「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」西尾維新
a0030177_20594841.jpg「さんくー」「ふいーん」「僕様ちゃん」 ふぬ! 撃沈。

僕はどうやら、この種の表現に対して著しく寛容さに欠ける傾向があるらしい。向こうだってうにーとかあうーとか言って狭い的をさらに狭く絞ろうとしているんだから、お互いさまだとは思うのだが。たぶん向いてないんですよ。Kanonもうぐうとあうーのせいで挫折したぐらいだし。僕の頭はもともとライトノベル向きじゃなくSF向きなんだ。

まあ、そんなどうでもいいことはさておきまして。

いま仮に、長期にわたるコミュニケーション断絶を体験したせいで他者に対する根源的な無関心をつちかった人がいたとしよう。
その人はおそらく、自分をとりまく世界に何の意味も見出さず、あらゆる物事に対してリアリティを覚えない、そういう人格を育ててしまっているだろう。だから彼の中で、複雑で強烈な個性をもつはずの他人がせいぜい二つ三つの記号で表せるような存在になり果ててしまっても、彼はさして不足とも不都合とも感じないだろう。

「そんなことじゃいけません」と世間の人は言うかもしれない。
だがそれは、本当にいけないことなんだろうか。尋常の人間性をもたない、現実と相容れない彼の世界は、ただ現実的ではないからという理由で否定されねばならないのだろうか。言ってなかったけど、そもそもこれは小説の中の話なのだ。小説の中でなら、いくら現実からかけ離れた世界があったって誰も困らない。
むしろ小説においては、否、小説だからこそ、非現実の領域にしかないものを探し求めることは、人間にとってきわめて自然な行為というべきではないのか。

ならいっそ、現実性などかなぐり捨ててしまったらどうだろう。
リアリティよ、さようなら。萌えミステリよこんにちは。

実際にそんな経緯があったかどうかはともかく、この「クビキリサイクル」という作品はまぎれもなく非現実の権化でした。上の人格うんぬんは本作の主人公にして語り手の「いーちゃん」のことなんですが、作品自体もほぼ同じ方向を指向していると言っていいでしょう。現実にありそうな人物像や人間関係など一顧だにせず、戯れ言めいたレトリックで読み手をたぶらかそうとする西尾維新のスタイルは、能動的に、そして全方位的に、リアルたろうとしていません。

その証拠に、絶海の孤島で殺人事件に巻き込まれたにもかかわらず、主人公が見せるあの尋常でない他人事っぷりはどうか。一人称が「僕様ちゃん」な電波系天才少女をはじめ、キャラクターが全員美女・美少女・美メイドばかりで♂は(ほぼ)主人公だけという、エロゲー並にはげしく偏った登場人物バランスは。衒いに満ちたセリフ回し、投げやりな舞台設定、悪ふざけとしか思えないトリックは。
こうなりゃもうなんでもありだろう。おっしゃー、もっとやれー。

悲しいかな、僕にはそっち向きの感度が致命的に欠けてるっぽいけれど。

しかしまだ望みを捨てたわけじゃない。もしかして、とことん突きつめればあるいは、と思う。この非現実主義の先に何があるのか見てみたい、というポジティブな気持ちと、安易な萌えキャラはもうごめんだというネガティブな気持ちが、今は互いに拮抗している状態なのです。このバランスを崩すには、やはりもう一作ぐらい読まねば。
……いったいどれがいいのかなあ。さっぱりわからない。

「クビシメロマンチスト」にしよう。

迷ったときは上から順に。これ、本読みの鉄則です。
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by umi_urimasu | 2005-09-28 21:23 | 本(SF・ミステリ)


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