なんというポピュラーな小説!これがあのギブスンか。
彼がデジタルなジャンクに満ちたサイバーパンク袋小路の奥から這い出てくることはもう永遠にあるまいと思ってたんですが、いい意味で裏切られた。 この男、やはり侮れん。 主人公ケイスは、あるファッションやデザインが市場でヒットするかどうかを直感的に悟る能力をもち、それを生業にしているアメリカ人女性。彼女は〈フッテージ〉と呼ばれるネットに埋もれた断片的映像のマニアックなファンでもある。 この〈フッテージ〉にビジネス的価値があるとにらんだクライアントから作者を探し出す仕事を依頼され、ケイスは世界中を駆けまわることになるのだが……探索を進めるうち、〈フッテージ〉の秘密が彼女自身の過去に、9.11のあのテロ事件に、そして冷戦時代の傷跡に深くかかわっていたことが明らかになってゆく──。 サイバーパンクの帝王が五十歳を越して書きあげた「センチメンタル・ジャーニー」。 珍しい。「泣かせ系ギブスン」という、かなり珍しいシロモノです。 といっても、第一印象は従来とさほど変わりません。文体が一緒だからね。しかし見ている距離がまったく違う。きらめく電脳の未来を幻視しつづけてきたギブスンは今、同じ目でありのままの現代を見ています。クローム薔薇も冬寂もカウボーイも、未来のどこかへ置き捨ててきた。彼の指はオノ=センダイではなくibookのキーボードを叩き、彼の足はスプロールやフリーサイドではなく、現実のロンドンや新宿の地を踏みしめる。 この本を読んでると、サイバーパンクをそのまま裏返すとそこはいつも現代だったんだ、ということがいやというほど実感されてしまいます。 そういう意味では、ギブスン好きにとっては非常に「腑に落ちる」作品じゃないですかね。 一方、ギブスンの名を知らない読者には、これはとりたてて珍しくもない普通の冒険ものと映るのではないでしょうか。ただし、文体はひどく斬新に感じられるはず。 彼がやっていることは、つきつめれば目で見たままを言葉にしているだけです。しかし、一種の超言語的な処理をほどこされた装飾的な表現は、まるで自動記述法で書かれた詩のように、読み手の中に違和感を残したまま滔々と流れこんできます。あげくの果てには、過去も現代も未来も等しく芸術的ガラクタに満ちたギブスン時空と化してしまう。かつて「ディファレンス・エンジン」で実証されたように。 喧噪に満ちた都市という膨大な情報を含む風景の中から、何を選びどんな言葉で語れば、見飽きた街を、まるで初めて訪れた外国のように感じさせることができるのか。ジャンクコラージュ作家としてのギブスンは、要するにずっとその技ばかりを研鑽してきたような人ですから。そりゃあ巧いですよ。 ただし、そうした技の洗練は、ひょっとするといいことずくめではないかもしれない。 というのは、細々したモノや風景の「言い方」にひどくこだわるギブスンのスタイルは、センスの鋭さと同時にレトリック・マニア的な狭量さも示しているように見えるので。シャープで奇抜な表現が、じつは至極平凡な場面のどうでもよさそうなことの説明でしかなかったりする。 正直なところ、〈フッテージ〉の作者が登場する終盤ぎりぎりまで、僕にとってこの作品はけっこう退屈なものでした。修辞にこだわるのはいいけど、それだけではやはり面白みが薄かったからでしょう。いかに言葉を飾ろうと、結局はありきたりな現実世界にすぎないわけだし。それにサスペンスとしてはやや勢いに乏しく、メールチェックとサイト巡りだけで主人公がちっとも動かない状態が長々と続くせいもありました。ストーリー以外の情報にあまり興味のない読み手にとっては、SFという調味料がない分、やや退屈な本かもしれません。 文章そのものは初期よりもはるかに上手いし、言葉のセンスもより鋭くなってると思うんだけどね。 ついでにいえば、ストーリーもあいかわらず弱かった。というか、おなじみの聖杯探求アドベンチャー型の物語形式を彼は絶対に変えようとしないな。何か特別な信条でもあるんだろうか。 ─── 戯れ言。 「パターン・レコグニション」は、素材的には電脳空間シリーズの「カウント・ゼロ」に類似しているような気がします。アートの目利きが仕事で、ケイス(@ニューロマンサー)やモリイのような犯罪者系ではない普通人の主人公。あー、これってマルリイに似てるぞと。〈フッテージ〉作者は〈箱作り〉っぽいし。 ─── 戯れ言2。 毎回毎回、ギブスンの新作を読むたびに蒸し返してることなんですが、それでも言わせてくれ。 安西先生……黒丸尚訳で読みたいです…
by umi_urimasu
| 2005-08-15 23:41
| 本(SF・ミステリ)
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