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トールキン「ホビットの冒険」訳文チェック
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a0030177_2041041.jpga0030177_2041714.jpgものすごく指輪好き限定な話題であれなのですが。「ホビットの冒険」を久しぶりに読みました。なんと美しい日本語であろうかといつものように感心し、次いで自然な反応として、「原書と翻訳ではいったいどんなふうにちがうんだろう」という興味がふわふわと出てきました。そこでためしに、適当に何箇所かえらんで原文と訳文をつき合わせてみました。(べつに誤訳探しをしたいとかいうわけじゃなくて、単純に文章の意味上の差分が知りたかったので。)  ただ、じつは僕はホビットの原書をもってないので原文はフリーの引用文集 The Hobbit - Wikiquote からの引用です。そもそもこのサイトの文が正確かどうかわからないし、版数も不明なんだけど、とりあえず訳の底本と同じものと仮定。

"Farewell, good thief," he said. "I go now to the halls of waiting to sit beside my fathers, until the world is renewed. Since I leave now all gold and silver, and go where it is of little worth, I wish to part in friendship from you, and I would take back my words and deeds at the Gate."

「さらばじゃ!わがしたしき忍びの者よ。」とトーリンはいいました。「わしはこれから、父祖のかたわらにいこうはずの天の宮居におもむくのじゃ。この世がすっかりあらたまる時までな。わしはもう、ありとある金銀をすてて、そのようなものの役立たぬところへおもむくのじゃから、心をこめてあなたとわかれたいと思う。わしが表門のところであなたにあびせたあの言葉とふるまいを、きれいに水に流してほしいのじゃ。」
halls of waiting (待合室)を「天の宮居」とは、なんとも古風な趣のある訳し方ですね。自分で原文を読んでも到底こんな美しさは読みとれません。そういうところはやっぱり瀬田訳の存在がありがたいです。in friendship はあえて友情といわず「心をこめて」になってる。瀬田氏も泣きながら訳したといわれるだけあって、なんかこう思い入れだばぁな感じ。

"There is more in you of good than you know, child of the kindly West. Some courage and some wisdom, blended in measure. If more of us valued food and cheer and song above hoarded gold, it would be a merrier world. But sad or merry, I must leave it now. Farewell!"

「あなたの心のなかには、あなたが知らないでいる美しさがあるのじゃ、やさしい西のくにのけなげな子よ。しかるべき勇気としかるべき知恵、それがほどよくまじっておる。ああ、もしわしらがみな、ためこまれた黄金以上に、よい食べものとよろこびの声と楽しい歌をたっとんでおったら、なんとこの世はたのしかったじゃろう。だが、かなしいにせよ楽しいにせよ、もうわしは、ゆかなければならぬ。さらば、じゃ!」
・ 原文では「あなたが思っている以上の美しさ」という比較構文。
・ 「やさしい」はビルボにかかっているのかと思ってたけどじつは「西のくに」にかかってる。
・ 「けなげな子」は原文ではただの child。
・ some に「しかるべき」の意味はないだろうけど、in measure の意を汲んでこうしたのかも。
・ 単なる ferewell! をちょっと変えて、末期のひと息が表現されてる。こういう演出はやりすぎちゃうとまずいのかもしれない。どの程度までやっていいのか、素人が良し悪しをどうこう言えるものじゃなさそうですが。

"Surely you don't disbelieve the prophecies just because you helped them come about. You don't really suppose do you that all your adventures and escapes were managed by mere luck? Just for your sole benefit? You're a very fine person, Mr. Baggins, and I'm quite fond of you. But you are really just a little fellow, in a wide world after all."

「あんたも、予言を信じないわけにはいくまいよ。なにしろあんたも予言の実現には手をかしたひとじゃからな。ところであんたは、あの冒険がすべて、ただ運がよかったために、欲の皮をつっぱらせただけで、きりぬけたと思っとるのじゃなかろうね。あんたは、まことにすてきなひとなんじゃよ、バギンズどの。わしは、心からあんたが好きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間からみれば、ほんの小さな平凡なひとりにすぎんのだからなあ!」
ここは奇妙。「ところであんたは」と話を切り替えてしまっちゃいけないんでしょうね、ほんとうは。ホビット中のガンダルフのセリフで、たぶんいちばん指輪物語全体のテーマに近づいている大切な部分です。原文の論理を維持しつつ、もし僕なりにここを訳すとしたら、こんなふうにするかなあ。
「ビルボよ、あんたはまさか、自分のおかげで予言が成就したから予言を信じざるをえないというのじゃなかろうな? あの冒険と脱出がすべて、あんたひとりだけに都合のよい、単なるまぐれで成しとげられたものだと思っているのじゃなかろうな? あんたはまことにすばらしい人物じゃ。だがそのあんたとて、この広い世界の中では結局ほんのちっぽけな存在にすぎぬのじゃぞ。」
こうしていくつかのサンプルを見てみたかぎりでは、瀬田訳は原文の本来の意味からかなりあちこち細かくいじってあるようにみえます。まあでも、改変が多いというのはむしろありがたいことのような気もする。トールキンのオリジナルと日本情緒満載の瀬田訳版、仮に中身が異なっていても両方すばらしい作品にはちがいないから。指輪とホビットがそれぞれ日英2バージョンずつ楽しめるなんて、僕としてはそれこそ願ったり叶ったりというものです。そんなわけで、わしら原書をちゃんと読破するという野望を新たにしたよ、いとしいしと!ゴクリ。

それにしても翻訳とは油断ならぬものよな。ふだん日本語で読んでいる海外小説の大半は、じつは原作とはほとんど別モノなんだということをもっと認識すべき。

以下余談つれづれ。
今回のホビット再読については、今まであまり突っ込まなかったビルボの冒険の背景事情などもちょっと味わってみたいと思って、追補編をぱらぱらしながら読みました。これはわかりやすい。ドワーフがオークを目のかたきにしたり、モリアやエレボールにあれほど固執する気持ちがだいぶ理解できました。ホビットの内容だけだと、財宝をひとりじめしようとしたトーリン・オーケンシールドは頑迷で強つくばりなやつという印象をもってしまいかねないんですが、ドゥリン一族の凋落ぷりと再興の望みのなさを思うと彼にも同情せざるをえない。彼の立場なら誰だってあのときはああいう態度をとるしかなかったかもしれない。哀れなる山の下の王よ。

あと、ホビットの冒険では詳しく書かれてないけど、ガンダルフの思惑としては、サウロンを牽制するためにあらかじめエレボールをどうしても奪還しておきたかったらしいですね。その後の指輪戦争に勝利できたのもエレボールが取り戻されていたからこそであって、つまり元をたどれば彼とトーリンがたまたまブリー村でめぐり会ったおかげなのだ、と言ってるくだりが追補編にあります。指輪物語全体を通してのテーマのひとつは、ホビットのラストシーンでもそれとなくいわれている「大きな運命の流れの中で誰もが最善をつくし、小さくても大切な役割を果たす」ということだと思うのですが、中つ国全体のスケールでみて誰がどういうポジションにいたのか、ホビットの描写だけではつかみにくい。そうした広い視点をおぎなうのにも追補編は役にたちます。じつに有意義な再読でござった。

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チャールズ・ストロスのオールタイムベストアニメ
さりげなく灰羽連盟を混ぜてくるあたり、出来ておる

Amazon.co.jp: The Windup Girl: パオロ・バチガルピ
気になってる本。SFマガジンに載っていた「第六ポンプ」が面白かったのでちょっと注目。この長編もかなり評判らしいです。そのうち早川とかで翻訳されるかな。

[ニコニコ] 【PS3】 PS Home アイマスライブ 4回目 まさかのアクシデント
最近見たアイマス動画でいちばん笑った。メタバース内だって正座で反省会ができること、それが重要
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by umi_urimasu | 2010-01-27 20:29 | 本(others)
「柳生天狗党」 五味康祐
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a0030177_20324625.jpga0030177_2032565.jpg時代伝奇小説をここ数年で少したしなむようになったのですが、中でも柳生一族を題材にしたものには特別の興味をもっています。山田風太郎、荒山徹、隆慶一郎と流れてきて、最近のお気に入りは五味康祐。「お上のためならどんな汚れ仕事もあえてやる。その代わりいつでも腹を切る覚悟はできている」という武士の割り切りすぎな生き方を、美化するでもなく、貶めるでもなく、そういう時代だったからとしてただ淡々と描く、その透明な非情さのようなものがいたく僕の心の琴線にヒットするようです。そのうえガチでエンタメ、殺陣描写も抜群に美しい。

「柳生武芸帳」と「兵法柳生新陰流」につづいて、五味作品を読むのはこの「柳生天狗党」で三作め。1969年に新聞連載され、没後の1981年に単行本化されたものだそうです。内容はひとことでいうと「柳生武芸帳の軽量版」。徳川御三家のお家騒動にまき込まれ、政治の駒として使い捨てられてゆく柳生十兵衛の隠し子たちの運命が、非情に徹した筆致で描かれています。最初のうちはわりと気楽な雰囲気だったのが、やがて洒落ですまない事態となり、最後には関係者全員をだまして殺すことすら辞さない、という暗黒展開になだれ込んでいく。このダークさ、やるせなさに、なんかよく似たやつをかつてどこかで読んだようなおぼえが……と思ったら、マルドゥック・ヴェロシティでした。ああした板ばさみ的な苦痛に惹かれる人には、五味柳生はかなりおすすめではないでしょうか。

枠組みは基本的に柳生武芸帳に似ているものの、「天狗党」はストーリーの枝もキャラクター数も武芸帳に比べると小規模で、一応きちんと決着はつくようになっています。未完でない点はたいへんありがたい。ただ惜しいのは、終盤でいきなり話がものすごい駆け足になっちゃうこと。連載ゆえの事情とかがあったのかもしれませんが、強引に幕を引こうと無理をした印象は否めません。場合によっては主役級のキャラクターですら情け容赦なく殺される、その信じがたいあっけなさに呆然としてしまうほどです。そこまでの非情さでもって、組織の歯車として死ぬ以外の生き方が許されなかった、それが当然だった武家社会のありようそのものを五味康祐は表現しようとしたのだ、と読むのはいい方に解釈しすぎか。ともあれ、いろんな意味で終盤がキツい作品でした。

吉原や大奥が舞台になると、そこでの習慣や日常生活についてやたら細かいディテールを書き出すのがいかにも五味康祐らしいと思うのですが、執筆時期に10年以上もひらきがある武芸帳と天狗党でも、彼はやはり同じ手法をやっています。そんなところも武芸帳リメイクっぽい。将軍が御台所とHする際のしきたりとか、わりとどうでもよさそうなトリビア的情報を何ページもかけて説明したりするところまで一緒です。いったいどういうこだわりなんだろう。しかしおかげでどうでもよい江戸知識がまた少し身につきました。

さてと。次に読む五味作品はどれにすべい。柳生ものなら「柳生連也斎」は外せないか。柳生以外なら「薄桜記」あたりがよいかなとも思っています。「薄桜記」は忠臣蔵もので、荒山徹も大絶賛の作品だそうだし。「荒山氏絶賛」っていまいち素直に信用していいものかどうか不安な気もしますが。ともかく楽しみだ。

(追記)
「薄桜記」をゲット。解説が荒山徹だった。五味康祐の代表作が柳生武芸帳とか冗談じゃねーよ!といきなりたいへんな剣幕です。そして薄桜記そっちのけで熱烈プッシュしてるのが「黒猫侍」。「超が百億個ついてもまだ足りないくらいの大大大傑作」「ライトノベルの読者にこそ読んでもらいたい」だって。超が百億ってあんたは小学生かと。でもまあ、好き好き五味先生な気持ちは十分伝わった。
Amazon.co.jp: 黒猫侍 (徳間文庫): 五味康祐
これがそうらしい。うーん。一応確保しとくべきか……。

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「バレエ・メカニック」 津原泰水。
a0030177_2011125.jpg眠いときに無理して読んだせいか、幻想的なイメージの奔流としてしか把握できなくて、正直何がなんだかよくわからなかったという曖昧模糊たる読後感。「都市が人間の脳の機能を代替する」というSFっぽい着想をベースにしながらも、ひたすら夢が現実を侵食するパプリカ的酩酊感に最後まで翻弄されてました。ARネタも出てくるけど、サイバーパンクってよりは感傷的な幻想のための魔法のメガネ扱いだったような。うーん。こういうものはあれだ。考えるな。感じるんだ。とリーさんが言っていた。そうしようそうしよう。

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山田芳裕、モノホンの古田織部についてNHKで語る
2月10日(水)22:00 NHK総合。へうげもの。見るしかないでござるよ。

[画像] 日本の甲冑は世界一美しい。
日本にかぎらず世界の甲冑画像スレ。すごい。インドやアフリカの鎧もあり
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by umi_urimasu | 2010-01-18 21:10 | 本(others)
「洋梨形の男」 ジョージ・R・R・マーティン
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a0030177_20542746.jpgなぜだろう。どこにでも転がっているようなありふれた話なのに、異様に面白く感じる。それだけストーリーテラーとしての技術が優れているということなんでしょうか。「フィーヴァードリーム」、「タフの方舟」、そして「氷と炎の歌」を書いてのけたジョージ・R・R・マーティンであれば、むしろそれぐらいできて当然と思うべきなのかもしれませんが。弘法筆を選ばずっていうしなあ。


収録作品は1981~1987年ごろに書かれたホラー系の中短編六本。「モンキー療法」が1984年ローカス賞、「子供たちの肖像」が1986年ネビュラ賞、「洋梨形の男」が1988年の第一回ブラム・ストーカー賞と、なかなかの大盤振る舞いです。作中のできごとが現実なのか、それとも語り手の妄想なのか、どちらとも取れる読ませ方があまりにスマートで、怖さ以上に語りの技巧にびびってしまいました。なんたる小説上手!

ところで、僕がマーティンの小説でいつも楽しみにしているのが食べ物描写へのこだわりです。聞いたこともない海外の珍しい料理、高級すぎて想像がつかない料理、郷土料理からジャンクフードまでの多彩なメニュー。登場人物がさもおいしそうに食べていたりすると、読んでるこちらも釣られて食欲がわいてきてしまいます。氷と炎の歌の婚礼大宴会、フィーヴァードリームのハングリーなアメリカ料理、タフに出てくる宇宙グルメ(?)描写、いずれもたいへん印象的なものでした。この作品集の中でも、特に「モンキー療法」は暴食とダイエットがテーマなだけあって、高カロリー料理の描写がこってり山盛りです。よくわからないのもたくさん。たとえば子牛のコンドンブルー、ぺパローニ・ピザ、ライスを詰めたロック・コーニッシュ鶏、キールパーサ・ソーセージ、イタリア菓子のカンノーロ、などなど。「スレンダー&シーゴー」ってのはなんだろう。ダイエット食品の一種?

こうした食の描写の過剰さは、単に趣味的なことだけが理由ではないように思えます。「食べる」という行為は本来暴力的なものであり、ホラーという表現をつかえば、食事という日常的な行為の底に抑え込まれているその衝動により深く触れることができるから……とかそんな狙いもあるのではないかと。表題作「洋梨形の男」のキーアイテムであるスナック菓子が、狂気、不潔さ、幼児性の象徴のようにおぞましいものとして描かれているのも、あるいはそういう目的があってのことかもしれません。
cheese doodle - Google 画像検索
ちなみにそのスナック、チーズ・ドゥードル(たぶん日本でいうおやつのカールみたいなもの)はアメリカではけっこうポピュラーな銘柄らしいです。ひどい色だ。おいしいんでしょうかな。

「子供たちの肖像」は、フィクションの中の登場人物がかつてそれらを生み出した作家を夜な夜な訪れて彼を苦しめるという話。作者いわく「書くこと、そして作家が自分の夢と恐怖と記憶を掘り起こすとき支払う代償についての物語」だとか。作家はどんなできごとでも小説の材料にしてしまうけど、モデルにされた現実の関係者にとってはたまったもんじゃない、というやつですね。現実か虚構か、二つに一つという極限状態へ追いつめられていく過程がまるで計ったような意地わるさ。さすが作中人物いじめに定評のあるマーティン翁です。自作の登場人物との交流は、作家なら誰もが抱く願望かもしれませんが、これほど神経がすりへるとしたらいかがなものか。まあ、それでも会えるものなら喜んで会う、もとより覚悟完了済みだ、という人もいそうだけど。筒井康隆とか。

余談。今、アメリカはちょっとしたヴァンパイアブームの渦中にあると聞きます。これはまたとない好機なのでフィーヴァードリームが映画化されるよう念じてみる。吸血鬼×(外輪船+南部)=燃え。監督はPJあたりで、ジョシュア・ヨーク役にはクリスチャン・ベールとかではどうだろう。見たい。それ見たいっす。

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[画像] アミルとエマ
森薫ヒロインズのイラスト
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by umi_urimasu | 2009-12-10 21:00 | 本(others)
年とるとライトノベルが読めなくなる
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なぜか唐突に、「たまにはラノベっぽいラノベでも読んでみるか」という波がやってきました。で、何冊か読みあさってみました。そしたら以前よりさらに苦手の度合いがひどくなっていて、自分の嗜好がこういうものから完全にかけはなれつつあることを痛感するはめになって意気消沈しちゃったという話。

a0030177_202498.jpg「少年テングサのしょっぱい呪文」 牧野修
典型的ジュヴナイルにグロコメディ風の味つけ。でも変態っぽさが全然ない。物足りない。牧野修なのに。ティーンズ向けだからって手加減しないで傀儡后や楽園の知恵やMOUSEみたいなギタギタの変態SFをやっちゃえばいいのに。というのは無責任な読み手の的はずれな要求であって、ラノベを読んで変態度が足りないと不平をいうのは、たぶん八百屋の軒先で魚が売ってないとごねるようなものなんでしょう。

a0030177_2024236.jpg「ANGEL+DIVE〈1〉STARFAKE」 十文字青
ハーレム、魔法、超能力、中二病の黄金方程式。忍耐心の折れる音が聞こえたような気がした。登場人物の胸ぐらをつかんで「いったい何が言いたいんだこの野郎」とどやしつけたい衝動にかられてしまう自分も大人げないですが。それにしても300ページ以上もこれといった大事件が起こらずキャラ紹介的な日常が延々とつづく展開は、ノリが合わない身にはきつい。いくらつづきものだからとはいえ、ちょっと悠長すぎやしないか。

a0030177_20243859.jpg「迷宮街クロニクル1 生還まで何マイル?」 林亮介
現代日本を舞台にしたウィザードリィ青春群像劇。細かく作ってるわりにいいかげんな設定が気になりました。迷宮探索者の一日の収入が平均4万円で、死亡率が14%とかどういうことでんねん。仮にそんなのが一般的な職業として成立する架空の日本がありえたとして、わざわざ好んでそんな仕事につく人はたとえ死んでも完全に自業自得なわけで、いくら悲しそうに死なれても同情のしようがない。しかし、この程度の理不尽さをスルーできない人はそもそもラノベ読みに向いてないんだといわれればそれまで。

a0030177_20244934.jpg「化物語(上)」 西尾維新
「美少女とオタク漫才を楽しむ」というストレートな目的のみに特化した小説。なんだか妙な懐かしさを感じます。葉鍵時代の二次創作小説などに近い感触か。ダジャレ半分オタネタ半分のおしゃべり文章芸だけで何十万部も売れる本というのは出版業界広しといえどもほんの一握りのはずで、じつは相当すごいことなのかもしれない。個人的に戯言シリーズのころはまだ抵抗感も少なく読めていたような記憶があるけど、もう無理。まるで受けつけられなくなってる。

a0030177_2025044.jpg「オイレンシュピーゲル壱 Black&Red&White」 冲方丁
マルドゥック・スクランブルの見てくれをよりラノベ向きにした修正版という感じ。社会悪の犠牲になった不幸な少女たちが命がけの戦いをへてトラウマを克服し、残酷な世界で生きぬく意志を育てていく、というパターンは共通。ただし主人公は元気でパンクな不良少女風、衣装やガジェットもかなり狙ったデザインに。コスプレだパンツだと扇情的な描写がくどいのは話の背景のへヴィさにそぐわない気もしますが、そういうギャップこそがラノベらしさか。あと、ヴェロシティ文体はやっぱり読みにくいです。慣れるまでがたいへん。

a0030177_20481581.jpgこうしてほうほうの態でラノベ界から逃げ戻り、バランスをとろうと小川一水「天涯の砦」を読み始めました。そして驚愕。なにこの居心地のよさ!圧倒的な安心感!自分がこれほどまでにSF体質になりきってしまっていたとは。この傾向が今後自分の読書人生にどんな影響を及ぼすのか、漠たる不安をおぼえます。年をとるにつれて好きなもの以外読めなくなり、どんどん許容範囲がせばまっていくんじゃないかと。まあ今でもすでに十分狭すぎるくらいですが。これ以上狭くならないように、苦手なものでも我慢してときどき読むことを自分に課すべきかな。むむむむ。

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ハイルブロンの怪人 - Wikipedia
プラヴォ・ヤズディ - Wikipedia
ホントにあったウソみたいな架空の犯罪者ネタ。世界警察史うっかり大賞にノミネートしたい
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by umi_urimasu | 2009-11-27 20:52 | 本(others)
「海島の蹄」 荒山徹
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a0030177_220657.jpgあれ?狂ってない。荒山徹なのに全然狂ってないよ。珍しく妖術も忍者も怪獣も出てこない、正統派の歴史小説でした。この人らしいツンデレ韓国史観はあいかわらずで、韓国史上最高の英雄とされる李舜臣を(「してやったり」とでもいわんばかりに)いやらしい腹黒狡猾キャラに改変したりしてますが、ストーリーはあくまで史実尊重指向。まあ、普段があまりにもアレなので、たまにはこういうまじめなのもいいです。読者としての正気ぐあいの確認にもなるし。それに正史について知っておけばおくほど、異本としての伝奇を読む面白さも増加するわけだし。伝奇を愉しまんと欲すればまず正史を学ぶべし。これも小説の兵法というものでしょう。

今後の荒山徹作品への期待、というよりはただの妄想なんですが、いつか元朝時代を題材に「モンゴル柳生VS朝鮮妖術VS耽羅忍法!大決戦」みたいな話を書いてくれたら楽しいだろうなあ、と思っています。
義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
こういう巷説伝承のたぐいをつなげたり広げたりしていけば、日中韓をひっくるめたかなり壮大な風呂敷もあるいは可能なのではないか。徳川家康(トクチョンカガン)にならって、源義経(ウォンイギョン?)なんてどうだろう。

そして、モンゴル帝国まで伝奇柳生の射程に入れることができれば、ヨーロッパまではもはや一足一刀の間合いです。フィクションの中でヨーロッパと柳生/新陰流ネタをつなげようとこころみた前例は、これまで皆無ではなかったでしょうけれども(十兵衛ちゃんとかジンゴイズ伯爵とか)、がっちり歴史考証をして本格的に欧州柳生をやっちゃった作品というのはまだ聞いたことがない。だからこそ夢みてしまう。モンゴル柳生やシベリア柳生ができるんだったら、柳生十字軍とかビザンチン柳生とか神聖ローマ柳生だってできるかもしれないと。
柳生十字軍!なんたる恥ずかしい響き。重症だ。

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美少女エルフも登場! 角川つばさ文庫版「ドラゴンランス 3 城砦の赤竜」が発売
表紙は萌え系ローラナ。なじみ深い作品をこうしたラノベ的なイメージに変換して読んでみたら、それはそれで興味深い体験になるかも、と思わないでもないんですが、元からのイメージがどうしてもリセットできそうにない。子供のころに刷りこまれたイメージというのはとてつもなく堅固なものらしい。そう考えると、人と本がいつどのような形で出会うかってのはすごく重要。

ハヤカワ・オンライン|早川書房 刊行予定
コーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン」が12/25予定。ワオ。

e-hon 本/「歪み真珠」山尾悠子 国書刊行会
> カルト的な人気を誇る著者の新作小説集が6年ぶりに登場。バロックなイメージが渦巻く傑作幻想小説集
12月下旬予定。今度こそほんとに出るんだろうか。

『正座と日本人』丁宗鐵 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇
日本人の「かしこまった座り方」はいつから、そしてなぜ、正座ということになったのか?いろいろな図画書物にあたってみたものの結局まだよくわかんない、ということらしい。

慶応2年から平成20年までのベストセラーをリストにしてみた
出版業界の豆知識 ベストセラー 明治3年~平成21年(元データ)
出版部数のデータもどこかにないかな

[ニコニコ] 【アイドルマスター】3A07 ~Memories are here~
全編フル3Dアニメの22分ドラマ。制作にかけられた手間ひまがいったいどれほどのものなのか、想像もつかない……アイマスは愛されてますなあ
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by umi_urimasu | 2009-11-19 22:10 | 本(others)
「柳生武芸帳」 五味康祐
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a0030177_0223170.jpga0030177_022394.jpg見果てぬ夢、とはこういう作品のことをいうんでしょうかなあ。五味康祐がもし柳生武芸帳を完結させていたとしたら、いったいどうなっていただろう。伝奇小説に使えそうな柳生一族ネタは残らずやり尽くされてしまい、他の誰も手が出せないジャンルになっていたかもしれない。それほど徹底的で容赦のない網羅ぶりでした。あまりに多くの柳生ネタを詰め込みすぎたために物語の枝が膨大になりすぎ、まとめる気配など微塵もなくいきなりぷっつりと終わっている結末は、いっそ崇高さすら感じさせます。この夢は永遠に終わらない。柳生好きたるもの、かくありたし。

五味作品の格調高い文体で描かれる剣豪たちの挙措には、深く研ぎ澄まされた、なにかこう、静謐な迫力があるように思います。心理描写はほとんどないんですが、無言の一動作の中に、「死」をきわめて近くに置いて生きていた武士の心性の峻厳さみたいなものが鋭く光る、そういうもののようです。特に柳生宗矩や兵庫の突き抜けた覚悟完了っぷりに、僕などはただ畏れ入るばかりでした。

しかし一方で、五味康祐という人はわりとおちゃめなネタ伝奇好みの人でもあったらしくて、じつはけっこう楽しんで悪ノリしてるのでは?と思うようなおバカっぽいことをぬけぬけと書いていたりもするんですね。
たとえば柳生兵庫が毎朝やっていた健康法として、「空気を腹に呑む」秘法があるという話。深呼吸をして、肺ではなく胃の方へ空気をいっぱい呑みこむんだそうです。もちろん生理的にできるわけないはずですが、達人になれば造作もないことだという。そうして新鮮な空気をたっぷり腹にたくわえ、やたら「おなら」をします。これによって体内の汚れた空気を排出し、清浄な空気に入れかえ、体調がよくなるのだとか。ウソをつくなウソを!

また、時代伝奇ではおなじみの坂崎事件にはいろんなパターンの逸話があるんですが、柳生武芸帳では「よりによってそれはねーだろ」という特にひどいパターンをわざわざやったりもしています。それは兵を集めて立てこもった出羽守の屋敷に、柳生宗矩が幼い十兵衛を単身潜入させて出羽守を暗殺させた、というもの。その際に傷を受けて十兵衛は隻眼になったんです。だって。バカかよ!ねーよ。ネタにしてもあんまりだよ。
とまあこんなふうに、古武士の美学に背筋を伸ばしつつ、同時にひどい伝奇ネタで笑い転げながら読める、そんな聖俗の両面性も五味作品の魅力なのではないかと。

あと、五味柳生といえばなんといっても黒宗矩のかっこよさ。あのマキャベリズムの権化みたいな謀略マシーンっぷりに惚れてムネノリスト(?)になった人も多かろうと思われます。まだ弱冠15歳の宗冬(宗矩の三男)に忍者として女装の術を仕込むために歯を一本残らず引っこ抜かせて眉ひとつ動かさないとか。宗冬の入れ歯をつくらせた歯医者に涙ながらに感謝しておいて、裏では口封じのために宗冬本人にその暗殺を命じたりとか。さらに、秘蔵の武芸帳をうっかり水戸徳川の幼君千代松(水戸光圀)に見られてしまった友矩(宗矩の次男)に向かってはこの調子で。
「将来御成人の上、本日の事お懐いなされ、不審をいだかれまするは必定。その時は」
「切るまでじゃ」
「え?」
「たわけ。其方が腹を切るまで、と申しておる」
実の子にすらっとこれを言い放つ父親!もちろん他人だけでなく自分自身に対してもまったく同じ態度です。隆慶一郎や荒山徹の作品では往々にしてへタレ策士っぽいキャラクターとして描かれているせいで、あとから五味版宗矩を知った僕にはよけい冷酷非情に見えるのかもしれませんが、それにしても圧倒的な黒さ。とにかく強烈な人物造形でした。今までにこれより黒い宗矩を描けた人っているんだろうか。

a0030177_0435050.jpg柳生武芸帳があまりにも気に入った勢いで、次は「兵法柳生新陰流」にとりかかってみました。
なんじゃこりゃ。柳生ジェットストリームアタック!吹いた。おバカさんすぎる。兵法は死狂いだな。でもその一方で、こうも書かれています。「真に死を覚悟したものに太刀技は効かない。剣術は死を恐れる心境がつくりだした芸術である」。これだから五味柳生って好きだ。


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[ニコニコ] 自主制作アニメ - フミコの告白
我々はついに野生のスタジオジブリを発見した

[youtube] The Open Road London (1927)
1927年当時のロンドン市街の鮮明なカラー映像。これは映画じゃないんですか!?こりゃグエン卿も大興奮だ。どんなにありふれた情報でも、時間を越えてそれを残すというのは後世の人にとって計りしれないほどありがたいことだろうと思う。

イーガン版四次元 Flat Land = 時間衝突? - JGeek Log
イーガン次回作「Orthogonal」の予想と解説。おそらく時間の逆行に関する話だというのはどうやら確からしい。ルミナスの時間版?ありうる。でも、時間が普通に逆に流れる世界の生物学ってどんなんだろう。

筒井康隆 笑犬楼大通り 偽文士日碌
『これがわが最後の短篇となるであろうことを通告する。実際、もう短篇は書けないと思う。どんなアイディアを思いついても過去のいずれかの作品に似ているのだ。』
残念だけどそういうことなら。長編はOKなのかな。まだまだ現役でご活躍いただきたい。
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by umi_urimasu | 2009-11-11 00:54 | 本(others)
「鳳凰の黙示録」荒山徹
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a0030177_073816.jpg荒山ファンのあいだでも若干渋い評価を受けているようなんですが、僕もこれはちょっと微妙な出来ではないかと思います。朝鮮妖術と捏造日韓史の発狂ぶりについては、ほぼいつも通りのひどさ(誉め言葉)だったかと。しかし、にもかかわらず最後までさっぱり盛り上がれなかった。いったい何が原因だったんだろう。

振り返ってみるに、結局ストーリーの流れに気持ちが乗れなかった、という感じだったかなあ。登場人物の目的や利害がはっきりしないまま忍法帖スタイルの戦いだけが繰り返され、しかも行動の目的はどんどん勝手に修正されていってしまう。このせいか、どうもストーリーが終始他人事じみて見えてしまったようです。あと、ラストがひどい投げっぱなし。いつもクライマックスはきちんと盛り上げて、広げた風呂敷もそこそこ丁寧にたたむ人だと思っていたので、このやりようには困惑してしまいました。魔別抄が真田忍者衆をぺぺぺと片づけるくだりなどは明らかにネタとわかるので納得のしようもありますが、せめて玻璃鏡伯や晋陽候との戦いは、最後なんだし、もうちょっとさあ……。もしかして、なんかそういう技法上の実験なんでしょうかね、これ。

今まで荒山徹にハズレはないと信じていたけど、これを読んでちょっとショックを受けて、当然買うつもりでいた徳川家康(トクチョンカガン)のことが不安になってきました。ネットの評判をみると、鳳凰の黙示録とタメをはるダメ具合だと厳しい評価を下した人もいるようです。雑誌連載中の柳生黙示録を読むかぎり、「最近はいつもぐだぐだ」というわけでもなさそうなんだけどなあ。今しばらく手出しを控えて様子を見ようか。

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荒山柳生から少しはなれて、先日来「柳生武芸帳」を読み中です。五味康祐すごすぎる。寛永年間で可能な柳生ネタがこれだけであらかた網羅されてる。もめごとは全部柳生の陰謀。ここまで徹底的にやり尽くされたら他の人の仕事が何もなくなるだろ!ってくらい、ありとあらゆる柳生ネタがブチ込まれてる。きちがいだ(誉め言葉)。たぶんこの人こそ名実ともに日本一の柳生脳。ただし、十兵衛の出番はほとんどないです。ちょっと意外でした。でもその分黒宗矩全開なのでむしろ大満足。

[ニコニコ] 講談 「柳生二蓋笠」 五代目一龍斎貞丈
昔の音源なので聴きとりづらいけど、語り形式ならではの言葉づかいが面白い。他の講談だと、荒木又衛門が十兵衛の弟子にされてたりとか、けっこうめちゃくちゃな話もあるそうな。いいかげんだなあ。

小説へのいざない:奇想の系譜 最高権力者が影武者だったら
影武者家康つながりで隆慶一郎&荒山徹の紹介。どうも最近、荒山徹がやたらマスメディアで注目されはじめているような気がする。よく知らないけど戦国時代ブームの影響などもあるんだろうか。なんにせよ、知名度があがるのはめでたいことだ。

[youtube] The Cup Of Tears Trailer
これはひどい予告編。期待のトンデモサムライ映画

山田風太郎賞創設: 新人~中堅作家対象、筒井康隆氏、京極夏彦氏らが選考
期待できそう

柳生十兵衛 と 柳三厳 を合成 by まぜまぜモンスター
なぜか大武仏っぽい感じになりました。この上なく軟弱な柳三厳の意志により……
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by umi_urimasu | 2009-10-30 00:18 | 本(others)
「すべての美しい馬」コーマック・マッカーシー
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a0030177_1172125.jpg「越境」がツボに入りすぎた勢いでこちらも読了。すばらしい。
この作品の一番のすごさはやはりその圧倒的な「馬描写」にあると思います。これはまわりくどい説明をするより本文を読んでもらった方がわかりやすいでしょう。引用が長すぎるのはあまりよくないかもしれませんが、とりあえず二つほど例を挙げてみます。


ジョン・グレイディが両膝ではさむ肋骨の穹隆(くさかんむりに隆)の内側では、暗い色の肉でできた心臓が誰の意志でか鼓動し血液が脈打って流れ青みを帯びた複雑な内臓が誰の意志でか蠢き頑丈な大腿骨と膝と関節の処で伸びたり縮んだり伸びたり縮んだりする亜麻製の太い綱のような腱が全て誰の意志でか肉に包まれ保護されて、ひづめは朝露の降りた地面に穴をうがち頭は左右に振りたてられピアノの鍵盤のような大きな歯の間からは涎が垂が流れ熱い眼球のなかで世界が燃えていた。
彼と馬たちが高い地卓を駆けると大地に蹄の音が響きわたり彼らは流れ向きを変え走り馬たちの鬣と尾は泡のように体から吹き流れ高地には彼ら以外にはなにも存在しないかのようで、彼らはみな自分たちのあいだからひとつの音楽が沸き起こったというようにひとつの響きとなり牡馬も仔馬も牝馬も恐れを知らず彼らがそのなかで駆け回るひとつの響きは世界そのものであり言葉で言い表す術はなくただ礼賛するほかないものだった。
この猛烈な文体。いかがでしょうや。少年がいだく野生へのあふれんばかりの賞賛と畏敬の念がだだ漏れで、読んでて呼吸困難になりそうな文章ではありませんか。句読点?なにそれおいしいの?

主人公のジョン・グレイディは馬を何よりも愛する少年であり、彼にとって馬は世界が存在する意味そのものです。そんな純粋さをあざ笑うように、運命は彼に苦難の道を歩ませ、希望を打ち砕き、多くのものを奪います。自分の流儀では大人の世界で生きていけないことを思い知らされ、愛した女性とも別れて、命からがら故郷へ戻ってゆくジョン・グレイディ。その心の底には、たとえこの世界が滅び去ったあとでも「馬の心臓のなかにある秩序」だけは永遠に消えない、という思いが結晶していました。放浪の果てに彼の手元に残ったものは、馬と、馬のなかにあるこの永遠のもの(ただしそれは人間には決して触れることができない)だけだったといってもよいでしょう。

「すべての美しい馬」で躍動する馬たちの中にジョン・グレイディが見たものと、「越境」で死にゆく狼の中にビリーが見たもの、そして「ザ・ロード」で少年の中に父親が見たもの。それらはすべて究極的には同じもののように思えます。しかしその本質を言葉で言い表す術がない以上、ジョン・グレイディやビリー同様に、人間はただひたすらそれを礼賛することしかできないのかもしれません。

なんか馬のことばかり強調してしまいましたが、ストーリーの方もたいへんなものでした。流浪のカウボーイと裕福な牧場主の娘の身分ちがいの恋、映画のような命がけの刑務所サバイバル、少年たちが未知の世界めざして旅をする青春西部劇などなど、じつに波乱万丈で盛りだくさんな内容になっています。基本的な素材は「越境」と同じでも、こちらは若干明るい雰囲気と派手なストーリー性のおかげでずいぶん読みやすい印象があります。ただしその分、神話的な色合いはやや薄めかも。個人的には陰鬱で内省的な「越境」の方がより好みに合ってる気がしました。このへんは人それぞれかな。

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[ニコニコ] 【そらのおとしもの】空飛ぶパンツのようなもの【実体化】
野尻抱介、不惑を越え久しくもいまだ稚気をまぬかれず。でもSF作家というのはこうして年甲斐もなくアホなことするくらいのネタ体質加減でちょうどいいのかもしれない。
空飛ぶパンツのようなもの - 野尻blog
いまだ稚気を……パンツソプターオフ会へのいざない

[画像] こまけぇことはいいんだよ!てきとうな建物の世界
奇妙でまぬけで、どこか寂しげでもあるトマソン建築の数々

萌え絵で読む虚航船団 肥後守篇/その1
見にいくたびに着々と進んでる。この作品、もし文房具を全員分やり終えたらそこでおしまいになるんだろうか。それともそのままつづけていくんだろうか。原作ではちょうど肥後守のあたりからクォール侵攻へとストーリーが動きはじめます。ここからの展開が気になる。
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by umi_urimasu | 2009-10-18 11:41 | 本(others)
「越境」コーマック・マッカーシー
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a0030177_2153581.jpgこれはものすごい。圧倒されました。メキシコの荒野をひとりで放浪する少年の体験を、まるで自分自身の体験と錯覚しそうなほど、リアルというか実感のともなった孤独感がもうなにこのすごいのわけわからない。いつも思うんですが、古今の高名な小説家たちはどうしてただの文章で、文章だけでこんなとてつもない芸当ができるんだろう。まるで魔法だ。高度に練達した文章技術は魔法と区別がつかない。

あらすじはシンプルで、牧童の少年ビリーがアメリカからメキシコへ旅をしていろいろなものを見たりいろいろな人に出会ったりいろいろな揉め事を起こしたり、という話です。「ザ・ロード」や「血と暴力の国」同様、どことなく神話的な趣のあるロードノベルという感じ。

作中のサブエピソードの中で特に印象的なのは、「崩れそうな教会に住んで神に議論を挑む男」、「眼球を吸いだされて盲目になった元革命軍兵士」、「山の上に墜落した二機の飛行機を運ぶジプシーの男」、の三つです。どれも神話的というか、なにやらマジックリアリズムっぽいような、超時間的な幻想性があります。でも何を言わんとしているのかは正直よくわかんない。「世界の真の姿とはいったいなんぞや」という哲学の領域の話なんだけど、とりあえず論理的に議論を追うことはできても、 「言葉」でなく「心」で理解できたッ!とまではいかない。僕が日本人で神の概念とかがあいまいなせいもあるのかもしれないけど、そこまで厳しく自己と世界の境界を線引きしなければいけない切実さが、荒野という舞台の地形効果を加えてもいまひとつ実感できないようでして。哲学って苦手だ。まあ、この本はおそらくマルケス並に「一生のおつきあい」になりそうな気がするので、いつかそのうちわかるようになればいいかなあと。

「越境」は四部構成になっていて、毎回ビリー君がメキシコに不法侵入をくりかえしてはそのたびにどんどん世捨て人レベルが上がって孤独になっていくんですが、個人的に一番好きなのは第一章です。傷ついた狼をメキシコの山へ返してあげるために家を捨てて長い旅に耐えて、そしてあの残酷な結末。もうこの一章ラストが好きすぎて言葉にならない。文章の美しさも含めて、今まで読んだマッカーシー作品三つの中で一番気に入っている箇所です。いやはや美しい。

次はどれを読もうかしらん。「すべての美しい馬」にしようかな。

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もしも、関ヶ原で東軍が勝っていたら
歴史上、関ヶ原で西軍が勝ったことになっている架空の日本の2ch住民が「もし東軍が勝っていたら」と妄想するありさまを実際の2ch住民が妄想するというややこしいスレ。ちょっとSF的な逆転構造だ。なるほど、「高い城の男」っぽいかも。こんなふうに日本の首都が京都にあったり、徳川幕府じゃなくて豊臣幕府だったり、明治維新でそれを倒すのが伊達×最上の奥州藩連合だったりするような世界をガチで描き込んだ小説がもしあったら読んでみたいです。あるかなあ。

<ルー=ガルー>京極夏彦のSF小説、劇場版アニメ化 2010年公開
京極作品としては最大限アニメ向きな素材だと思うけど、それでも長々しい薀蓄やら雑学やらはまるごと削られて結局すっきりさっぱりしたものができてしまいそうな予感。

G.R.R.マーティン 「氷と炎の歌」第5巻 執筆状況
今までにできあがった部分が原稿枚数1100ページで、すでに「王狼たちの戦旗」に近い分量になっているとのこと。ちなみに「剣嵐の大地」で1521ページ。こんなペースでほんとにシリーズ完結まで行けるのか。近頃だんだん不安が現実味をおびてきて、気が気でない。

[ニコニコ] 【MikuMikuDance】ミクを異世界各地で撮ってみた - Where the Hell is Miku?
有名なあの動画のパロディを新ツールで実現。初音ミクは電脳世界に遍在する……そして変な踊りをおどる
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by umi_urimasu | 2009-10-05 22:13 | 本(others)
忍者と妖怪 京極夏彦と山田風太郎
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a0030177_14412947.jpg山田風太郎「伊賀忍法帖」の巻末に、「忍者という妖怪の誕生」と題した京極夏彦のエッセイが載っています。「漠然とした不安に名前をつけて形式を与えたものが妖怪である。妖怪とは世界認識の方法である。ならば忍者もまた妖怪の一種であろう」というふうな趣旨の、いつもながら京極節のきいた文章です。しかし残念ながら、これはどうも京極堂の憑き物落とし的なパフォーマンスをやろうとして仕損じたもののように僕には感じられました。言いたいことはわかるけど、主張に説得力をもたせるための証拠が不十分ではないか、というもの足りなさが残ってしまった。
もちろんそれで京極氏の忍者好きと博識を疑うわけではありません。ぬかりなく論を立てるには、わずか数ページという字数制限が厳しすぎたのかもしれない。
以下は、紹介をかねた忍者=妖怪論の補足みたいな感じのものです。

1) 「忍者」という言葉が世間に広まった経緯について。
京極夏彦は広辞苑第二版補訂版(1976)、同第四版(1991)、平凡社大辞典(1936)を比較して、昔は忍者という言葉はなかったと述べています。その通りですが、辞書の項目の説明にある単語が載っているかいないかだけを普及の度合いや一般常識の目安にするのは、調査の手段としてこころもとない。辞書の編纂者が何をもって普及度を計ったのかという根拠が明らかではないからです。
忍者の場合、実際にその言葉が世の中に定着した契機は、1960年前後に同時多発的に起こったいわゆる忍者ブームに帰するのが一般的なようです。「最初のひとり」を特定するのは困難ですが、特に有名な作品群の発表年ははっきりしているので、軽くまとめておいてもいいでしょう。

  1956 五味康祐  「柳生武芸帳」
  1958 司馬遼太郎 「梟の城」
  1958 山田風太郎 「甲賀忍法帖」
  1959 白戸三平  「忍者武芸帳」
  1960 柴田錬三郎 「赤い影法師」
  1960 村山知義  「忍びの者」
  1961 横山光輝  「伊賀の影丸」

(※初出については、連載開始と単行本出版のあいだに1年ほどひらきがあることもある)
この他にも時期を同じくして膨大な数の忍者・忍法ものが出ていたらしいです。その中でも異形異能の超人集団という忍者像を強く打ち出し、今日ある忍者・NINJAのイメージの形成にもっとも貢献した作家のひとりが山風であることは、京極氏も書いている通り、たぶんまちがいないのでしょう。
ちなみに『忍法帖シリーズ』データランキング2『忍法』の巻によると、山風の忍法帖シリーズは長篇短篇合わせて100以上、登場する総忍法数は重複を除外しても600個近くあるとか。圧倒的というほかありません。

2) 超人的な忍者像のルーツについて。
京極夏彦は立川文庫講談、江戸期の黄表紙をあげ、山風的な忍者像は比較的近世に形成されたものだろうと推測しています。これはもっともな考察です。しかしそこから先に無視できない論理の飛躍があります。「そうした忍者像もまた、無根拠に形成されたわけではない」という主張につづけて、「実在した忍びの者の流派の多くが、遡っていくといくつかのキーワードにたどりつく」ことを指摘しているんですが、そのリストがこれ。

  忍びの流派 (伊賀・甲賀、上杉、真田、楠、武田、白雲、羽黒、根来、百地、藤林)
  忍びの起源 (兵法、陰陽道、修験道、密教、道教、放下僧、幻戯師)
  起源的人物 (諸葛孔明、阿倍晴明、役小角(えんのおずぬ)、弘法大師、各種の仙人、果心居士)

「忍びの系譜を丹念に遡ると、あたかも本邦のマジカルヒストリーをひもとくような結果になる」と書かれているものの、ここでは丹念に何かしているわけではなくて、単に並べてあるだけです。実際にどう辿れるのかは不明。辿れることを示すには、それぞれについて出典文献の引用と考証が必要になるのでしょう。ただし、それを文庫本の巻末文でわずか数ページ以内にまとめるのはおそらく不可能です。字数にしばられて京極堂的なパフォーマンスを仕損じたのでは、と思ったのはこの部分でした。
また、このキーワード間にある(はずの)つながりは、信仰・宗教の歴史、技術をめぐる政治的な抗争、異人をめぐる畏怖と排斥の民俗史である、といったことも書かれていますが、それも論拠は示されていません。非常に面白そうな話なのに惜しいことです。もし字数制限がなければ、いつも京極堂シリーズでやっているように詳しく説明してくれていたのでしょうか。

3) 忍者と妖怪の関連づけについて。
上でいうところの、信仰・宗教、技術をめぐる抗争、異人排斥、などの歴史的プロセスを通じて形をもつにいたった怪異や神秘、不可解な対象に人は妖怪と名づけるのであり、忍者もそれと同じである。というのが京極夏彦の言い分です。乱破、草、忍び、隠密などと呼ばれていた人々が、時代をへて実体が消え去ったあとにイメージだけがふくらみ、尾ひれがついて「キャラクター化」したものだと。もっとも、そういう意味では妖怪も忍者も、さまざまな伝説や伝承に描かれる英雄とか怪物とかも、歴史の背後に隠されるようになった民衆の意識の部分的象徴とみなせば、すべて同じものなのかもしれません。ただ、そこまで一般化してしまうと、物語のキャラクターほとんどすべてにあてはまってしまうような気もします。

4) 「忍者」の呼称を確立させた風太郎の功績について。
それまでわりと論理的な物言いをしていた京極夏彦が、ここからやおら勢いまかせな筆致に変じています。
剣豪・宮本武蔵、忠臣・楠木正成、名将・武田信玄── 忍術名人・猿飛佐助。並べてみると如何にもキャッチーさに欠けるではないか。これでは駄目である。しかし。忍者・猿飛佐助。決まっている。忍者といい切ってしまう潔さが決め手である。序でに、忍法・〇〇の術。こうでなくてはいけないだろう。野暮ったさが消えて、神秘性は増している。長年の紆余曲折の果てに、忍者・忍法という呼称を得て、所謂「忍者」像はようやく完成したのだ。(改行省略)
なんだこれは。なぜそうなる。そ、そうか!よかったな忍者で。ぐらいしか反応のしようがない。
もしかしたら、このあたりで京極さんも論理的な京極節をふるうのに疲れたか飽きたかしたんじゃないのかと、ちょっと邪推してしまいました。これでは論理を追うことはできません。でもとりあえず山風SUGEEEE!ということが言いたいのはわかる。それには心底より同意しよう。

以上でした。ほんとうは「伊賀忍法帖」の、特に終盤にさしかかるあたりでの、恐るべきストーリー圧縮率、神業じみた構成力、ということを感想文として書きたかったんです。でも凄すぎてなにも書けなかったぐぐぐ。

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by umi_urimasu | 2009-08-12 15:51 | 本(others)