カテゴリ:本(others)( 106 )
「風の又三郎」宮沢賢治
クラムボンはかぷかぷ笑った派

ふつーに考えりゃ泡だろ、泡。まあ確かに、色々な読み方ができた方が楽しいでしょうが。

OK、やまなしゲット。
          ∧_∧
     ∧_∧  (´<_`  ) 流石だよな俺ら。
   ( ´_ゝ`) /   ⌒i
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__(__ニつ/春ト修羅 / .| .|____
    \/____/ (u ⊃
      カプカプカプカプカプ・・・・

ちょっとぐらいずれてても気にしない。

冗談はさておき、「やまなし」は凄いです。幻灯に見立てた透過光の表現や、川の底に熟したやまなしの匂いが広がるラストのくだりなどはまさに絶美。ことオノマトペのセンスにおいて、宮沢賢治以来彼を越えたと言える日本人はまだ一人もいないのではないでしょうか。こうした自由奔放なことばのセンスに対しては、子供よりもむしろ、現代小説に慣れきった大人が読んだ場合の方がより大きな衝撃を受けるだろうと思います。子供はその美しさを強く感じたとしても、それを経験と比較して「凄い」とは思わず「こういうものなんだ」と素で納得してしまいそうですから。

収録作品の中には、非常に残酷な死をまるであたりまえの事のように扱ったものもありました。「フランドン農学校の豚」などの、童話というには苛烈すぎるカタストロフィ。これに限らず、賢治作品の中で扱われる死は、時に驚くほど冷めた描き方をされることがあります。ファンタジーとはいえ、多くの命を理不尽に刈りとってゆく自然災害や疫病などの禍いが、絵空事でもなんでもなく身近な現実として在った時代ならではの峻険さを感じてしまいます。
また、文庫本の巻末に年表がついていて、所々に「この年岩手県豊作」「凶作」などとわざわざ書いてあるのが痛々しい。これによれば「永訣の朝」は1922年、賢治26歳の時。厳しい時代だったからこそ、あのイーハトーヴという桃源郷が生まれ得たのかと思うとやるせないものがありました。


ついでといっては何ですが『注文の多い料理店』も勢いのままに読了。

ーーとりあえず、「水仙月の四日」と「鹿踊りのはじまり」。

この二本、万難を排して読め!

わが人生に一片の悔いなし。

【翻訳?】
日本という国で、宮沢賢治ほど作品の翻訳が困難な作家も珍しいでしょう。しかし無理を承知で英訳を行った試みは幾つかあるようです。もちろん日本語の豊穣なニュアンスは気持ちいいほどにすっぱりと抜け落ちてしまうわけですが、そこはかなり強引にやっているみたい。涙ぐましい努力だ。ぐぐったらこんなん出てきたので、参考までに。無断リンク貼っていいのかどうか知りませんが。
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by umi_urimasu | 2004-08-17 14:16 | 本(others) | Comments(2)
『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治
ケンタウルよつゆをふらせぃ

積み本スイーパー見参。

凄っ。
初っぱなの「双子の星」から、強烈なイーハトーヴ幻想の深淵へとパワーダイブって感じです。素でやってんのか? これを? あんた頭は大丈夫か? という凄みさえ漂わせる、恐ろしいほどに透明で静謐な世界。テレビもネットもない時代に自分の想像力だけでこんなビジョンをつむぎ出す頭脳を、いったいどうやって育てたんでしょうか。
表題作は、日本語テキストの奇跡といっても過言ではない究極の美品。あまりにも透明で美しい死のイメージ、やばすぎます。ちょっと泣きました。
子供の頃に見たネコ映画の印象が強かったことだけは覚えていて、実際にはかなり忘れていたことに再読して気づきました。ジョバンニが活字の組版のバイトをしていたり、牛乳をもらいに行ってザネリにからかわれていたこととかも。子供心に「ザネリやな奴!」とか思ってたよなー。
あと、ほんの5ページのスケッチみたいな小品ですが、「マリヴロンと少女」もかなりツボ。こういう瑞々しさもまた良い。

宮沢賢治の文庫本、ブックオフとかでよく100円で投げ売り状態になってますけど、持ってない人は見かけたら即買いですよー。電子版でかまわないという人は青空文庫でもよいでしょうし、こっちの方は巻ごとに分かれているのでよりお勧め。
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by umi_urimasu | 2004-07-07 18:59 | 本(others) | Comments(0)
バカナ事ヲ言ウナ、へりねるど ウェーハッハッハ
『ママ・グランデの葬儀』 ガルシア・マルケス

人が孤独を求めるのには様々な理由があり、孤独そのものにも様々な形があります。マルケスは、僕が知る数少ない作家のうちで、もっとも執拗に孤独について書きまくった人でした。「大佐に手紙は来ない」から「百年の孤独」「族長の秋」に至るまで、リアリズムからマジックリアリズムまでを一人でやっつけてしまったこのコロンビア人の本には、ありとあらゆる孤独のパターンがあふれているかのようです。彼の描く孤独は、寂しく虚しいどころかあまりにも多彩で豊穣で、自分もそれに一瞬でいいから浸りたいと切望させる強烈な郷愁に満ちていました。

「大佐に手紙は来ない」は、マルケス作品の中では技法的にもっとも穏当な部類、簡潔を旨とするリアリズムで描かれたものです。しかし手法がリアリズムであるために、かえってそれを超越した人物像が際立っていたように思われます。
たとえば、大佐の妻。この婆さんは、口を開けば百発百中で容赦のない警句を吐きまくるゴルゴ13のライフルみたいな人でした。哀れな老大佐は、そんな哀れな老女の夫なのです。読んでいて、悲しすぎて爆笑してしまいました。彼らは貧困を恥じているのではありません。人生を捨てて斜に構えているのでもありません。ただ営々と生きているその姿が我々には純粋に悲しくて、もう笑うより他に反応のしようがないのです。
よう分からんという人、今すぐamazonへ飛んで『ママ・グランデの葬儀』 を注文しなさい。というか注文しろ。
注文しないと今に豚のしっぽの生えた子供が………すみません。ごめんなさい。

マルケスの文体の魅力を説明するのは難しいです。強いていうなら、決して詩的ではないが濃密なイマジネーションをもつ大衆文学的文体。簡潔か饒舌かは場合によりけり。もちろん訳者の個性にもよるでしょうが、大きくは外れていないでしょう。その手法で、彼は南米の貧困層の生活感を非常にダイレクトに写し取っていきます。
しかしその中に時々、意表をついた奇怪な形容が縦横無尽に飛び交うことがあります。マジックリアリズムの片鱗なんでしょうね。僕は勝手にマルケス節と呼んでいるのですが、あれはもう天から言葉が降って来るに等しい状態です。
さすがマルケス。俺たちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにしびれる! あこがれるゥ!
いや、冗談抜きで。スリリングすぎて手が震えますよ。

10ページぐらいの掌編ですが、個人的に強烈だった「火曜日の昼寝」もこれに収録されてます。マルケスの母親像というと即座にウルスラタイプ(一族の守護神で母性の怪物みたいなの)を思い浮かべますが、ここではリアリズムでその原型の一端が描かれています。静かで昂然とした、強靭な母の姿。
萌ゆる。
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by umi_urimasu | 2004-07-04 20:21 | 本(others) | Comments(4)
理想のSFーー山田風太郎の世界
甲賀忍法帖

凄え。
週刊海燕さんの強力なレビューにつられて初めて読んだのですが、完腐なきまでにぶちのめされました。例えるなら、サップに秒殺された曙の心境。全くもって解説無用です。面白いものを「面白い」と指摘するだけの解説ほど無益なものもないでしょう。

でも、無益と知りつつやっぱり書くだけは書いてみる。

これはある意味、純性の「SF」と言ってよい作品ではないかと思います。理由は、とあるシンプルなルールに従って非常に堅固な架空の歴史を作り上げた小説だからです。
もちろん嘘っぱちの歴史には違いありません。しかし、歴史というものは例外なく嘘っぱちです。学校で教わる史実は細部にわたって矛盾なく成立する因果関係を要求しますが、それが本当に正しいかどうかは、時を遡る術がない以上厳密には誰にもわからない。一方で、SFはある仮定に従って嘘の世界を構築し、その世界と現実世界との間に生じるギャップの意味を問うものです。この意味では、極言すれば歴史はSFであると言ってもいい。
ただし、SFは歴史のように現実的な事物だけを扱う必要はありません。SFは作品の中に何らかのルールを設け、それに従うのみです。そして山田風太郎作品の世界を縛るルールは「大衆娯楽たる事」であり、「甲賀忍法帖」は完璧に、それはもうため息が出るほど完璧に、このルールに従っているのです。いかに荒唐無稽であろうと、いかに史実と食い違っていようと、風太郎ワールド的には一片の矛盾もありません。文体も設定もストーリーもキャラクターも、作品を構成するあらゆる要素がこのルールに従い、妖術と怪異に彩られた闇の日本史を作り上げるために最大級の貢献をしています。そこにはどんな小さな不純物も含まれません。
娯楽の醍醐味を余さず注入した、娯楽だけが支配する日本史のダークサイド。科学も宇宙も出てきませんが、これは「娯楽」というキーワードで世界を捉えるという思考実験の非常にスマートな成果と呼べるのではないでしょうか。

ちなみに、SF嫌いな人でも全然大丈夫ですよ。この作品をSFとみなす必要などこれっぽっちもないので。
我々が確かに言える事はおそらく唯一つ、

「面白いから読め」

これだけです。
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by umi_urimasu | 2004-06-25 18:12 | 本(others) | Comments(0)
ラノベがラノベであるために そのいち
ちょい大きめに振りかぶってラノベ論でもブってみる。

「大人が読むものではない」という印象が強いライトノベル。僕自身もその固定観念は拭い切れません。しかし、それは必ずしもラノベが幼稚な小説である事を意味しないと思います。この種の小説は単に、まだ未発達なジャンルというだけなのかもしれません。

いわゆるラノベ的要素というものは、大人にとっては「子供っぽい」という気恥ずかしさを喚起します。これはラノベの中に、主たる読み手であるティーンエイジャーの未成熟な願望・欲望を満たそうとする要素があからさまに含まれるからです。しかしそれは、要素自体が幼稚なのではなく、加工も租借もせずにそのままさし出すやり方こそが幼稚なのではないでしょうか。どれとは言いませんが「何とかもまたいで通る」某ネアカ美少女魔法使いとかは、まさにこの幼稚さに相当すると考えられます。いや、実はよく知らんのだけど。
もしそれがファンタジーであるのなら、描くべきものはきっと露出度の高い服を着た頭の軽い女の子なんかではありません。ファンタジーは、我々の世界にまだない新たなものを生み出そうとする行為であり、虚構を通して現実の中に隠された脅威に新しい意味を与えようとする試みのことだと思います。人によって異論はあるかもしれませんが、ともかく自分はそう定義しています。そのための唯一最強の武器は「想像力」であり、だからファンタジーと想像力は不可分のものなのです。
一方で、じゃああのどらまたは何なんだと。単にガキのズリネタに過ぎないのかそうではないのか。「少年マンガ」でも「児童小説」でも括れない何か、新しい独自の何かが描かれて初めて、ライトノベルというジャンルは存在を許されるはずではないのか。ならば、それに値する何かが描かれた作品はいったい幾つあるのだろうかーー。

指輪物語やゲド戦記がそうであるように、小学生から床屋の爺さんまであらゆる世代を虜に出来るようなライトノベルが早く出てこないものか。そんな淡い期待を抱いて、時々ラノベに手を出しては引っ込める日々。
誰か「これぞ」という本を推奨してくれませんか。おねがいブロガー。
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by umi_urimasu | 2004-06-24 22:51 | 本(others) | Comments(2)
『エレンディラ』 ガルシア・マルケス


エレンディラ萌え

以上。

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by umi_urimasu | 2004-06-22 16:22 | 本(others) | Comments(3)