この湧き上がる哲学的感動を他の人に伝えるには、いったいどうすればいいのだろう。
とりあえず叫んどくか。 やちまやちま! やちまやちま! やちまー! 思うにグレッグ・イーガンの作品に共通する最大の特徴は、「人間って何?」というシンプルな疑問をどこまでも突きつめつづける、そのしつこさではないでしょうか。SFとしての発想の大胆さは、たぶん彼だけの専売特許ではありません。しかしアイデアから結論にいたるまでの論理展開の徹底ぶりとなると、イーガン以上の凝り性さんを探すのはよほど年期のはいったSFマニアでも手こずるのではないかなあと。 そう思わせる表題作「しあわせの理由」は、こんな感じの話です。 主人公は脳腫瘍の治療の結果、「しあわせ」の感情の強さを自分で意識的に制御しなければならないという障害を負ってしまった青年。何に対してどれだけしあわせを感じるかを、彼は好きなように「選べてしまう」。幸福を求める意味のない人生に絶望する主人公。だが日常生活の中でさまざまな経験を積むうち、彼は徐々に、制御されたしあわせの世界で生きる術を探りあてていく。 感情制御ものとしてのテーマは、たぶん短編「祈りの海」とほぼ同じ。この作品の主人公は特殊な患者という設定ですが、彼にかぎらず誰もが感情を自由に操作できてしまうような時代が来れば、こういったアイデンティティや人間性のよりどころを問われる状況はやがて日常茶飯事になっていくのでしょう。 ただし、イーガン的にはそういう未来への見通しは「心配せずとも大丈夫」であるらしい。自分らしさの本質を代用物で置き換えてもそれは自分自身だと言えるのか、という問いに対して、「しあわせの理由」は一応「YES」と答えているからです。 と、少なくとも僕にはそう思えたんだけど。 (本文より)そうやって生きていくことが、ぼくにはできる。意味のないしあわせな気分と、意味のない絶望感がいりくんだ境界線上を歩いていくことが。もしかすると、ぼくは運がいいのかもしれない──その細い線上に踏みとどまるには、たぶん、線の両側に広がっているものをはっきり知っていることが、いちばんだいじなのだから。 見よ、廃人状態からのこの豪快な立ち直りっぷりを。 ちなみにもしテッド・チャンがこれと同じ設定で書いたとしたら、論理的帰結は一緒なのにものすごくドライな話になりそうな気がするなあ……。「顔の美醜について」みたいに。 ──── 以下余談。 表題作を見ても明らかなように、アイデアの扱い方においてグレッグ・イーガンは常に「極論の人」です。彼の辞書には「ほどほど」という言葉がない。 たとえば本作収録の「ボーダー・ガード」は、人間が完全に死を克服してしまった遠未来では記憶ってどうなるの?個人って消えちゃうの?という話。また「愛撫」は、豹の胴体にヒトの頭をくっつけた女の子がいるんだけど、これって人間?という、比較対象としての非人間性を強調した話。「適切な愛」は、夫の脳を自分の子宮で育てる女性の葛藤を描いた話。 人間というモノを超極端なシチュエーションに追い込んで、最小の構成要素にまで切りわけて、何でできているか調べあげるのが趣味ででもあるのだろうか、この人は。 テーマを追求するためとはいえ、こんなふうに倫理的にはえげつない設定の話がイーガン作品には多いです。でも主張としては人間性全肯定っぽかったりするから世の中はわからない。 ま、作品が面白いからいいけどね。
by umi_urimasu
| 2006-06-10 23:35
| 本(SF・ミステリ)
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