「祈りの海」グレッグ・イーガン
『あなたの大脳の中身は他の人が使用しています。コピーを作成しますか?』

驚異の傑作SF。グレートでスよこいつは。

人間のアイデンティティを揺さぶること、その一点にテーマを絞った短編集。シンプルでありながら、他に類を見ない強力なアイデアが次から次へとくり出されてきます。それはもう右ですか左ですか、オラオラですかぁー!?というぐらいの凄い勢いで。衝撃をゆっくり噛みしめる暇もありませんでした。
アイデア面では脳生理学や量子力学といった現代物理系の素材が多く用いられていますが、格別難解というわけでもないです。ちょっと難かしい物理の話が出てきたとしてもストーリーが明解さを失うことはなく、小説的なレベルで理解できるようにちゃんと配慮されています。SFとして模範的、完成度は圧倒的。ある意味、数学的な美しさをそなえた作品集。

「攻殻機動隊」なんかを見るかぎり、肉体のクローンや意識のコピーなどはメンタルな部分ではわりと何でもないことのように思えます。しかし実際には、それが何でもないことのはずがない。意識に直接かかわるテクノロジーをわがものとしたとき、我々は電脳生命体が云々とかではなく、もっとずっと身近な所でひどく困った事態に直面するだろうと考えられます。
それは結局は「アイデンティティのよろめき」に収束するのですが、イーガンはこの「よろめき」を必ず個人レベルでの人間ドラマとして描くのです。

たとえば、だれかの脳内にある別の人のイメージ・人間像が電子データとして抽出され、本物と寸分たがわぬ電子的なコピーが作れたとしたら、そのコピーを「偽物」とみなせるか?という問いを考えましょう。
答えはノーです。もしそうなったら、真偽の区別などには何の意味もなくなってしまう。親兄弟も友人も恋人も、誰もがオリジナルでもコピーでも変わらないのなら、いったい何が個人というものを定義するのか。このように「意識のコピー」という設定をおくだけで、人間のアイデンティティなどそれこそ指先ひとつで崩壊してしまう可能性があるのです。
こうした思考実験は、「人間とは?」「生死とは?」「この世界とは?」といった普遍的な問題に行き着くため、いきおい抽象的な問答に流れそうなものなのですが、イーガンはあくまでも一般個人の日常生活という視点を捨てません。
恋愛は破局を迎え、家族は散りぢりばらばらになり、会社員は職を失い、宗教家は信仰を失って路頭に迷う。
イーガンにとっては、世界に何一つ確実なものなどないという自覚は、ご飯を食べてフロに入って寝るという日常的な行為の中にこそ見出されるものであって、そのためのアイデアもやはり日常生活に適用しなければ意味をなさないもののようです。

そして、実験のフィールドが日常である以上、イーガンの作品では必ず人間が基準になっており、「人間はどこまでいっても人間」という前提に立っているように感じられます。いかにも医学畑出身らしい考え方かもしれません。彼の作品に、人間以外の知性や意識を描こうと試みたものがあるのかどうか僕は知りませんが、たとえばレムの「ソラリス」みたいな話をイーガンにやらせたら面白いのではないかなぁ、とちょっと思ったり。



ちょっと作品から逸脱した話になってしまいますが、僕は、あやふやなアイデンティティを人間という形につなぎとめているのは「感情」ではないかとも思います。

意識をコピーしたり保存したりできるようになったとしても、人間としての感情はおそらくそれまで通りに残るでしょう。喜怒哀楽などの感情が、ゴーストダビングしたりサイボーグになったからといって、いきなり喜怒哀楽以外の何かよくわからないものに変化するとは思えません。
それに、論理的にはアイデンティティが成立しなくなったとしても、「好き」とか「イヤ」とかいった感情はそれとは別にスポンテイニアスに出てくるものだと思う。真偽はどうあれ、それは自分と世界が相互作用した結果といえるはずです。簡単にいえば、自分が誰だかわからなくても笑ったり怒ったりはできる、ということです。もちろん人間は感情だけで構成されているとも言えないと思いますが……。
「祈りの海」の表題作では「その感情がニセモノだったらどうすんだよ」ということがテーマになっている(※)わけですが、僕としては「ニセモノで何が悪いんだ?」と言い返したい。その感情がたとえ偽物であっても、さらに自分が認識している世界が単なる仮想現実であったとしても、その中で人間として機能しているならそれは人間と呼べるはずだ、と思うからです。
本物と全く区別のつかないニセモノには、本物と同じだけの価値があるのです。
よくできた海賊版には、純正品と同じだけの価値が……がが、がががが……。ないよ。うん。ないともさ。

(※)「祈りの海」の主人公の青年は、崇高なものと信じていた宗教的体験が単なる海水含有成分の薬物作用によるものだとわかって、自分の信仰を自ら否定することになってしまいます。しかし彼は失意の中で、生きるよりどころである高揚感や喜びがニセモノだったとしても、そのことに耐える心構えがあればその空虚にも立ち向かえる、と主張しています。ちょっとネタバレ。


とかいった面倒な話はさておいても、この作品は「アイデアがすごい」という評価で鉄板ですね。ほとんどの作品が「うわぁ、そう来たかよ!」という感じ。ただ、SF小説としてあまりにも綺麗すぎるというか、如才なさすぎるのが個人的にはちょっとだけ肌に合わんかなぁと思ったりもしたのですが……。これは単に好みの問題にすぎませんし、おそらく翻訳による効果もあるのかなぁと。
とりあえず、ラスボスはかなり手強かった。「橋」システムはちょっと怖いっすよー。
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by umi_urimasu | 2004-10-04 13:35 | 本(SF・ミステリ)


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