「クビシメロマンチスト」西尾維新
a0030177_2392094.jpg天才育成機関出身という経歴と病的な現実逃避癖をもつ謎のイケメン大学生、それが人呼んで"戯言遣い"のいーちゃんである。ある時は青い天才少女だの赤い人類最強だのを脇にはべらせ、ある時は学食で丼いっぱいキムチを食いまくり、またある時は少年殺人鬼と拳で哲学を語りあい。そして彼に近づくクラスメイトたちは、日を追って無惨な絞殺死体と化してゆく。
だがそれがどうした? ぬるい偽善はたくさんだ、死ぬなら勝手に死んでくれ。

愚かな恋をなんとする、請負人もあてにはならぬ、闇に裁いて戯れ言る──戯言遣いが、殺人犯を。

うぐぅ。警察にまかせろよ、そういうことは。


西尾維新という人は、語呂合わせや宛て字の要領で作った誤字、誤用、造語をやたらに使う作家です。それはもう、ときに見苦しいほどたくさん使う。効果のほどはちょっと微妙ですが。造語の方はともかく、あからさまな誤用には陳腐な印象しか受けませんし。
けれどその文体は、一見うっとうしいだけのようでいて、ミステリにとっては意外にも効果的だったりするらしい。

推理小説では、真相を読者の目から隠すためにいろいろな手管が使われます。鍵となる情報をわざと省略したり時系列を倒置したりなどの正道っぽい手の他に、文意そのものをわかりづらくしたり、重要な情報を無意味な文章の中に紛れ込ませる方法もある。西尾維新がよくやるのはこれですよね。
「クビキリサイクル」ではそういったあやふやな文章に単なるレトリック以上の機能はなかったんですが、この「クビシメロマンチスト」では、より本質的にミステリの役に立つように使われています。たとえば、会話やモノローグの意味合いがまるごと二重化されていて、あとからようやく裏の意味に気づくようになっている所がいくつかある。真相を知っていれば確かに不自然さの質が違うことに気づきますが、初読時に見破るのは無理でした。
でもこれはわからなくても仕方がないでしょう。普段からめちゃくちゃ不自然な言い回しばかり使っていて、通常の文体そのものがカムフラージュになっているも同然なんだから。

つまりこれは、あの仰々しいオタ文体が「常態」であるからこそ使える技だったのかと。
クビシメロマンチストを読んで思ったわけよ。


せいいっぱいポジティブに書いてみました。
でも我ながら今いち褒めてない。

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検索すると「キャラが立っている」という感想がたくさんヒットしますが、これはいかがなものか。僕にはどの人物も表層的なギャルゲー記号の寄せ集めに見えますよ。人類最強・哀川潤がいかに常識を越えた最強の存在か、とかいう描写が必死に繰り返されるのを読んでるといたたまれなくなって来るし。
そんなとこまで奈須きのこに似なくてもいいのに。

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西尾維新は戯言シリーズ完結時のインタビュー「僕にとっては、世界=物語で、身近で閉じた世界が物語そのもの。『セカイ系』と言うが、逆に、そうでない問題って小説になるの? と聞きたいくらい」と述べています。
どう受け取ったらいいのか当惑させるコメントです。「私は高校生か大学生の萌えオタ日常小説しか書けませんよ」と宣言してるに等しいような気がするんだけど。それとも、ベオウルフや平家物語や三国志は彼にとって物語じゃないんだろうか。
やや疑いまじりの視線と共に、「クビツリハイスクール」の巻へつづくー。
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by umi_urimasu | 2005-12-21 23:15 | 本(SF・ミステリ)


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