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「ガダラの豚」中島らも②
昨日にひきつづき、考察編。お題は

『人はなぜ呪いを恐れるか?』

何でこういうテーマかというと、「ガダラの豚」でいちばん怖いのがこの「呪い」だから。ここでいう呪いとはとても現実的なもので、テレビの中から貞子たんが呪まーすとかあの系統ではないんですが、やっぱり怖いものは怖い。というわけで、それについて少々。

「ガダラの豚」には「アパートに戻ったら、部屋の中に見慣れないナイフが置いてあった」みたいなシチュエーションが出てきます。これも実は呪いの手法のひとつなんですが、呪われた側の人は最初その真意がわからない。だからすぐには怖がりません。
しかし、そうやって変なものに出くわした人が、次から次へと変死を遂げ始めたら……自分のところにその「変なもの」が回ってきたとき、冷静でいられるでしょうか?仮にそれらに何の関連性もなかったとしても、理性を越えた恐怖感は抑えられるものではないでしょう。「ガダラの豚」はまさにこのパターンで、意味はよくわからんけど凶々しい謎の物体がいつのまにかそこにあって、見たり手にしたりした人が「偶然」死んでしまう、といった場面が繰り返し出てきます。

ただし、そうした関連はやっぱり単なる偶然でしかありません。呪いのおかげで摩訶不思議な力が働いて実際に人が死ぬなんてことは実際にはあり得ない。むしろ、本来呪いとはそんな怪しげなものではない、誤解しないように、というのが「ガダラの豚」のスタンスなのですが。

本作によればアフリカの呪いは、いざこざや喧嘩など、対立的な人間関係の「コミュニティ内へのアナウンス」であって、呪う方も呪われる方もちゃんと了解済みらしいです。もし呪いの人形が家の庭から出てきたら、それは誰かがそこに埋めたというだけで、人形がひとりでに動いたとかいう非科学的なことではない。けれど、もし誰がやったのか、なぜやったのかがわからなければ、これは人形やゾンビに襲われるホラー映画なんかよりも「日常的に」はるかに怖いことになります。だって、その呪い手が次には家の使用人を買収して食事に毒を混ぜないとどうして言えるでしょう?
呪いの本当の怖さというのはそういうこと。己に害なそうとする者がいて、その者から「実際に何らかの害を受ける」ことへの現実的な恐れなのです。人形とか呪文とかは単にそれを象徴するものでしかない。これはある意味では、呪いという言葉から連想されるお化けや幽霊の概念を強力に否定しているといってもいいでしょう。呪ったからって「リング」みたいな都合のいい怪奇現象は決して起こらないし、誰もそんなものが怖いわけじゃない。呪う側がもっている害意がそれほどに強いのだという意思表示こそが、人を怖がらせるのです。

もちろん、現実のアフリカ呪術はちゃんと資格をもった呪術師が行い、呪いをかけた方とかけられた方のいざこざ(土地問題とか遺産相続とか?)を調停して解決するといった穏当なものらしいですが。一種の地方裁判システムなのかな。ここでは小説だからおおげさになってますけどね。


えー、ここまで来ると、「いったいどこがそんなに怖いんだ?」と思われるかもしれません。昨日あんなに怖がってたじゃねーかと。
でもそこはそれ、やっぱり小説だから。死んだり殺されたり発狂したり、作品の中では呪いが効きすぎて大変なことになってしまってるし。そんなの現実にあるわけねーと頭ではわかっていても、想像がひとりでに突っ走ってしまってもうだめぽ。
想像力とはまさに諸刃の剣、これはもはや人間の業なのでしょうか。

ちなみに僕は「シックスセンス」の後半でスクリーンを見ることすらできずにほとんど下を向いていたという筋金入りのヘタレです。えっへん。
by umi_urimasu | 2004-12-01 23:01 | 本(others)


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