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らいくあ・ろーりんぐすとーん


『火車』 宮部みゆき

基本的にミステリはあまり読まない方なのです。小中学校時代にクリスティを多少嗜んだ程度。ホームズやルパンはミステリというより冒険小説でしょうし。
ま、以下はそんな門外漢のタワゴトなので、話半分で聞いてください。

ミステリというものは、ジャンルという枷によってかなり強い束縛を受ける表現形式だと思ってました。ぶっちゃけて言えば、どうしようもなく「型にはまりすぎ」。

かつて宮部みゆきの「レベル7」を読んだ時に僕を困らせたのも、ミステリのもつミステリっぽさそのものでした。例えば、文体が非常に平易であること。ロジックが明確なのは「説明」のためにはいい事ですが、小説という表現にとってはスリルを感じさせない文章などは退屈なものです。設定や情報の提供の仕方も露骨に説明的でした。さらに、結末は必ずと言っていいほど、社会通念的な倫理観に従った予定調和。どんな罪も単に裁くべき犯罪としかみなされず、謎はきれいに解決され、犯人は必ず罰される。自分には、これらのミステリ特有のお約束がどうにもなじめませんでした。ただ密室トリックを説明するためだけの作文みたいな文章を本一冊分も読むなんて、苦痛でしかないと。
しかし当時、あの作品を退屈と感じたのは、その「ミステリっぽい」表現手法の部分しか見ていなかったせいかもしれません。少なくとも今回「火車」からは、表現手法の退屈さをはるかに凌駕する面白さを汲み取る事ができたので。

この作品、フォーマットは前述の通りのミステリですが、それが描き出すのは殺人などよりもある意味でより日常的な恐怖ともいえるもの、カードローン経済の暗黒面です。法律の網から少しずつ漏れてはたまっていく澱みのような不安、ストレス、絶望感。平凡な日常経済と紙一重の所にある落とし穴。人の話なら笑って聞き流せますが、「もし自分がハマったら」と思うとこれはシャレになりません。「火車」は、まさにその自覚を与えるためにミステリ形式になっているのです。
ミステリらしく文体は説明調で書き捨てか?と疑うほど凡庸だし、科白のリアリティなどもひどく軽視されていました。しかし、描写の対象に関しては、ミステリのお約束である「非日常」性はこれっぽっちもありません。題材はもっとも身近な日常であり、登場する人物も場面も、徹底して日常感覚にこだわります。これはなかなかに抗いがたく、読み手はその感覚からどうしても遊離することができず、最後には犯人の落ち込んだ経済の闇に自らも否応なく引き込まれていきます。きっちりと世間の常識が通じる世界でコレをやられると、なんかもう異常に怖えぇ。

「文体の平凡さ」「説明っぽさ」はミステリを退屈にしてしまうデメリットだったはずなのですが、この作品に関して言えば、それらは身近でリアルな怖さを喚起するという効果を全く阻害していませんでした。平易な文体だからこその、この怖さかと。けっこう驚きました。ミステリというフォーマットは、こういうこともできるのか。

そんなわけで今回の教訓は、文章が退屈だからって宮部みゆき作品を甘く見るなということでひとつ。
by umi_urimasu | 2004-08-02 20:30 | 本(SF・ミステリ)


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