく最近の伝奇バトル系ノベルゲームやライトノベルに近い部分もかなりあるのが面白い。両極端しか経験していない僕にとっては、ようやく山風の直接的なフォロワーのひとりに出会うことができたぞ、という実感を得たところです。

しかし伝奇小説の道はけもの道。ローマは一日にしてならず。もっといろいろ読み比べてみねば。

ちなみに、文字通りのキワモノ小説「妖神グルメ」に比べると、娯楽小説としての一般性の高さはそれこそ月とスッポンです。この「D」なら、広い読者層に受けるのもうなずける。

菊地秀行が一世を風靡したのは1980年代。
僕自身は当時その人気にまったく気づいていませんでしたが、「D」シリーズは80年代を通じてかなりのヒット作だったようです。なにしろ日米で別々に映画化までされたぐらいだから、相当なものでしょう。そういえば小学校ぐらいのころ、本屋でよく見かけたという記憶だけは確かにある。
むしろ、今から思えば読まなかった理由がわかりません。エルリックサーガやアルスラーン戦記を楽しんでいたのなら、イラストレーターつながりで手に取っていても全然おかしくなかったはずなのに。それでも読んでいないということは、おそらく意図的に避けていたとしか考えられない。なぜだ。うーん。
自分のことながら皆目わからん。
普通に面白いのになあ。


一万年後の超未来に刀剣で吸血鬼ハンティングという、少々おっちょこちょいな設定について。
「D」の時代の地球は、はるか昔の核戦争によって人口が激減し、科学文明もすっかり後退しています。そこでこれ幸いと人類を蹴落として支配者の座を手にいれたのが、古代よりひそかに生きつづけてきた吸血鬼たちでした。超科学を手にした彼らは人類を奴隷化し、自らは「貴族」になってやりたい放題。しかし彼らも永い年月のあいだに種としての活力を失い、やがてふたたび勢いを盛り返してきた人類に追いつめられ、滅びの時を待つばかりとなりました。とはいえ、一人ひとりの吸血鬼の力はやっぱり強大で、普通の人間では手も足も出ない。そこへ登場するのが、人間と吸血鬼のあいのこ(ダンピール)として生まれ、吸血鬼に対抗する力と技をもった吸血鬼狩りの専門家、吸血鬼ハンターというわけです。昼でも歩ける"デイウォーカー"。人からも吸血鬼からも疎まれ、安息の地を探し求める放浪者。「ヴェドゴニア」のモーラや映画のブレイドもこのお仲間なのですね。
ただし本作の主人公"D"はダンピールのなかでも特別で、由緒ある血統の吸血鬼よりもさらに古い何者かを体のなかに飼っているという設定が与えられています。しゃべる人面疽が手のひらに現われて、斬殺されてもすぐに生き返るし。そのあたりの謎は、第一巻ではあまり明らかにされませんでした。Dの本当の正体については今後のお楽しみということか。
でもシリーズは17巻もあっていまだに続いているので、全部フォローするのは正直きついかも。


菊地秀行と山田風太郎のあいだを埋める作品を別にさがすか、または山風からさらに時代をさかのぼる方向へ足を伸ばそうかとも思っています。日本伝奇小説の歴史については、時代順にまとめられた伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門がものすごく参考になる。これをガイドに歴史を漁ってみるも一興ならん。


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ヴァンパイアつながりで、萩尾望都「ポーの一族」にも挑戦してみました。とてつもない作品で、むちゃくちゃ読み疲れする。第二巻なかばでぐったり。休憩中。

平行して、永野護「ファイブスター物語」も再読開始。長命種族の孤独と悲哀というテーマでつなげられなくもないんですが、これまたとてつもない作品で以下同文。12巻に到達するまでにどれだけかかるやら知れたものではありません。

そして特に何のつながりもないけど、「シグルイ」にも挑戦中。とてつもない以下同文。すげえ!

それにしてもヘヴィな漫画読みすぎ。「よつばと」の反動かなあ。


次の小説は小松左京の「日本沈没」。とてつもないので以下同文。さすがだな。
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by umi_urimasu | 2006-10-14 23:24 | 本(others)
「くノ一忍法帖」山田風太郎
a0030177_2330751.jpg人技の域を越えた面白さ。文章が神すぎる!
天才ってのはこういうのを言うんだろうなあ。


時は元和元年。落城間際の大阪城から救い出された千姫の侍女の中に、五人の女忍者がひそかにまぎれこんでいた。彼女たちは真田幸村の密命を受け、豊臣家再興の祖となる秀頼の子種をその腹に宿していたのだ。それを知った家康は、今度こそ豊臣の血を根絶やしにせんものと半蔵配下の伊賀忍者をさしむける。襲いくる伊賀鍔隠の精鋭に対し、ふくらんだ腹を抱えて迎えうつ五人のくノ一。凄惨無比の死闘を最後まで生き残るのは、男か、それとも女か───。


昭和生まれで「くノ一」の意味を知らない人は、この日本にはまずいないでしょう。その言葉を世に広めたきっかけが山田風太郎の「くノ一忍法帖」他の忍法帖シリーズであるという事実も、それなりに有名でしょう。ただし、元の小説自体はその単語の知名度と同じほどに広く読まれているわけではたぶんない。このためか、世間一般でいう女忍者のイメージとこの作品で描かれているオリジナルとの間には、かなり大きなギャップがあるようです。

映画やテレビでおなじみの女忍者像──紫頭巾でうっふ〜んとか──は、じつは山風の描く女忍者にそなわった鮮やかさ、鋭さ、妖しさ、艶めかしさの百分の一すらもそなえていません。
ってのは言いすぎかな。しかし少なくとも、僕が受けたイメージの落差はそれぐらい激烈なものでした。この作品のおかげで、僕は自分のイメージがオリジナルに比べてどれほど壊滅的に貧困であったかを思い知って、もう自分で自分に呆れはてた。なんとふがいなき我が想像力よ。


風太郎が描いた本来のくノ一像は、たとえば水戸黄門に登場するかげろうお銀みたいなのと同じイメージで扱ってよいものではありません。もっとずっと美しく、おぞましく、力強く、そしてはかない存在です。
もちろん水戸黄門がダメだと言うつもりは毛頭ないんですが、ポイントはそこじゃなくて。映画やテレビの表現は大抵、あらかじめほとんど毒が抜かれていて、本を読む者にとってはそうした解毒ずみのイメージしか知らない(ことに気づかない)というのがマズいのです。
これはたぶん「読み手としての性能」にかかわる問題だと思う。人畜無害な想像力では、つまらない読書体験しかできない。面白い本を面白く読むには、それなりに鍛えられた想像力を持っていなくてはならない。ではそうなるためにはどうすればいいか。
答えは簡単、有害な本をたくさん読めばいい。

今、僕の脳裏にはかげろうお銀に代わって真田方のお由比やお眉の戦う姿が鮮烈に浮かんでいますが、これがすなわち、僕の読者としての性能が上がったということだと思います。こんなにも恐ろしい女忍者を思い浮かべて、これからは他の小説を読むことができるのだから。

というわけで、本日の教訓は「自分の想像力に満足してちゃダメ!」でございました。
僕みたいに「くノ一」と聞いてもせいぜい水戸黄門ぐらいの絵しか思い浮かばないという人にとって、この作品から受けるインパクトはそりゃもう絶大なはず。経験者は語ります。エロいの嫌いとか言わずに一度読んでみてもらいたい。ブッ飛ぶぞ。

あと、「魔界転生や柳生忍法帖クラスの超A級傑作に比べたらさすがに見劣りするだろ? じゃあパスでいいや」という人にもね。

山風を甘くみたらあかんで。


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余談。
ジョジョの奇妙な冒険と山風忍法帖の関連について論じた言説はどこかにないものでしょうか。小説と漫画、まったく異質な表現形式なのに、この両者は狙っているものがとてもよく似ている気がする。

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回想。
山風をまだ知らなかったころ、忍者ものといえば司馬遼太郎の「梟の城」が好きでした。でも映画版を見てめちゃくちゃ失望した覚えがある。あのトラウマを癒すために、そして山風と比較するために、いま一度原作を読んでみたいと最近思いはじめた。でも本をどっかへなくしてしまった。文庫本って読みたいときになぜか見つからんよなぁ。
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by umi_urimasu | 2006-10-07 21:31 | 本(others)
月刊COMICリュウ 創刊号
a0030177_19463782.jpgルー=ガルーのコミカライズに釣られて購入。ビッグネームと呼ばれる作家の名が踊る紙面に温故知新的な出会いを求めて読んでみたのですが、結果はどうだったかというと……



宮部みゆき×中平正彦「ドリームバスター」

現実と夢のあいだを行ったり来たりのファンタジーアクション。パプリカと和製RPGの世界観をくっつけたような路線と言えば近いかも。面白そうではあるものの、冒険野郎シェンのコスチュームが頭の弱いラノベみたいなのが泣けます。宮部みゆきは数冊読んでみて「火車」以外があまり合わず、最近は敬遠中。

京極夏彦×樋口彰彦「ルー=ガルー」

意外にも好感触。萌え記号の導入、プロットや人物像の大幅な改変など、ほとんど設定だけ借りた別作品になってはいますが、京極の忠実な漫画化なんてそもそもできるわけがないんだから、むしろ盛大に壊してくれて正解だったんじゃないかと思います。
葉月が何かというとすぐに鼻血を出したり歩未や美緒との関係があからさまに百合っぽいのはどう見てもラノベリーダー対策。「30才以上推奨」と謳っているらしいこの雑誌の中では、それが逆に異彩を放っているのがなんだかおかしい。

遠藤浩輝「Hang II」

天からワイヤーでつり下げられた陸地に住む人類。なんかデルタベルン(→フロートテンプルね、そうそう)みたいだな。なぜワイヤーで吊られているのかはわからない。ワイヤーの出所もわからない。とにかくただ吊ってある。じつにSF的な舞台です。でも物語のほうは高校生ぐらいの雄と雌がやることヤってるだけのいつもの遠藤浩輝。

コミックアンソロジー「日本ふるさと沈没」の広告
うおっ読みたっ! 日本各地が沈みます。あなたのわたしのふるさとが。小松左京公認。

吾妻ひでお「不条理日記2006」
元ネタがはっきりわかったのは「宇宙消失」「太陽の簒奪者」「あなたの人生の物語」「漂った男」「魍魎の匣」「万物理論」ぐらい。あとはさっぱり。SFに詳しい人、もしよければ教えてください。

梶尾真治×鶴田謙二「おもいでエマノン」
原作未読。鶴田謙二の絵は大好きなんだけど、連載漫画としては分量が少なすぎるし物語としては進みかたが遅すぎる。これを雑誌連載で追うのはつらいぞ。

安彦良和「麗島夢譚」
倭冦の少年の活躍を描く歴史活劇。安彦の絵は中略なんだけど連載漫画としては分量が後略。

大塚英志×騎崎サブゼロ「三つ目の夢二」
竹久夢二が主人公の大正幻想譚。絵は中略だけど連載漫画としては後略。

石黒正数「ネムルバカ」
短い断片的な作品ばかりが並ぶなかで、起承転結よろしく必要十分なボリュームのストーリーが読める数少ない例外。学生たちの平凡な日常をなにげなく描きながら、なにげなさの中に垣間見えるドラマの欠片が読み手を引きつける。収穫でした。

ひらりん「のろい屋しまい」
幼女魔法使いコメディ。絵がうまい。

監督:押井守「女立喰師列伝」
はいはいアヴァロンアヴァロン。

後半へいくほど投げやりですね。すみません。誠意が足りません。
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by umi_urimasu | 2006-10-01 19:57 | アニメ・マンガ