『ローシュさん、あなたに神のお恵みを』
号泣さ。ああ泣いたよ、悪いかこんちくしょぉ。ぐすっ。 「ドゥームズデイ・ブック」は、とても素直な作品です。定規のようにまっすぐな、人間への信頼に満ちた物語。弔いの鐘の音すら絶えた死の荒野を、足もとだけを見つめながら一歩ずつ歩いていく──その次の一歩を支えてくれる、松葉杖のような本。 大勢の人の死を扱った重い内容と聞くと、人によっては尻込みしてしまうこともあるかと思います。でも、できれば重さを恐れて避けて欲しくない。それに、単純なモラリティによりかかりすぎるとか現代パートがコメディ的すぎるとか、あまり軽々しく裏読みしてもらいたくない。技巧をてらわず淡々と紡がれたこの物語が「人間を描けていない」と批判することだけは、おそらく誰にもできないはずです。 14世紀に全ヨーロッパ人口の半分を死滅させたともいわれる人類史上最大の災厄、黒死病。その長い死の指は海を渡ってイギリスにまで達し、総人口40人の小さな村にも公平に訪れました。村には、21世紀からやってきた未来人の学生が一人まぎれこんでいて……。 彼女、キヴリンの務めは歴史の記録であって村をペストから救うことではなく、また救いたくてもその術がありません。それでも、短期間とはいえその時代の人々に混じって生きた彼女は、全力をかけて手の届くところにいる人を救おうとします。全てが徒労に終わり、自分が元の時代には永遠に戻れないと知った後でも、ただ粛々と。 ひるがえって現代。オックスフォード大学に端を発し、猛威をふるい始めたミュータント・インフルエンザに対して、隔離地域の中で孤立無援に陥りながら、被害の拡大を防ぎ一人でも多く助けるために奔走する人々がいました。 この二つは全く同じ構図です。暗黒時代も現代も、ペストも流感も違いはなく、そこにはただ災禍と戦う人間の姿があるだけ。違いがあるとすれば死亡率ぐらいでしょう。 使い古されたタイムトラベルの設定、病災というテーマ、そしてどこにでもいる普通の人々。千年の時をへて変わらぬものをどっかりと作品の中心に据えた作者の意図は、ここまで来てわかりすぎるほどわかりました。 直球勝負だったんです。 トリックもどんでん返しもなかったのです。技巧派として誉れ高いあのコニー・ウィリスが、これだけの大長編で、まさか何の小細工もなしに正面から人間讃歌をうたって来るなんて。これこそ一番の予想外でした。プロット的にはいくらでも複雑にできたはずなのに。 あえて策を弄さず、ただ真摯な筆致で順番に列記されていく数々の死は、シンプルなだけになおさら重い。 多少おおげさに「泣き」を強調している感はありますが、不必要に泣かせっぽくはなっていません。そのあたりの技術やバランスはやはり確かなものがあります。この辺の「悲劇」の受けとめ方は人によって様々だと思いますが、僕はどっちかというと、主人公として生き残る人間よりも脇役として死んでいく人間の方により強く感情移入してしまう質らしいので、常に絶望しっぱなしでした……。涙もろい人には大変な話かもしれません。でも、どうか長さと重さにへこたれずがんばって読み通して欲しいもの。 読後のカタルシスは保証しますから。 ただし、血だばー膿どばーな闘病記系や不潔な描写が生理的にダメな人はちょっと要注意。「火垂るの墓」ぐらいの痛さは覚悟しなければなりませんので、それ系のトラウマに弱い人も注意ね。 あと、いかにもコニー・ウィリスらしいのは、名だたるSF各賞を総ナメにしながらもSF的な性格がほとんどないあたり(笑)。タイムトラベルという設定はかろうじてSFっぽいものの、それも現代と中世を対比させるための方便的な意味合いが強いです。そういえば短編集の方でも、SF的なアイデアで斬新といえるほどのものは見当たらなかった気が。 技法面でちょっと補足。 さっき「直球勝負」と言いましたが、それはメインプロットについての話。よりミニマルな視点に立てば、小技はむしろ効きまくりと言ってもいいほどでした。たっぷりじらしておいてやっと古代言語の翻訳に成功するあたりの手管などはさっすがーという感じだし、村人が次々と病に倒れていくくだりでは、抑制を効かせた描写がかえって凄絶。 「お願いだからアグネスとロズムンドだけは助けてやって!神様おねがい!」と、半泣き状態になりながらなかば本気で祈りましたよ。 でもね、林檎がね……。こう、ころころって……。 「何を我慢してる……お前は今、泣いていい!泣いて…いいんだ!」 シェリス───ッ!(違 はうあ、思わずスクライド汁が。ふきふき。 あと最後にひとこと。 コリン少年よ、おまえはタッスルホッフか!(ぺし こんなくそ長い感想文を最後まで読んでくれた方、どうもありがとう。
by umi_urimasu
| 2004-11-18 19:48
| 本(SF・ミステリ)
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