「八犬傳」(上・下) 山田風太郎
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a0030177_23125428.jpga0030177_23131024.jpg作家も人間なので、もてる時間は有限です。畢生の大作を書きあげてから死ぬ作家もいれば、不運にも道なかばで時間が尽きてしまう作家もいます。未完の原稿を抱えたまま、残り時間の少なさを自覚したとき、作家はみんな自問するかもしれません。というか、己に問わない作家はいないでしょう。「自分は何のために書くのか」と。

滝沢馬琴は膨大な日記を残していて、それによると彼の作家人生はお世辞にも幸福とは言いがたいものだったようです。意にそまぬ戯作の仕事に人生の大半を費やし、息子を早く亡くし、暖かい家庭も、金銭的余裕も、日々の楽しみをわかちあう知己もなく、失明した後は息子の妻の手を借りた口述筆記による執筆の日々。「南総里見八犬伝」はそうした不断の苦しみの果てに書きあげられたものでした。そうまでして、そこまでして、なぜ彼は書くのをやめなかったのか。
この苦しみの中に、しかし馬琴ははじめて、自分が「八犬傳」をかきつづけるのは、生活のためでも孫の未来のためでもなく、人に頭を下げずに生きるためでも現実から逃避するためでもなく、それどころか小説を完結させようという目的のためですらなく、ただおのれの内部からあふれてくる物語自体のためであることを知った。
最終章のこのくだりが、馬琴の生涯に風太郎が見た、究極の「書く理由」だったのではないかと思います。それはもう、ひとりでに湧いてきてしまうものだから、どうしようもないんだと。すべてを失ってもなお創作だけはやめなかった晩年の馬琴と、その言葉を書き取りつづけたお路、二人の力を合わせた八犬伝終盤の壮絶な執筆のありさまを、風太郎は「聖戦」と形容しています。同じ伝奇の道を歩むものとして、風太郎にも何か心中思うところがあったんだろうか。とか、ちょっと考えてしまいました。

以下ちょっと関連というか連想。
先日若くして亡くなった伊藤計劃のMGSノベライズ版に、こんな一節があります。
人間は消滅しない。ぼくらは、それを語る者のなかに流れ続ける川のようなものだ。人という存在はすべて、物理的肉体であると同時に語り継がれる物語でもある。スネークの、メリルの、ここに集う兵士ひとりひとりの物語を誰かが語り続けるかぎり、ここにいる誰ひとりとして消えてしまうことはない。
ここからは、「死んだあとに確かに残る何かを残しておきたい」という作者の強い思いが感じ取れるような気がします。それも彼の「書く理由」の一端だったのだろうかと。おそらく残された時間の少なさをずっと意識しつつ作品を書いていたであろう伊藤計劃のそれは、なんというか、重いですが。

まあそこまで切迫したケースじゃなくても、すべての本はつながっているで書いてたみたいに、言葉なり物語なりを介して他者とつながってる実感を得られると本能的(?)に安心する、というのはありますわな。誰かの書いたものがそれを読んだ人の中に残って、それがまた別の人に何らかの形で伝わって、というプロセスが延々とくり返されてきた結果として、今日の言葉の世界があるわけで、つまり言葉が存在すること自体が「君は一人じゃないよ」って証明してくれてるんだよ。みたいな。

ともあれ。馬琴の存在なくして山風の登場はありえなかっただろうし、もしかしたら荒山徹も出なかったかもしれない。そう考えると馬琴が八犬伝を書いてくれて本当によかった。ともかくサンキュー馬琴。

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[ニコニコ] smooooch・∀・ × ジャイアントロボ
九大天王がかわいくない梁山泊など敵ではないわ!十傑集もこれ、この通り
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荒山徹「柳生百合剣」を読み始めました。あいかわらずむちゃくちゃでよい。や~い、十兵衛のゆめもらし。
→ これ続編じゃん。しまったー。「柳生薔薇剣」を先に読むべきだったのか。不覚をとった。

山尾悠子を読む夜。 - Something Orange
絶筆ってふざけんなよバーロー。という趣旨のコメントを送ったのはわたくしです

[youtube] 映画『チョコレート・ファイター』予告編
見に行こうか迷うなあ。「マッハ」も「トムヤムクン」も基本的には大好きなんですが、痛快とか爽快とかいうレベルを通り越したあの超激痛アクションがちょっと怖い。見たい、でも痛いのイヤ。臆病者のジレンマ。

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伊藤計劃スレで非常に珍しいものがろだにあげられてます。2005年に伊藤氏が発表したメタルギアソリッド3の同人作品「フォックスの葬送」です。当事者が著作権を主張しない限りにおいて無償複製してもよいとのこと。

二次創作小説「フォックスの葬送 (A Funeral of FOX)」はMGS3の後日談にあたる物語で、東南アジアの密林を舞台にビッグボスとフランク・イェーガー(グレイフォックス)の戦いを描いたもの。「地獄の黙示録」のMGS版というのがぴったりな感じです。プロデビュー以前の作品ですが、すでに素人のレベルじゃない。

プロとして発表された作品群の尖りぐあいに比べれば、「フォックスの葬送」はだいぶ無難な内容です。でもこれが「虐殺器官」の原石なんじゃないか、これ磨きまくったらちゃんと虐殺器官になるぞ、と思わせるものがたくさん詰まっています。「すべての人が武装し独立した世界こそが理想郷だ」という、アウターへブンにつながる思想とかも、めぐりめぐって虐殺器官やハーモニーを生み出すためのこやしになっていそうだし。ほんとに芯からMGSっ子だったんだな……。
いっしょに収録されているイラストや漫画も、MGS好きがひしひしと伝わる丁寧なものです。まだ亡くなってから日が浅くて、読んでも笑ったりするより悔しさがぶり返してしまうばかりですが。
とりあえず、いろいろと感謝。
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by umi_urimasu | 2009-05-27 23:24 | 本(others)


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