kaienさんの『「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。』がたいへん面白い。
でも引用の部分に対しては異論もある。 作品をストーリーやキャラクターなどの構成要素に分解することは、「読み方(観照法)」とは何かを単純化して考えるときにはいい手だと思います。ただし、すべての要素を総合的・批評的に読むほうがキャラしか見ない萌えオタ的な読み方よりも優れている、みたいな前提をおいて読み方論を展開するのはいただけないかもしれんと思う。 その前に、作品の読み方にいいも悪いもあるんかい、という問いを吟味しないといけないんじゃないだろうか。 元エントリー引用部の竹熊健太郎氏の発言では、作品の読み方について「作品(全体)>キャラ萌え」という明らかな優劣差が意識されています。でも僕自身は、その読み方のどちらが良いか、または悪いかを判断できる公正な基準があるとは思っていません。というより、どんなに断片的でかたよった読み方と比べても良し悪しなんて決められる気がしない。 ひとつの作品を1万人の読者が読むとき、そこには1万通りの読み方が生まれます。そしてそれぞれの読み方は、読者ひとりひとりに異なる体験をもたらします。同じ話を読んでも泣く人もいれば笑う人も怒る人もいる。それらの体験の意味なり価値なりを、なにか一定の基準にもとづいて比較評価することはまず不可能でしょう。 作品を読むっていうことは、ものすごく個人的で独立性の高い行為だと思うのです。 しかし、元エントリーの引用部から察するに、竹熊氏の談話と伊藤剛氏の「テヅカ・イズ・デッド」はどちらも、特定の読み方をそのまま一般的な作品の評価基準とすることに何の疑いも抱いていないように見える。竹熊氏は網羅的・批評的な読み方に信仰的なこだわりをもち、「テヅカ・イズ・デッド」は単独の要素だけの「読み」行為はないと主張しています。彼らのそういう読み方が作品の評価基準としてどれほど信頼できるものか、検証は容易でないはずなんですが。 たとえば竹熊氏が言うように、ストーリーもキャラも何もかもひっくるめて「トータル」な読み方をしたとして、それでどんな作品も適切に理解できると断定していいものでしょうか? おそらく話はそう単純ではありません。そもそも適切かどうかの判断が主観的だし、何をもってトータルとみなすのかも曖昧です。それに「理解する」ということ自体、無数の読み方のうちのひとつでしかない。たとえ作者自身であろうと、自分の作品を真に理解できているかどうか本当のところはわからないに違いないんです。ましてあかの他人である読者や批評家においておや。 僕自身は、ストーリーだけ、キャラクターだけ、映像だけ、音楽だけ、テキストだけ、あるいは萌え要素だけにかたよって他をないがしろにする読み方だって当然あり得ると思うし、根拠がないかぎりそれらが網羅的な読み方よりも軽視されたりしてはいけないと思います。作品は読者に対していかなる読み方も強制しない。そして完全な読み方や有益な読み方の基準なんてものがどこにも存在しない以上、あらゆる読み方は等価なものとして容認されていい。 よく知らんけどこういうのって、大昔から自明な話なんですかのう。 ちなみに、海燕さんの「キャラは作品の一部」という指摘には僕も賛成。そこに「キャラ萌えは作品の読み方のひとつ」って言い足しておこうかな。ただ、 >作品を構成するあらゆる要素の中で、なぜ「キャラ」だけが特権的に扱われるのか という問題についてはよくわかりません。さっぱり実感がないので。どこか僕の知らないところで特別扱いされてるんだろうとは思いますが。 とりあえず考えついた理由は、単純にキャラ要素が作品において大きなウェイトを占めるケースが多いから、っていうものです。作品ごとに各構成要素の比重はまちまちだが、キャラが多くの作品の成立に欠かせない重要なファクターであることは間違いない。したがって、作品語りのときには良くも悪くも無視できない存在となる、とか。 とはいえ、キャラ以外の要素に重点をおいた作品だって世の中にはいくらでもあるわけで、たとえばミュージカル批評なんかでは、物語やキャラが「音楽」より下位に置かれることもなくはないでしょう。海燕さんはないって言うけど、「音楽だけ聴いて映画を見ていない」という批判だって十分ありえると僕は思いますね。 ───── 元エントリのリンク先の竹熊氏の談話は、僕には全編わからんことだらけでしたが、オタク自身によるキャラ萌え批判もそのひとつでした。動機は何? キャラ萌え傾向の激化にともなう物語の衰退、ひいては分野全体の衰退への危惧? しかし、萌えの行き過ぎぐらいでそんなに致命的な事態になるもんだろうか。実際のところ、今も昔もさして状況は変わってないんじゃないのかな。 初代ガンダム時代にシャアのミーハーファンが大勢いたのと同じように、現代ではキラやアスラン単体にしか興味のない種っ子がいっぱいいます。同じように、平安時代には源氏物語のストーリーよりも葵の上や紫の上単体にしか興味のないミーハーな殿上人がいっぱいいて、コアな紫式部ファンから「軽薄」と批判されてたに違いないですぞ?
by umi_urimasu
| 2006-12-13 10:10
| まぞむ
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