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ハリウッド星団まで一千光年
ディカプリオその他

レオナルド・ディカプリオは、「美形俳優」「タイタニック」などの風聞による先入観からなんとなく敬遠してきた俳優です。しかし「ギャング・オブ・ニューヨーク」でついに見直しました。映画そのものは、マーティン・スコセッシ監督の腕力とダニエル・デイ・ルイスの存在感によって成立した良作でしたが、実際にはディカプリオも印象的な演技を見せています。何よりちゃんと見て「上手い」とわかったのは収穫。
同じく容貌で騒がれるブラッド・ピットも、「セブン」での鋭利な演技がプラスイメージとして焼きついてから注意するようになりました。トム・クルーズなども「マグノリア」でやっと上手さに気づいた口です。

おそらくそんなことは、本来考えるまでもないことなんでしょう。美貌だけでトップスターとして君臨できるほど甘い業界とも思えませんし。我々には、科白のニュアンスまでは聞き取れなくても、彼らの肉体的な表現に観客の目を奪うキレがあることはわかります。それは修練と才能の賜物であり、観客が俳優に求めるものも究極的にはそこにあるんじゃないかと思います。もしかすると、初めてフィルムの中の三船敏郎を見た欧米人たちも、言葉はわからぬままにそういう演技のキレを感じたのではないでしょうか。
演技の力というものは、アクションやパニックものなどのめまぐるしい映画ではなかなか正確に測れない気もしますが、目立たなくても常時発揮されているはずです。こちらもそれに気づけるように、できるだけ注意して見たいものだと思います。バラエティニュースなどで取りざたされるスキャンダラスな側面とは全く別の次元において、彼ら俳優は貴重な芸術家なのですから。

え、タランティーノ?栗山千明?
ゴーゴーゆうばり!ゆうばりファンタスティック!ヤッヂマイナー!!

いやいや。キル・ビルは好きですよ。
モーニングスター最高。赤コーナー、ホブゴブ栗山〜。
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by umi_urimasu | 2004-08-31 20:23 | 映画 | Comments(1)
アフタヌーン古今東西
いやあ、手に取ったのいったい何年ぶりでしょう。なかなか貴重なウラシマ体験でした。「神戸在住」「ヨコハマ」「無限の住人」「蟲師」皆健在なようで何よりです。

「獅子狩り」(稲見独楽)

今回イチ押し! 四季賞受賞作品。
古代エジプトのファラオが行ったライオン狩りの儀式を素材に、スタイリッシュなアクション、微妙にベタだが力のあるギャグ、さらに古代人独自の想像力……というかむしろスタンド? とにかく異様な怪奇が顕現する様を描いた、秀逸な娯楽作品。砂漠の民が命がけでコントをかます突き抜けた明るさは、たとえるならポストパンク的「砂の惑星」。画力は第一級、とてもアマチュアとは思えません。
ハイレベルな新人に光を当てる見識にかけては、アフタヌーンには全幅の信頼を置いてきましたが、それは今もきちんと機能し続けてくれているようです。久しぶりに手にとって、思いがけず斬新でパワーに溢れた漫画を読むことができたりすると無性に嬉しい。

蟲師(漆原友紀)
作風は少しさっぱりしてきました。自然に対する畏怖と閉鎖的なコミュニティの薄暗い人間関係の綾が、以前はもう少し強く絡み合って描かれていた気がします。個人的には、そういう粘性の高い方がより伝奇っぽくて好き。
ところで、ギンコの原型はやっぱり「ブラックジャック」ですよね。みんなそう思うよね。

神戸在住(木村紺)
永遠の日常。鮮やかな描写力です。
この連載が始まったばかりの頃、作者をしばらく男性だと思い込んでいて「よくもこういう繊細なものを描けるなぁ」と感心してました。で、何かの拍子に「あ、女性なのか」と気づいて納得した覚えがあります。でも実は性別不明らしい。結局どっちなんじゃい。
阪神大震災を、被災者の視点できちんと取り上げた数少ない漫画作品のひとつでもあります。

ヨコハマ買い出し紀行(芦奈野ひとし)
話、進んでねぇー……。嘘偽りなく、本気で時の流れがゆるいらしい。

under current(豊田徹也)
とても巧い。うまいのはいいが、ちょっと科白が多すぎやしませんか。

無限の住人(沙村広明)
まだ仇討ちやってたのかよォォ! 放っとくとそのまま明治時代になりかねん。ちなみに今回、むげにん本編よりも「どろろ」PS2版の広告漫画の方がより笑えます。「どろろ」知ってると爆笑。
この人は、長い話よりも醒めた笑いを短く凝縮した作品の方が絶対にいい。
というわけで卍さん、そろそろ死んでおくんなまし。

EDEN(遠藤浩輝)
もう何がなんだか全然わかりません。

リトル・フォレスト(五十嵐大介)
「はなしっぱなし」のシュールさが懐かしい。若いもんは知らんかのう。ふがふが。

ほしのこえ(佐原ミズ)
今ひとつな印象。アニメーションの方は高く評価しているのですが。

ヤンキー烈風隊(高橋ツトム)
嘘です。ごめん。「爆音列島」という作品です。
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by umi_urimasu | 2004-08-30 15:11 | アニメ・マンガ | Comments(0)
「残像に口紅を」筒井康隆
世界からは既に「@」と「∀」と「:」が消えている

これ、もし本当に消えたら……なんか全世界のネットが機能麻痺に陥って大混乱になりそうですが。あと2chも壊滅の憂き目に。ターンエーも黒歴史扱いに。そんな世界、困ります。

これは世界から平仮名がひとつづつ消えてゆき、その仮名を含む言葉が示す物や事象も一緒に消えていく中、残された言葉だけで小説を綴るという試みを実行した小説です。作者本人がキーボードに画鋲を貼り付け、消した文字を使えないようにしながら書いたといういわく付きの作品。終盤では五十音+濁音・撥音のほとんどが使用不可となった状態で、気迫というか執念というか、ぎりぎりの緊縛状態で物語が紡がれていきます。
こういった場合に、読み手の期待するものは「文字制限というハンデをどうやって克服するか」でしょう。これはまあ、論より証拠という奴です。無理だと思うのが普通。しかし筒井康隆は普通じゃない。本来なら平仮名をいくつか削っただけでまともな文章すら書けなくなってしまうであろう所を、作家本来の文体を可能なかぎり維持しつつ、家庭の崩壊、作家の生態、現実と虚構の混濁、ついには昼下がりの情事(エロエロよー!)までをも描破するという離れ技に及びます。
感心というか、呆れました。よくもまあ、そこまでする。

仕事にキーボードを使う人ならば、キーがひとつ死んだだけでテキストが全く書けずお手上げ状態になってしまったという経験があるかもしれません。僕は何度もあります。あれは腹が立つ。「まだだ、たかがDeleteキーをやられただけだ!」などと強がってみても、凡人たる我々にもニュータイプの如き閃きでテキストが書けたりという都合のいいことはありません。人がそんなに便利になれるわけはないのです。
うー、つまり要するに。言葉にほんの小さな制限を科すだけでも、現代人にはそれが巨大なストレスになるという事を言いたいわけだ。だとすると、その制限をエスカレートさせつつこれだけの長さの物語を書き切るなど、きっと想像もつかない業苦でしょう。いわば、足の指だけでフルマラソンをやるようなもの。
しかし一方で、縛られた状態でなお表現を試みるという行為に伴う快感も確かにあり得るのです。虚構にしか存在し得ないマニアックなマゾヒズムですが、何となく解る気もする。不自由なコンディションでどこまでやれるか試したいという欲求として。こういうの、誰にでもありそうですよね。
まあ読者にしてみれば、作家が苦しみながら戦う姿をパフォーマンスとして楽しむだけで済みますが、実際に文章という己の仕事道具でそんな真似をする人はかなりレアでしょう。文を紡ぎ虚構を作り出すという表現欲が、そこまでがんじがらめに縛ってもまだ止まらないという業の深さ。それがこの作品に妙な畏怖を感じる原因かもしれません。

抑制されたためにかえってより強く作家のエゴが迸ろうとする、そんなテンションの高さを内包した、血戦の記録。やはり単なる笑いだけでは済まされず。


え、オリンピック?
なんですか、それは?
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by umi_urimasu | 2004-08-30 09:21 | 本(others) | Comments(0)
「蒼天航路」 第32巻
説着曹操曹操就到 ー振り返れば奴がいるー

李学仁(原作)+王欣太(作画)。

読みました。けっこ感動しました。この人たち凄いです……。
週刊モーニング本誌で見かけるたびに「いやぁやるなーこいつら」と感心してはいたのですが、一度も単行本という形でまとめて読んだことはなくて。しかしこれを見てはもはやスルーしていられません。圧倒的な画力、躍動するキャラクター、緻密な歴史考証。なんかあれだ、ベルセルク級のパワーを感じるぞ。我が魂魄に賭けて全巻読破を誓います。いつかそのうちに。
我向老天爷誓読破蒼天航路! ほぁたー!

でもな、「ネオ三国志」っていうアオリ文句はどうかと思うぞ。むげにんかて「ネオ時代劇」やないか、永井豪かてネオデビルマンやないか。「ブラックジャックによろしく」かてネオ医療ドラマ………さすがに言わないですね。
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by umi_urimasu | 2004-08-27 19:58 | アニメ・マンガ | Comments(2)
「幼年期の終わり」アーサー. C. クラーク
60億人のあっち向いてホイ

人類の終焉をクラークらしい生真面目な筆致で描いた、地球滅亡のスペクタクルSF。
人間の精神が、ある世代を境に人類的規模で変質し始め、最後には宇宙的知性に統合されていくまでをディテールにこだわって描きます。要するに「人間はどこから来てどこへ行くのか」というテーマですね。ちょっと無理ねーか? という気もそこはかとなくしますが。

SFに限りませんが、小説なり何なり虚構にたずさわる者が選ぶテーマは、大きく二つの派にわけられるのではないかという気がします。「まだ無い何かを求める」派と「手で掴めるものだけを取る」派です。空想主義に対する現実主義と言ってもいいかもしれない。もちろん両者は入り混じっていますが、宇宙と人類の関係を語ろうとするときのクラークは限りなく前者だと思います。
けれど、人類の行先を脳内でぐつぐつ煮詰めるみたいな話は昨今では全く流行りません。そんなこと考えてる場合じゃねーとみんな思っているのかもしれません。僕自身もそんな四角いスタイルに付き合う気はさらさらなくて、クラークだって特に好んで読むというわけではないです。それよりは、さらりまんブラックなスーツ姿で怪しい混ぜ物でブットンで単分子ワイヤで夢幻の住人ごっことかそういう方が好みです。どうも根っから快楽主義者らしい。

「宇宙の果てはどうなっているか」とか「人類の限界のその先は」という気宇壮大なテーマを考えるとき、そこに何がしかのロマンを感じる人はどのくらい居るものでしょうか。それなりに居るかもしれません。クラークもきっとそうなのではないかと、根拠はありませんが思っています。それは作品の題材の選び方からも想像できるし、「幼年期」のクライマックスのくだりにもそうしたロマンの匂いがするからです。記憶が少しあやふやですが、文章もやや叙情的な方向に傾いているようでしたし。
でも僕はそういうロマン回路のない人間です。単に知性が足りないだけなのかもしれませんが、それはさておき。
テーマ的に類似した「2001年宇宙の旅」を引き合いに出して言うと、「人間を越える存在」を扱いながらも、そこに具体的な感情を全く介在させず、説明さえも完全に排除したキューブリックの映画の方がクラークの小説版よりも好きな方です。その方が、「異物」から受ける衝撃がそのまま伝わる気がする。人間を越えた存在を人間のもてる概念で説明することはしょせん不可能だし、ならばいっそのこと、可能な限り人間性を排除した描写の方がよりダイレクトにそれを表現できるのではないか?と思っています。
もちろん個人の嗜好の問題なので、良し悪しの判断はできませんが。

あと「幼年期」で不思議なのは、ごく普通の人々についての描写があまりないことです。これってちょっと偏っている気がする。登場人物は皆かなりのインテリですけど、大多数のパンピーの末路ってのも重要な描写対象だと思うのですよ。

  「オーバーロード? なにそれ。ふーん。ねーちょっと聞ーてよー昨日さあ」
  「まっ何てハレンチなんざましょ」
  「たけやーさおだけ」

みたいな人々にも、少しでいいから地球滅亡の前に触れてあっても良かったはずなのに。主題にそぐわないといわれればそれまでですが、主題に対してものわかりのいいキャラクターだけしか登場させないというのは、どうもお上品すぎるように感じてしまうのです。
かといって、もしこの「幼年期」をお下品にやったとしたら……やっぱ「幻想の未来」みたいになってしまうのだろうか。
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by umi_urimasu | 2004-08-26 00:43 | 本(SF・ミステリ) | Comments(2)
オーバーマン キングゲイナー
『貴方もオーバーマンに乗る程の武士(もののふ)なら、恥を知りなさい!』

全26話をリピートした感想です。
とりあえず御大に一言もの申したい。

科白のセンスが変すぎる。

ま、今に始まったことじゃないですよね。
しかし、富野作品の面白さはやはり第一話に凝縮されるようです。それはこの作品でも不変。富野好きならば何をさておいても第一話と第二話は必見でしょう。決して説明的にならず、描写の積み重ねだけで世界観を理解させつつキャラクターの視点でどんどんその世界を広げていく手法、巧すぎます。冒頭の数話、怒濤の勢いで突き進む物語をがっちりと支える堅実な演出は、まさにガンダムを彷彿とさせてくれました。シリーズ中盤などで作画の質には時折不安を感じさせたものの、未来のシベリア世界を描き出すアイデアの力がそれを補って余りあります。

一方、大局的なストーリー展開やバランス配分は相当にいきあたりばったり的に見えました。でも開き直っているのか、あまり気にしてないっぽい。勢い重視です。回によって完成度の差が大きい気もしますが、調子がいい時にはもう天井ぶち抜きの素晴らしさ。第11話、14話などは会心の出来映え。特に11話のアナ姫、カッコよすぎ!

  「このオーバーマンのパイロット!
  こうやってわたくしを捕らえることが、貴方の目的なのでありましょうか?
  いいえ、そんなことでわざわざオーバーマンを此処に寄越しはしない筈です。
  キングゲイナーを倒し、ヤーパンの民のエクソダスを止めるつもりで此処に来ているのでしょう?
  それが卑怯にも女二人を盗み取り、その身を盾にすることで、何が叶うとお思いですか!
  貴方もオーバーマンに乗るほどの武士なら、恥を知りなさい!
  こんな卑屈な行為で、ピープルの心が変えられるものではありません!」


冒頭にも挙げましたが、これはインパクト絶大ですね。言われてみてぇー。

キャラクターの溌溂さやストーリーの勢いのよさは、富野総監督よりもむしろ脚本・構成の大河内一楼氏、浅川美也氏らの寄与によるのかもしれません。何となく、演出方法やセリフ回し以外の部分はあまり富野チックじゃない気がするので。キングゲイナーのオーバースキルなんかも、毎回変わったり増えたりしてるのに何の説明もなかったりしてものすごーく適当だったし。細かい事をいちいち気にするなと言う無言のメッセージなのかもしれません。

人物造形においても、過去の富野作品に比べてポジティブ&アクティブな面が強調されています。多彩なキャラクターが入り乱れますが、敵味方を問わず、総じて快活で愛すべき人間として描かれていました。個人的なお気に入りはアスハムとヤッサバ。どちらも現実にはあまり居そうにないマンガ的な高慢さや豪放さをもった人物で、分類するなら悪党タイプです。しかしそれは、己の定めた目的のためには卑劣な事もセコい事も厭わぬという気概故であり、むしろそのなりふりかまわぬ態度に象徴されるバイタリティこそが彼らの魅力。覚悟をもって「悪い事をやれる」悪役というのは、半端なヒーローよりもかえって魅力的に見えたりするものですが、彼らはまさにそういうキャラクターでした。

物語のラストは「え? これで終わり?」という投げっぱなし的な畳み方です。しかし、だからといって落胆する必要もないでしょう。この作品はトータルバランスなど気にしない方が絶対に楽しめます。その場の勢いが全てということで。

というかザッキ! 貴様という奴は!

俺は嬉し泣きに泣いたよ。

あと、オープニングアニメーションのセンスも秀逸。いったい誰ですかコレを作ったのは。今までにないものを生み出そうとするその心意気や良し。去年あたり目にしたTVアニメ作品の中でも、OPの印象は断トツでした。
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by umi_urimasu | 2004-08-21 10:45 | アニメ・マンガ | Comments(0)
「風の又三郎」宮沢賢治
クラムボンはかぷかぷ笑った派

ふつーに考えりゃ泡だろ、泡。まあ確かに、色々な読み方ができた方が楽しいでしょうが。

OK、やまなしゲット。
          ∧_∧
     ∧_∧  (´<_`  ) 流石だよな俺ら。
   ( ´_ゝ`) /   ⌒i
   /   \     | |
  /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/春ト修羅 / .| .|____
    \/____/ (u ⊃
      カプカプカプカプカプ・・・・

ちょっとぐらいずれてても気にしない。

冗談はさておき、「やまなし」は凄いです。幻灯に見立てた透過光の表現や、川の底に熟したやまなしの匂いが広がるラストのくだりなどはまさに絶美。ことオノマトペのセンスにおいて、宮沢賢治以来彼を越えたと言える日本人はまだ一人もいないのではないでしょうか。こうした自由奔放なことばのセンスに対しては、子供よりもむしろ、現代小説に慣れきった大人が読んだ場合の方がより大きな衝撃を受けるだろうと思います。子供はその美しさを強く感じたとしても、それを経験と比較して「凄い」とは思わず「こういうものなんだ」と素で納得してしまいそうですから。

収録作品の中には、非常に残酷な死をまるであたりまえの事のように扱ったものもありました。「フランドン農学校の豚」などの、童話というには苛烈すぎるカタストロフィ。これに限らず、賢治作品の中で扱われる死は、時に驚くほど冷めた描き方をされることがあります。ファンタジーとはいえ、多くの命を理不尽に刈りとってゆく自然災害や疫病などの禍いが、絵空事でもなんでもなく身近な現実として在った時代ならではの峻険さを感じてしまいます。
また、文庫本の巻末に年表がついていて、所々に「この年岩手県豊作」「凶作」などとわざわざ書いてあるのが痛々しい。これによれば「永訣の朝」は1922年、賢治26歳の時。厳しい時代だったからこそ、あのイーハトーヴという桃源郷が生まれ得たのかと思うとやるせないものがありました。


ついでといっては何ですが『注文の多い料理店』も勢いのままに読了。

ーーとりあえず、「水仙月の四日」と「鹿踊りのはじまり」。

この二本、万難を排して読め!

わが人生に一片の悔いなし。

【翻訳?】
日本という国で、宮沢賢治ほど作品の翻訳が困難な作家も珍しいでしょう。しかし無理を承知で英訳を行った試みは幾つかあるようです。もちろん日本語の豊穣なニュアンスは気持ちいいほどにすっぱりと抜け落ちてしまうわけですが、そこはかなり強引にやっているみたい。涙ぐましい努力だ。ぐぐったらこんなん出てきたので、参考までに。無断リンク貼っていいのかどうか知りませんが。
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by umi_urimasu | 2004-08-17 14:16 | 本(others) | Comments(2)
俺の精神テンションは今!小学校時代に戻っているッ!
えいえい。しごとの合間を縫いながら、数日間かけて選りわけたネタを放出しておきます。ソースを辿り直すのも手間なので、引用元の明示は割愛ね。ごめんなさい。

衝撃のアニメスペシャル 横山版三国志
ワラタっつーか、何なのよこれ……。もはや冒涜とかいうレベルを超越してます。人として許されると思いますか、ここまでやって。しかしこういう放埒さは実はけっこう好きだったりする。

ラジオ・ジョジョ体操第一
ほとばしる仙道パワーが健康的な波紋式体操法。既にあちこちで紹介されまくっているので今更ですけど、やっぱ面白かったです。通の笑いどころはやはり「つなげられた指先を大きく回して〜」の箇所だと思う。

あ、ジョジョ系フラで思い出しました。少し前のものですが「ハンティングに行こう」Flashはかなりの良品。未見の方はぜひぜひ、ぜひ見てくださいな。

雲の向こう、約束の場所(公式サイト)
新規カットを多数含む予告編は、夕焼けの田舎道、場末の飲み屋など、「ほしのこえ」以上に日本的なノスタルジーを強く意識させます。どことなく古き昭和の青春群像劇っぽくもあり。かなり美味そうに見えるぞ。地方でも公開してくれると嬉しいのですが。

【小説】
「R.O.D READ OR DIE」 倉田英之
ものは試しと9巻ヤクザ買いを敢行。非常に恥ずかしかったです。で、三、四巻ほど読んでみました。
………。
さすがにこれはちょっと、僕には向いてませんか。アニメの方は大好きなんですが。

【漫画】
「チャックのある風景」博内和代
これか!
やっと名前がわかりました。作家名もタイトルも忘れて久しい、アフタヌーン本誌で一度目にしただけの読み切り短編漫画でしたが、強いインパクトを受けたことだけは記憶してました。日常風景の中のありふれた物体になぜかチャックがついていて、それを開けると……どうなるんだっけ? もうすっかり忘れてます。しかし非常にシュールな空虚さが際立つ作品でした。アンソロジー等には未集録のため、現在では読むことさえ困難らしいのですが、そう言われると読み直したくなるのが人情。はがゆい。

レアものついでに思い出した漫画、「福神町綺譚」(藤原カムイ)について。当時としてはユニークな、ネット会議室と紙媒体の漫画をクロスオーバーさせた虚構ゲームです。初めて発見した時は、漫画版「朝のガスパール」じゃねーか!とむやみに喜んで単行本を探し回った覚えがあります。まだ続いてるのかな?

【アニメーション】
オーバーマン キングゲイナー
さすがは御大将閣下。作品世界の設定だけでもご飯三杯はいけそうです。表面的な物珍しさだけではなく、ちゃんと人間の住む世界として作りこまれているのがいい。だからこそ、ストーリーで無茶をやっても作品が持ちこたえられるのだと思います。アニメーションという形式の醍醐味は、不可能なはずの表現がまかり通ってしまうという意外性にこそあるのですから。
んなわけで現在リピート中。そのうちレビュー書きます。
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by umi_urimasu | 2004-08-15 22:34 | アニメ・マンガ | Comments(2)
「空の境界」(下) 奈須きのこ
アラヤさまがみてる(嫌

リアル書店で本を買うことなど絶えて久しかったのですが、ぷらっと街へ出てたまたま入った本屋にドンと並べてあったので、つい。上巻の大部分はweb公開分の再録らしいので、ケチって下巻のみ購入。
内容はもう繰り返すまでもありませんが、世間を騒がす猟奇殺人、魔術と刀の対マンバトル、淡く微妙な恋心。要するに月姫。以上。しかし面白い! 予想以上に歯ごたえはありました。一文一文に全身全霊をかけて咀嚼しなければ読めないという程ではないですが、風呂でふにゃーと弛緩しつつ流し読むにはちょうどいい按配。また、その軽さにこそこうしたライトノベル形式の真価があるとも考えられます。

収録されたエピソードの中で特に興味深いのはやはり、主人公の精神構造に踏み込んだ「殺人考察」。三重人格で記憶喪失で殺人嗜好症というとんでもないキャラクターの心理描写に、特殊な設定の上でとはいえそれなりに説得力をもたせてしまったのにはちょっと感心しました。
両儀式の人間像は、普通の人間がもつ様々な感情や雑念の類をほとんど削ぎ落とした、いわば「骨格だけの精神」です。ぶっちゃけ単なる廃人。それでも一応まともに日常生活を送っていられるのは、うわべの性格を殻にして内面の虚無を囲っているから。そんな式という少女を自発的に動かす原動力は唯一、抑えがたい殺人への欲求だけであり、それは自己の内面の虚無を見つめ続けることで育んだ純粋な自殺願望の裏返しでもあります。こんな極端なパーソナリティを作るにはいったいどうすればいいのかというと、まず完全な二重人格を作り上げ、そのうち片方を完全に消去し、さらに記憶喪失にして自己同一性を奪う、というおよそ無茶苦茶な手順を踏まねばなりません。さすがにそんなものにリアリティはありませんが、奈須きのこはこれを何とか説明しようとしています。
ちなみに式の空虚を埋める存在として「あらゆる存在を許し、救い、何も求めない、完全に無力な男」ーーぽややんヒロイン・黒桐幹也を登場させ、恋愛ドラマを請け負わせていますが、これはまあ客寄せ用のふろくのようなものかと。

奈須きのこの小説がちょっと極端なのは、人格の構成要素を極端に削ぎ落とした、単一の行動原理に従うマシーンのような人物「しか」出てこないという点です。魔術師や異能力者だけでなく、日常を代表するキャラの黒桐幹也にさえこれがあてはまります。そのため、人間描写において本来なら当然あり得る複雑な心理の綾などが全く生じず、全ての人間関係は例外なく戦いに帰結し、相手の存在を完全に否定するか完全に受け入れるか、「0」か「1」か、という状況にしかなりません。これはある意味ではちょっと退屈な世界です。拡張性に乏しく、ドラマ的にもマンネリに陥る危険が多い。個人的には、現実的な「常識」を体現する人物が作品中にもっと居たなら、式のような虚無的な人間像との対比にも複雑さが増えて面白くなるのでは? と思っています。もちろん、そういうリアリティを全廃するというのもひとつの選択であり、「空の境界」の場合はそのおかげで無駄のないキレイな作品に仕上がっているのですが。
この人、日常をリアルに描きたいという表現欲がないのかなぁ。

一方、極端な作品世界を破綻させずに日常につなげることの可能なジャンルこそライトノベルだという視点もあり得ます。妄想のぬるま湯的な心地よさ、ご都合主義的な恋愛、これらは当然ながら虚偽の日常なのですが、もしかするとその虚偽にだって何か面白い意味づけが出来るかもしれないし。「忘却録音」みたいなエピソードは、まさにそうしたラノベ的な日常幻想を「境界」の前面に押し出す試みです。ミッション系の百合の園で、秋葉ばーにんぐな妹がさんざん空回りしてマリアさまも月までブッ飛ぶ怨念渦巻くサイコミステリー。もう少しストイックな作品だと思っていたのにっ。

何はともあれ、たった1200円で意外な程楽しめてしまいました。というか、テキストだけでこれ程に満足できるのなら、高い金を払ってType-Moonのゲームを買う必要ってあまりないんじゃ?と思わないでもない。

なんてーーーコト。
だっていうのに、まだーー Fate Stay/Nightを、欲しがってるーーー


Fateやりたいです。そんな暇ないけど。いつか、きっと、そのうちに。
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by umi_urimasu | 2004-08-12 21:12 | 本(SF・ミステリ) | Comments(0)
「わが愛しき娘たちよ」 コニー・ウィリス
つるくるシーツでウルトラC・ムーンサルト合体!(死

久しぶりに再読。つってもこれしか読んだことないんですが。
やはり名うての技巧派、読ませ方がやたら上手いです。最後の最後まで全貌を掴ませず、何度読んでもそのたびに「あれ?」とページを繰り直してしまう。この「かわし・焦らし・ほのめかし」のテクニックはもはや芸術の域。
しかし、全体的には丁寧に作り込まれつつもおとなしめの短編が多い中、タイトル作品のヤバさは群を抜いて目立ちます。どーぶつがアレ代わりなんて、ぶっちゃけありえな〜い!調の攻撃的文体、そして放送禁止用語が乱れ飛ぶきわどさ爆裂の内容。お子様には少々刺激が強すぎる。ただし、主人公の少女が負っているモラル観や問題にされている男権思想にはそれほど新しさも独自性も見受けられません。

今読んでもなお衝撃的なのは、テーマの直截さよりもむしろ、読み手を自在に引っぱり回せる高い技術力の故ではないでしょうか。コニー・ウィリスやティプトリーといった女性SF作家たちの作風に対していつも感じるのは、「情報操作」への執着とそのテクニックの洗練です。与える情報量を巧みに制御し、舞台装置や仕掛けについて明確な説明を避け、タネ明かしまでじわじわと引っぱる手法が多く見られる気がするのです。冒頭の数行だけではどういう文脈なのか全く予想できず、最後まで読んでさえ今イチぴんと来ない、ということもしばしば。そこに一種の耽美主義というか婉曲性嗜好というか、何やら女性的なものを嗅ぎ取れるような気もするのですが、どんなもんでしょう。

短編の多彩さをみてもわかるとおり、コニー・ウィリスという人は非常に器用な作家です。「我が愛しき娘たちよ」のような尖った作品からハードな終末SFやふざけたコメディまで、何でもサクサクさばいてしまいます。女性的な感性が露わな作品には男としてちょっと読み疲れを感じてしまう時もあります(なので実際にリピートした回数はそれほど多くない)が、それでもやっぱりこの手際は見事だと思う。数年に一回ぐらいのペースなら、何回読んでも永遠に飽きが来なさそう。
収録作品はいずれ劣らぬ佳作揃いですが、個人的ヒットは「鏡の中のシドン」。とある娼館を舞台に、他人の人格をコピーする超能力者のピアニストと、はかなげな美しさをもつ盲目の娘とが織りなす甘く残酷な悲劇の顛末。淡々とした描写の中に愛憎が絡み合う官能的な雰囲気に、切ないラストが泣かせます。

しかし、この磨き抜かれた技術をもって書かれたウィリスの長編作品を未だに読む機会がありません。「ドゥームズデイ・ブック」など太鼓判付きの長編も、いつか読もうと楽しみにしてはいるのですが、その気になるのはいつの日か。
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by umi_urimasu | 2004-08-08 19:03 | 本(SF・ミステリ) | Comments(3)