かかってこいや量子論、やらせはせんぞ宇宙改変。と、ようやくまたイーガンに挑める程度に気力ゲージがたまってきたので読んでみました。どうやら僕の場合、純正のイーガン分補給は半年に一回ぐらいがちょうど身体に、もとい、お脳にいいような感じですな。できればもう少しくだけた感じの、やわらかイーガン的な作品もセットで読めたらいいなという気もするんですが。あのイーガンではいかんせん。
と思っていたのですが、聞くところによると、「Schild's Ladder」あたりまでひたすら難解路線だったイーガンが2006年の「Riding the Crocodile」(鰐乗り?)ではなんかがらりと作風を変えてきたらしいですね。これは(物理学的な意味で)今までよりずっとやさしい、いわゆる普通に壮大なハードSFっぽい内容になっているのだとか。うおお楽しみだ。邦訳刊行はまだはるか先でしょうが、期待していようかと。 さて、これで一応、既刊のイーガン邦訳単行本は「順列都市」をのぞいて全て読み終えました。「万物理論」だけ感想を書いてないのがちょっと心残りですが。あれはいろいろてんこ盛りな作品で、感想を書きあぐねてしばらく放置しているうちに細かいことを忘れてしまったので。えーと、ホモが宇宙を救う話?だっけか?ああー。いずれ再読してもう一度ちゃんと感想を書こう。その日までさらば、さらば万物理論。 というわけで、前置きが長くなりましたが「ひとりっ子」についての話を。今回の目玉はやはり「ルミナス」、「オラクル」、そして表題作「ひとりっ子」あたりでしょうか。 「ルミナス」は風呂敷の大きさを誇るイーガンの面目躍如というべきビッグ・ワンアイデアSF。宇宙開びゃくより今まで一度も人類にその存在を認識されることなく、我々とは別の自然法則にしたがって人類とこの宇宙を共有してきた知的生命体――その見えざる異種族を、スーパーコンピュータ「ルミナス」によってはからずも発見してしまった数学科の学生とそのものたちとの間で、いま「宇宙の法則書き換えメタ定理なわばり戦争」の危機が勃発する。決戦か、それとも和解か?人類の命運、このキーボードの一打にあり! 「自然法則を書き換える」なんて、なんちゃってSFや魔法の出てくる小説ではありきたりな言い草ですが、口先だけじゃなくガチで書き換えはじめるのがイーガンのイーガンたる所以です。宇宙改変という人類未踏の地平まで部屋から一歩も出ないまま連れていってくれるという、出不精な人間にはなんともありがたいお話。「数学的生命体」のアイデアには、「ディアスポラ」の〈ワンの絨毯〉に通じる「その発想はなかったわ」的驚きもあり。よく思いつくなあこういうの。 「オラクル」は、C・S・ルイス(っぽい人物)とアラン・チューリング(っぽい人物)が人工知能論争をくりひろげる歴史改変もの。現時点でイーガン唯一の「過去」の物語であるばかりでなく、タイムトラベルによって過去に飛んだ人間が歴史を変えようとするという、イーガンの全キャリア中でもきわめて異例なタイプの作品です。「ひとりっ子」とキャラの一部が共通しているのも、彼にしては珍しい仕掛け。なんとなくだけど、2000年ごろから少しずつ、彼は定番的な古典SFの要素を自身の作風の中に取り込もうとしはじめているような気がしないでもないような。 作品集としての配置順にややひねりがあって、最後の「ひとりっ子」を読んではじめて、ようやくこの作品にも感無量な気分が味わえるという構成になっています。ぼけっと読み流してるとちょっと損します。 そして今回もいつものように表題作が最後にくるパターンで、「ひとりっ子」。平行世界の「ありえた他の分岐をたどったすべての自分」に対する責任感とか罪悪感とかを、究極の方法でクリア(でも反則?)しようとする両親とAI娘の話です。量子論で「愛」の行き届く範囲が広がったりするもんだろうか?するよ。あたりまえじゃん。という、イーガンならではの鋭利な問題意識とすばらしいSFアイデアの輝きをあわせもった作品。数学と量子論が「自己」の定義を拡張するという考えかたは「宇宙消失」やその他多くのイーガン作品に通底する彼のメインテーマともいえますが、そこにAIの自我問題を交じえてさらに人間的な領域へ踏み込んだ感があります。これは傑作でしょう。 ですがこれ、もう少しわかりやすい書き方にならなかったのかなあ……。せっかくの華麗な発想が、量子論に親しみのない読者にとってはその厳密さの効果がまるきり不発なまま終わってしまう、というリスクをイーガンのほとんどの作品は抱えていて、しかも彼は、年を経るにつれて読み手の理解度に対するハードルを上げていっているようにすら見えます。「量子論を理解せずんばイーガンを読むべからず」と割り切ってるんならそれはもうしかたがないけど、こういう作品が研究者とSFオタと哲学オタぐらいにしか読まれないんじゃ、やっぱりなんかもったいないよ。サルでもわかる量子論ぐらいのわかりやすさで、なんとか手打ちってことにできないもんだろうか。 この点では、僕は最新作「Riding the Crocodile」に単なる新作という意味以上の期待をかけたい気持ちです。学術用語の頻用による混乱を避けつつ、でも厳密さは可能なかぎり損なわず、彼の着想や論理展開のおもしろさに枷をはめずに済むような作品になっていたらベストだよなあと。こういうのってたぶん、実際に人間を量子論的に定義しなきゃいけなくなる前の、21世紀の小説家にしかできない言葉の使いかたなんじゃないでしょうかね。 その他の、いわゆるいつものアイデンティティものの短編については詳細割愛。基本的に感情制御ツール使ってひどい目に遭ったぜふひい。という話がほとんどです。 余談。 読んでて、これマジで実用化してくれと思った技術。視神経かどこかに細工して、眼をつぶったままの状態で、いわゆる「まぶたの裏で」テキストが読めるようになるの。イェアーなんという寝読み上等テクノロジー!もし、いつでもどこでもどんな体勢ででも、手ぶらで本が読めたなら。しかも学校のテストとかカンニングし放題じゃん。まあそんなふざけた目的よりも優先して応用すべき、実益にかなった分野が他にたくさんあるでしょうけど。
by umi_urimasu
| 2007-11-20 23:52
| 本(SF・ミステリ)
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